《神谷結愛side》
縁結びの儀当日。
私、神谷結愛はお世話係であり、担当である八重桜紗和様のお手伝いとして駆け回っていた。紗和様は華月千隼様の婚約者様。
華月様から紗和様のお世話係を任された時は驚きと不安と期待でいっぱいだったことを覚えていた。
私の家は特に名家という訳では無いが代々お偉い様の使用人として働く家系であった。それで長年華月家に使え、私は紗和様のお世話係に任命されたという訳だ。
紗和様は最初こそ萎縮しており、なんでも遠慮してしまうほど自分に自信がない人だった。
だけど華月様と過ごすうちにたくさんの人に愛され、問題を解決していき、さらに自信が磨かれた。
私は紗和様の成長を傍で見ていたからよくわかる。紗和様は短期間で目まぐるしいほどに自分のことを大事にできているというのが伝わる。
そして、今日。
そんな紗和様の晴れ舞台である縁結びの儀が執り行われた。巫女の舞を指導した私は舞台の端っこからそっと眺めているつもりで会場にいたのだけど。
……紗和様の一言で、会場が一気に私に視線が向いた。
「ご子息様の未来の花嫁は……。神谷結愛です」
「……え?」
紗和様から出た言葉が信じられなくて。思わず聞き返してしまう。
皇帝様のご子息様の未来の花嫁を決める儀式で。私の名前が出るといったい誰が予想出来ただろうか。
私はひゅっと喉の奥が鳴るのを感じた。
それくらい、衝撃的な出来事だった。
「……神谷結愛?いったい誰だ?」
「なんだ?八重桜家のミスか?」
誰も知らない私の名前が出てきて、ザワザワと騒がしくなる会場一帯。
私はいても立ってもいられなくなり、紗和様を凝視。だけど私を見つめた紗和様は……ただただ、柔らかな笑みを浮かべるだけだった。
その表情を見て、はっと意識を取り戻した私は今度はご子息様に目をやる。
……まさか……そんなはず、ないわよね……。
心の中で半信半疑になりながら見ていたけど。ご子息様は、何故か私の方を見たまま固まっている。
「……おい、どういうつもりだ!神谷結愛等花嫁候補に入ってないぞ!八重桜紗和、琴葉!今すぐこの判断を取り消せ!」
ザワザワと騒がしい会場に響いたのは皇帝様の怒鳴り声だった。その声に思わずビクッと身体が反応する。
皇帝様も予想外の答えだったのだろう。それもそうだ。
私は……ただの使用人でしかないのだから。
「それはできません。私の異能で確かにご子息様の未来の花嫁は、神谷結愛さんを指していました。この未来をねじ曲げてしまえば、今後大変なことが起こるでしょう」
怒る皇帝様に物怖じしない凛と響く声で紗和様は反論する。隣にいる八重桜琴葉は何も話さずただ前を見ていた。
この答えに異論はないということだろう。
だけど……ご子息様、いったいどういうおつもりなのかしら。
だって……私たちの関係は、もう終わったと思っていたのに。
「そんなことが有り得るか!お前もなにか言ったらどうだ!神谷結愛とは関わりは一切ないのだろう?」
怒りの矛先が紗和様からご子息様へと向かれた。私の心臓は有り得ないくらいバクバクと激しく脈打っている。
ここでなにかしでかしてしまえばこの先なんの罰が待っているか分からない。
それを紗和様は知っているはずなのに……何故、私の名前を出したのだろう。
「……父上。……いや、皇帝様。私は、神谷結愛を……」
ご子息様は皇帝様に言われ、そっとその場を立ち上がる。そして、この時。初めて言葉を発した。
それが……まさか自分の名前が出てくるとは。
怖いやら期待してるやら訳の分からぬ感情で埋め尽くされる頭の中。どうしたらいいかわからず、ただその場で立ち尽くした。
「私は、神谷結愛を……愛しています」
「……な、何を……」
ご子息様が言い放った言葉が信じられず、開いた口が塞がらない。
どうしようどうしようと焦りばかりが募るが、心の中ではどこか喜んでいる自分もいて。今の気持ちはめちゃくちゃだった。
***
私が、ご子息様に出会ったのは15の頃だった。
その時はもう既に華月様の使用人として働いており、忙しく日々を送っていた。
華月様は皇帝様の家系と深く関わりのある家でもあるので粗相をすることは絶対に許されない。
私は最新の注意を払いながら仕事に邁進していた。そんな私が皇帝様のご子息に会ったのは、華月家の使用人として皇帝様のご自宅に伺った時のこと。
ご子息様はもう既に10の歳を迎えており、今後の話を進めるために呼ばれたものだった。
私がついて行くことになった理由はお父様が病気で倒れ、その代わりに行ったのがきっかけだった。
お父様は使用人としてかなり優位な立場にいたため、華月千隼様の側近の人と共に行くことになっていた。
大事な話をする場面なので当然誰にも話していない。そんな中、お父様は代わりに私に行くように命じたのだ。
どうして私に行くよう命じたのか分からない。だけど、お父様から直接言われてしまっては断ること等出来るわけがない。
そんなこんなで私は華月千隼様と共に皇帝様のご自宅へと伺うことになったのだ。
ご子息様とは歳が近いことは知っていた。だけど五歳も年下となると相当幼いのだろうと思っていた私。
ほかの使用人や華月様の側近からは『くれぐれもご子息様や皇帝様に粗相のないように』と口酸っぱく言われ、何度も忠告を受けていた。
そんなことには絶対にならないだろうと思っていた私は軽く受け流していたのだが、事態は予想外の方向へといってしまったのだ。
「……失礼致します。華月千隼、ただいま参りました」
皇帝様のご自宅に辿り着き、中へ案内され、ひとつの部屋の前に着いた頃。
華月様が挨拶をし、私と他の付き人や使用人は後ろで待機していた。
中には入れないだろうと思いながら待っていると中から皇帝様の声が聞こえてくる。
「入りなさい。側近達も来ているのだろう?今後の話をするのだ。みな、中に入ると良い」
その言葉を聞いてみんなお互い目を合わせ驚いていた。普通なら側近たちは部屋の外で待機するもの。
それがまさか中に入れと命じられるとは思わかかった。
「……だそうだ。お前達も中に入れ」
皇帝様の声を聞き、華月様もそう促す。私たち使用人は戸惑いながらも華月様の後ろについて行った。
中に入ると畳部屋でその奥にさらに部屋がある。そこに椅子が2つあり、誰かが座っていた。
「……おや?ひとりおなごがいるようだが……どういうことだ?」
皇帝様の部屋の中に入るとまっさきに言われた言葉が私についてだった。どうやら皇帝様に私が行くことを伝えられていなかったらしく、鋭い視線がこっちに向いた。
おそらく年頃のご子息様に花嫁候補の人以外触れさせたくないと思っているのだろう。ご子息様は未来のこの国を担う御方。
変な気持ちを持っては困るというのが皇帝様の考えだろう。私がここに来る前、ご子息様の花嫁候補の話が出たのを思い出した。
「申し訳ございません。神谷が突如体調不良に陥り、急遽娘の神谷結愛が代理で参りました。この者は長い間華月家に使える優秀な使用人です。ご子息様には何も手出しはさせないと誓っていますのでどうかここにいることをお許しいただけませんか?」
華月様は皇帝様の質問にとても丁寧に答えていた。
私は華月様の言葉を聞いて胸が熱くなる。
まさか……そんなふうに私の事を見ていたなんて。
「そうだったのか。まぁ、千隼がそう言うなら……ここにいて構わん」
「ありがとうございます」
皇帝様は千隼様の言ったことに納得し、私がいてもいいことを許してくれた。
嬉しいという気持ちを押し殺しながら、私は皇帝様にお礼を言ってその場で話を大人しく聞いていた。
その間、ちらっと私は顔を上げご子息様の顔を覗き見る。
「……!」
ご子息様は表に顔を出さず、生まれてこの方ずっとこの屋敷で暮らしていた。
どんな生活をしていたのか全然想像はつかないが、齢10とは思えぬほどとても大人っぽい顔立ちをしており、父親である皇帝様にそっくりだった。
その整った顔立ちを見て私は思わず顔を下に向ける。
こんなに綺麗で整った顔立ちの異性がいたらきっと誰だって顔を赤くしてしまうだろう。だけど私は皇帝様にこんな顔を見せられるわけが無い。
だから、こんなに……熱くなっている顔を隠そうと必死で下を向いた。
でも、心臓は正直者でずっと激しく脈打っている。
なぜだか分からないがご子息様を見た瞬間……今まで感じたことないくらい苦しいものに襲われた。
「……おい、大丈夫か?」
ずっと下を向いたまま話を聞いていると。隣に座っていた同僚の人に話しかけられる。
どうやら私が緊張していると勘違いしたらしい。顔をまじまじ見ながら心配そうに聞いてきた。
「だ、大丈夫です……」
周りに聞こえないくらいの声で答えるがここにいることは正直言って苦しいと思ってしまった。
皇帝様に約束をした瞬間、こんな気持ちになるなんて……。
私はきっとおかしい。
初めて顔を見ただけなのに。
こんなに苦しくなるのは……きっと緊張しているせいだ。なんて自分に言い聞かせる。
「それでは、今日はこのくらいで終わりに致しましょうか。ご子息様もお疲れでしょう?我々はお暇させていただきます」
ドキドキと騒がしい胸を鎮めようと何度も深呼吸していると。
いつの間にか話し合いは終わっていて、千隼様がそう言っていた。はっとして顔を上げると千隼様は立ち上がり、ここを立ち去ろうとしている。
私も周りの者もそれに合わせて立ち上がろうとした。
……だけど。
「……きゃっ!」
「おい、大丈夫か!?」
極度の緊張と疲れが溜まっていたのか立ち上がった瞬間、ふらついてしまった。
皇帝様の目の前で転ぶことは出来ない……と足に力を入れて踏ん張ろうとするが。
そんな願いは叶わず、私はそのまま倒れていく。転ぶ……と目を瞑って衝撃に耐えていると。
誰かがふわっと受け止めてくれた感覚に陥った。
「……あ、れ……痛く、ない……」
「大丈夫ですか?」
私はゆっくりと目を開けると。
目の前には信じられない光景が飛び込んできた。
「ご、ご、ご子息様!?も、申し訳ございません……!」
私を受け止めていたのは、なんとご子息様だった。皇帝様の隣に座っていたご子息様はいつの間にか私の元に来られ、受け止めている。
驚きのあまり声はひっくり返り、土下座する勢いで頭を下げる。
まさかご子息様に受け止めて貰っていたとは……!
私は冷や汗ダラダラ、緊張しすぎてまたもや倒れそうになるほど頭の中は混乱していた。皇帝様も見ているというのに。
私はいったい何をしているのだろうか。
「神谷。大丈夫か?ご子息様、ありがとうございます。そして、うちのものが迷惑かけて申し訳ございません!」
そんな様子を見て千隼様も頭を下げる。さっき褒めてもらったばかりなのに私は本当に情けない。
こんなに多くの人に迷惑をかけて。
本当、消えてしまいたい……。
「別に迷惑等思っていない。私が助けたいと思ったから助けた。それまでのことだ。いい加減、頭をあげたらどうだ?」
「……は、はい」
頭を下げ続けていたら、ご子息様から思ってもみなかった言葉が出てきて驚いた。
皇帝様こそ何も話さないが、ご子息様は私と目が合うと。
優しく、微笑み返してくれた。
「申し訳ありませんでした。ご子息様のお言葉に感謝申し上げます。……それでは、我々は今度こそお暇させていただきます」
ご子息様の目の前で粗相をしてしまったにも関わらず。そんな私を叱りもせず、優しく微笑み返してくれたあの表情は忘れることは出来なかった。
華月家に帰ったあと、この件はお父様にはこっぴどく叱られたが特に罰はなく、お咎めなしで終わった。
どうやらご子息様が千隼様にそう申し出たらしい。あれからご子息様とはお会いする機会はないけど。
ずっと、ずっと私の心の中であの出来事があるのはみんなへの秘密。
これが、私とご子息様が出会った時の出来事。あの事件はもうとっくの昔に終わって、忘れ去られていると思っていたのに。
なんで……5年たった今。
紗和様が思い出させようとしているのだろう。
過去の話は知らないはず。
いくら異能を使って未来の花嫁を選ぶ儀式でも。私が選ばれることはないと思っていたのに。
この気持ちは、もう忘れようと思っていたのに。
どうして……紗和様に見破られたのだろう。
他にもたくさんの花嫁候補があったはずなのに。
私は……この気持ちを諦めなくても、いいのだろうか……。