「はぁ? キッチンを貸してくれ? さすがにチハヤくんの頼みでも、今は営業中だから」
さすが仕事モードのクリスさん。チハヤの頼みでも断るなんて!
私たちは山を下りるとその足でクリスさんの酒場へとやってきた。もう夜は遅いからと、エルサさんは自宅へ、グレースはトーヴァにお願いして先に家に戻ってもらっていた。
「邪魔はしません。調理は私の魔法でやりますし、お願いできませんか?」
「うーん、いいよ」
いや、いいんかーい!!
「いや~やっぱりチハヤくんの頼みは断れないよね。そんなまっすぐに熱い眼差して見つめられたら……身も心も焦げてしまいそう」
トーヴァじゃないけど舌打ちが出そうになる。焦がしちまおうか! 実際に!!
「ありがとうございます。それではサラ様もこちらへ」
「お~なんだなんだ? 仕事のあとでも仲がいいね~なんかうまいもんでも作ってくれんのか~?」「サラちゃん~執事さんをクリスちゃんに取られないようにするのよ~」
チッ。うるせーな。酔っ払いどもめ。
「はいはいはいはい、みんなからかわないでね。二人はまだ仕事中だから。まだお酒いる? そうだ、みんな新しいメニュー試してくれない?」
「え~またハーブ酒かよ~体に悪いもんの方がやっぱ上手いって! なあ! それでよ~……」
クリスさんが気を利かせて注意を逸らしてくれた。こういう姿を見てると、酒場のマスターって感じがするよね。
「それで、どうするんだ?」
「まずはとってきたばかりの実を乾燥させます。そしてそれから中の生豆を取り出して、さらに火で炒るのですが──とにかくまず火魔法と風魔法の応用で乾燥させます。調理台の上に実を並べてください」
「わかった。はいよっと」
かごからあふれんばかりの実を全部調理台の上に並べていく。チハヤの手から強烈な風が吹き出し、並べた先からコーヒーの実がコロコロ転がっていく。
なかなか手間と時間がかかりそうだな……。飲めるようになるまでどのくらい時間がかかるのか。
チハヤの手から放出される生温かい風に包まれ、思わず私はあくびをしてしまった。
「サラ様。この後の工程は私が行いますので、もしよろしければ休んでいてください」
「え? いいの?」
「はい。慣れない仕事で疲れているでしょうし。元気な状態でコーヒーを飲んでもらうのが一番です」
「ん……わかった。そしたら、おいしいの待ってるね」
「ええ、任せてください」
*
チュン、チュンチュンチュンチュン、チュンチュンチュンチュンチュン……。
「ん? 朝?」
クリスさんが私の横で寝ている。あーそうか、昨日はクリスさんの部屋を貸してもらって、ベッドで横になっていたらそのまま眠ってしまったのか。
ってクリスさん!? ただでさえ薄着なのにその服がはだけてちょっと、あの、見てはいけない感じに──。
「うん……うぅん……」
毛布をかけてあげたら悩ましい声が返ってきた。……なんで私が恥ずかしい気持ちにならないといけないんだよ。
「そうだ。チハヤのところにいかないと。コーヒーとやらはできたのか!?」
それにしてもいい体のラインだったな。なんかきたえたりしているのか、とか今度聞いてみよう。
なんてどうでもいいことを考えながら、酒場へ続く扉を開けるとなにやら香ばしいかおりが充満していた。
そして、キッチンには窓から差し込む朝日を浴びてすがすがしい顔のチハヤがカップを片手に立っている。
チハヤの顔が振り向く。うぇ……? なんか隠そうとしてもわかる。ニヤついているんですけど。
「おはようございます。サラ様」
「お、おはよう」
どうしたんだ? そんな込み上げてくるうれしさが隠せなくて──みたいな表情を今までしたことあったか?
「完成しました」
「完成した? ああ、そうか、やっぱりこの香り、コーヒーの香り?」
「ええ、そうです」
じゃあ、コーヒーができてにやけていたってこと、か。やっぱり、チハヤをこんなにさせるなんて、いったいどんな飲み物なんだ?
「こだわりにこだわり抜きましたよ。手順は頭の中にありました。ずっと想像していましたから。コーヒー豆を手にして、乾燥させて選別、それから焙煎──長かった。ここまで来るのに何年もかかってしまいました」
「お、おう」
ついてけねぇ~。夜中から朝にかけてずっと作業してたってことだろ? コーヒーの手順はよくわからないけど、とんでもなくめんどくさいということだけはわかる。
「満を持してついに完成しました! サラ様、どうぞお飲みください! 完璧な完璧な一杯です!」
「お、おう」
手渡されたカップにはなみなみに注がれたなにやら黒い物体。……ちょっと待って落ち着け。
『症状。異常な興奮、激しい動悸に体の震え。そして、強い覚醒状態』──コーヒーを前にして手記の記述を思い出す。ど、どうしよう。異常な興奮ってなに? 激しい動悸? 体の震え? 覚醒状態?
こ、怖い。手が震える。本当に大丈夫なのか、今になって超心配になってきた。こ、こういうときは。
「チ、チハヤ、最初に飲んでいいよ。ほら、チハヤが最初に飲むって言ってたじゃん」
「もう飲みました。サラ様が来るのを待ちきれなかったので」
飲んだんかい!? ここで飲んで様子を見ようと思ったのに!! しかも、待ちきれなかったって!
空気読めよ! チハヤが飲んで、「問題ないです。おいしいです」「そうか。じゃあ、試してみる」の流れだろうがそこはよ!
「さあ、どうぞ。サラ様」
くっ……。チハヤがいつになく子どもみたいにキラキラとした瞳でこっちを見てくる。
逃げられる状況じゃない。そうだ。逃げてる場合でもない。村の名物にしなきゃいけないんだ。村を大きくしてギルドも大きくして稼げるギルドにしないといけないんだ。
ごくり。喉が鳴った。呼吸もなんか怪しい。大丈夫だよな? 本当に大丈夫だよな!?
お、落ちつけサラ。落ち着くんだ。こんなに一人言を言っている場合じゃない。長い、怪しまれる。
高級品を味わうつもりでいこう。まずは、香り……うん、部屋に充満している香ばしいにおいがする。ま、まあ、まあおいしそうな気がする。
見た目は、真っ黒だが。王都のエルサ邸で黒い料理は出た気がする。確か、イカスミパスタとか言うやつだ。大丈夫、黒い食べ物だってある。
「サラ様、どうしたのですかお早く。今が最もこのコーヒーの香りと味が引き立つ絶妙な温度なのです」
そんな温度まで指定されんの!?
「うっ、わかった。ゆっくり味わおうとしているだけだから。今、飲むから」
恐る恐る。悪魔の森に侵入したときよりも恐ろしい気持ちで、私はコーヒーに口をつけた。
「………………」
「どうですか!? サラ様! お味は!?」
「……苦い」
あれ? ちょっとおかしいかな? すごい苦い気がする。
「その通りです」
えぇ!? そうなの!? こんな苦いのに合ってんの!?
「サラ様。その苦味の奥にあるものを感じ取ってください。わかりませんか? 芳醇な香りとほどよい酸味、そして舌の上に残るコクが……!!」
難しい言葉使うなよ! わかんないよ、正直!
「香りはわかるけど、酸味? コク? ごめんだけどチハヤ、私にはちょっと合わないかも……」
こんな苦い飲み物、売れるか? チハヤには悪いが泥水と間違われるんじゃ──。
「なぁに~? 朝から大声で騒いで。こっちはまだ眠いんだけど。うん? あぁ、すごいいい香りね。できたんだ。あっ、そのサラちゃんが持ってるやつ? ちょっと飲ませてよ」
起きてきたクリスさんが私のカップをつかんでコーヒーを飲んだ。
「クリスさん!? あの、これ──まだ試作品で、もしかしたら変な症状とか出ちゃうかもしれないやつで、しかも味がものすごく苦いです!」
やばい! 変なもの飲ませんなって怒られるかもしれない。そう覚悟を決めていたら、クリスさんの目がカッと見開いた。
「なにこれ! すごいおいしい!! ちょっと、もう一口飲ませてよ!」
え? おいしい? おいしいって言った? 今。
「クリスさん、さすが舌が肥えていますね。わかりますか? この苦味の奥にある──」
「うん、わかる、わかるよ! 紅茶よりもすごい苦いけど、香りとそしてどこかフルーティーな味わいにこのコク、そして飲み終わった後の口の中のキリッとしたさわやかさ! こんなの飲んだことない!」
「……えっ?」
そんなバカな! ただ苦いだけじゃ──。
「コーヒーって言うの? これ! 絶対売れる! ウチの店にも置きたいくらいだ!」
「ありがとうございます! よし、さっそく村のみんなにも飲んでもらいに行きましょう!!」
「絶対、その方がいいって! この味知らないのもったいないって!!」
「……え~?」
ウソ……だろ?
二人してキャッキャッと盛り上がっているなか、私はぽつんと置いてけぼりになった気分でいた。