「おっ! なかなかおいしいじゃないか、このコーヒーって飲み物!」
めまいがしそうだ。ありえない、そんなバカな!
早朝すぐに、それこそ朝食も食べずにチハヤとクリスさんは村のみんなにコーヒーを勧めに行った。半信半疑、いやかなり怪しいと思っていた私は、朝日のようにキラキラと輝く二人の瞳にさらにうさんくさい思いを高めながらいっしょについていく。
てっきり思っていた。二人の味覚がおかしいのだと。チハヤは普段から紅茶をよく飲んでいるし、コーヒーの味にこだわっているし、クリスさんは毎日お酒を飲んだり、妙なお酒を日々開発したりしている。だから、きっと苦みを感じなくなっているんじゃないか、と。
でも、違った。
「いやいやいや、なかなかどうしてこの苦味クセになるね」「ん!? おいしい! 今まで飲んだことのない味だよ!!」「いいね~毎日でも飲みたいくらいだ! なに? まだ売り物じゃないの?」
今まで会った村のみんな、全員が全員コーヒーをうまいと言っている。これじゃあ、私の方がバカ舌みたいじゃないか!
掃除屋のシーラさんに飲んでもらったときなんか──。
「……はぁ。この苦味、まるで人生のよう。苦味のなかに奥深さがある。サラちゃん、わかる? この味は人生そのものよ」
なんて、いつもと違う口調で私になにかを諭そうとしていた。結局、その意味はみじんもわからなかったわけだけど。
そんなこんなで村の数人から大好評だったコーヒーを、チハヤはその後すぐに村長に飲ませに行くのだった。
「こ、これが悪魔の森にあるという伝説の実で作った飲み物……」
村長のなかではいつの間に伝説の実になってしまっている。気持ちは、わからないでもない。私も飲むとき、そうとうためらったから。村の掟に一番厳しい村長の抵抗の気持ちは、たぶん私が王都に行って、もう一回あの人酔いを体験してこいと言われるようなもの。伝説の一品に格上げされていてもしょうがいない。
……でも、後世に残る村長の日記に「伝説の実で作ったコーヒー」とか書かれるんだろうか? それはなんか嫌だな。
村長は、震える手でチハヤからカップを受け取ると、喉の奥からぐぅうみたいな拷問された人のような声を出した。見たことないけど。想像だ、想像。
「味は私とクリスさんが保障します。それにすでに数人の村人がコーヒーを口にして、五体満足でいます」
なにそれ? 悪い実験している人のセリフじゃん。
「村長。その舌でじっくり味を確かめてくれ。そして、許可を出してほしい。サラちゃんのギルドでコーヒーを取り扱っていいって」
「はい? クリスさん、そんな話私一言も──」
「の、飲みますぞ!!」
あっ。抗議する前に村長は目を閉じてコーヒーへ口の中へ入れた。押し寄せるよ苦味が! 苦いよ! あれは!
そして頼む。村長! どうかおいしくない──いや、せめて微妙だと言ってほしい! 認められたらコーヒーで稼げるかもしれない! だけど、私が味オンチだと証明されてしまうかもしれない!
私は祈るように目をつぶった。……数秒待ったが、反応はなにもない。おそるおそる目を開ければ──。
村長の顔は柔らかな陽気に包まれているみたいに恍惚とした表情に変わっていた。あっ、ダメだわこれ。
「なんという……なんという。なるほど、わかりますぞ。今なら、歴代村長がなぜ悪魔の森の立ち入りを禁忌としてきたのかその理由が。これは、あまりにも苦い。じゃが、それ以上に深い。昔、聞いたことがあります。『深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいているのだ』。つまり、深すぎるこの味に出会ってしまってはもうこの味を求めてしまう。悪魔の森、伝説の実とはこのことじゃった……」
なにを言ってるんだ。
「ほう、奇遇ですね。私の元いた世界にも同じ格言がありますよ。世界はどこでも同じものなのかもしれないですね。つまりは、深過ぎるものは、深過ぎるがゆえに自分すら呑み込んでしまうこともある──と」
お前もなに言ってんだ、チハヤ。
ツッコミが大人しくなってしまう。なぜなら、村長までもがこんなにおかしくなるくらいにこんな苦過ぎる飲み物がおいしいと認めてしまうと、いよいよ私の舌がおかしいことになってしまうからだ。
くそっ! どこかにいないのか! 私のこの気持ちをわかってくれる人は! 共感してくれよ~!!!
「それで、村長どう? このコーヒー、ギルドで取り扱ってもいいの?」
「もちろんじゃ。もちろん、いいぞ。これぞ、ワシが求めてきたアビシニア村の新しい名産品、コーヒーじゃぁああああああ!!!!!」
村長は興奮して叫ぶと、どこかからハンカチを出して目尻に流れる涙をぬぐった。
そんなことより、こんなことより、なんで私がおいしいと思わない物を売らなきゃいけねーんだよ!!
*
ギルドの受付にはどこで手に入れたのか、大量のカップが並べられていた。手軽に飲めるようにと、ソーサーすら置かれていない。
「さて、と。昨日、集めた分の残りでなんとかなりそうです」
チハヤは必要以上に生き生きと隣の酒場とギルドを行き来して、またコーヒーを作ったらしい。4つ置かれたティーポットには紅茶ではなく、全部コーヒーが入れられている。
「村長とクリスさんが手分けして宣伝してくれていますので、間もなく村人がやってくるかと」
はぁ。ため息が漏れる。結局、先にギルドに来ていたエルサさんもトーヴァもコーヒーの虜になってしまっていた。二人は今、修行と言って悪魔の森に出かけている。たぶん、おそらく絶対、さらにコーヒノキを見つけようと、草木を刈っていることだろう。……たしかに修行にはなるかもしれないけど。
「ご機嫌ナナメですね。サラ様」
「機嫌が悪いと言うか。なんでギルドでコーヒーを売らないといけないのかと思って。私はいいなんて言ってないし」
だいたいおいしくないし、絶対おいしくないんだからな!
「売りませんよ」
「はっ? でも、クリスさんがさっき村長にギルドで取り扱っていいかって」
「ギルドで取り扱う。そんな小さな話ではありません。サラ様も言っていたはずです。海を隔てた大陸からも客が来るほどすごい名物になるのか、と。大陸を相手にするのであれば、村の中で商売をするような小さいやり方をしている場合ではありません」
「じゃあ、どうするって?」
チハヤの顔がこちらを向く。その笑顔には邪悪な成分が存分に含まれていた。
「村中でコーヒーチェリーを収穫します。そして、コーヒー豆の精製から場合によっては焙煎まで村のみなさんで協力して行います。つまり、村の総出でコーヒーを世界に売るのです。これは、そのための重要な一歩。村の人たちをコーヒーの虜になってもらいます」
「おい、お前それって──」
まさに悪魔の所業じゃねぇか!
「チハヤ! 村の人たちはみんな仕事してるんだ! しかもちょっと前、っていうか昨日まで悪魔の森は誰も立ち入れなかったんだぞ! そんなことできるわけないじゃん!!」
「もちろん、ゴーレムも投入します。しかし、コーヒーチェリーの収穫だけは人の手で行う必要があります。問題ありません。コーヒーにはそれだけの魅力がある……っとお客さんですよ」
くっ! チハヤの企みはあとだ! まずは来てくれた人の相手をしないとってぇええええええええ!!!!
見たことある! 見たことある光景だぞ! これ! ギルドの噂が広まったときと同じ……!
「人が! 村のみんなが押し寄せている!!!」
あまりの騒ぎに今さっきまでソファで寝ころんでいたグレースが起きてしまった。
「おぉ! 聞いたよサラちゃん! なんか伝説級の飲み物『コーヒー』とやらが飲めるって!」「村長が泣きながら訴えていたわ! 『村の新たな歴史じゃー』って!!」「俺は気絶するほどのうまさだって聞いた!! クリスさんも夜は酒、昼はコーヒーだって! あのクリスさんに言われたら来ないといけないよな~」
おいっ!!! 村長にクリスさん!!!! 話盛ってんじゃねぇよ!!!!
「どうぞ、順番に並んでください。こちら、私が淹れた異世界で大人気の飲み物、コーヒーです。紅茶感覚で飲める新たな嗜好品! 今、みなさんに無料で提供しますから。どうぞ、どうぞ」
「異世界の飲み物!? 本当に伝説級じゃねぇか!!」「チハヤさんが言うなら問題ないわね!」「気絶するほどのうまさを無料で!!」
チハヤも話をあおるな! 村のみんなの期待度がめちゃくちゃ上がってしまう!!
「あーちょっと~!!!!」
私が止めようと手を上げるも、もう遅かった。次から次へと人が並び、チハヤが尋常じゃないスピードで注いでいくコーヒーをまた一人、また一人と飲んでいく。
苦味に驚くような顔もあれば、感嘆の声をもらす人、急に悟ったような表情になる人からなぜかカッコつける人まで様々な反応を見せるけど、飲み干すとみんな決まってこう言う。
「うまい」と。
別の口から違う声で何度も何度も繰り返される「うまい」の合唱は、ハーモニーとなり私の耳にこびりついた。
あ~やめろー!! 頭がおかしくなる!
「作戦、成功です」
両手で耳をおさえていると、満足そうな顔をしてチハヤがやってきて、なんと耳元でささやきやがった。
てっ、てめぇ! 殺す気か! 今、私のこの絶壁手ガードがなければ直接耳朶に息を吹きかけられるところだった。
*
ひと騒動が終わった後、私はヘトヘトになってグレースといっしょにソファでぐったりと横になっていた。そこへ、例の香ばしいコーヒーのかおりがやってくる。
香りだけはいいんだよな~香りだけは。
「サラ様。コーヒーの用意ができました。グレースの分もあります」
目を開ける。むくりと起き上がるとボサボサのグレースの髪の毛をとかしてあげながら、仕方なく受付のイスへと腰かけた。
「……で? 飲めないよ? 苦いもん。バカ舌とバカにされるかもしれないけど、正直に言って私はおいしいと思えなかった!」
「その通りです。コーヒーは苦いのです」
「はぁ……? でも、みんなあんなにおいしそうに飲んでたけど……」
「それは、大人だからです。ただ、コーヒーにはこういう飲み方もありますので」
そう言うと、チハヤは私とグレースの分のコーヒーにミルクを入れた。黒かったコーヒーの色がミルクの白と混ざり、マイルドな茶色に変わる。
「飲んでみてください。味が変わりますから」
「う、うん。わかった」
わかったから、そんなじっと目を見つめないでくれ! 心臓がもたない!
グレースと顔を見合わせると、「せーの」と合図してティーカップを傾ける。でも、あんなに苦かったものがミルク入れただけで変わるわけ──あったわ。
え……全然違う。あんなにストレートな苦味だったのに、今は液体の色と同じようにマイルドな味に変わっている。そして、感じなかった苦味の奥にある味わい深さみたいなものが確かに舌に残った。
私たちはもう一度顔を見合わせた。この反応、間違いない。グレースもおいしさに気づいている!
「まだ、苦味が気になるようでしたら砂糖を入れることでさらに苦味が緩和されます」
「いや、おいしいよ! チハヤ! これが! この味が!!」
「そう、コーヒーです」
すげぇ! なんだこれ! 紅茶もミルク入れると味が違うけど、そもそもそこまで苦味はない。だけど、コーヒーはこんなに変わるのか! ただ苦いだけじゃないこの味なら! 確かに世界に通用するかもしれない!
「チハヤ! やろう! コーヒー栽培!! 大陸に売りまくろう!!!」
「サラ様! ありがとうございます! 村の発展、そしてギルドの発展のためにコーヒーを世界へ!!」
「おー!!!!」
珍しく息の合った私とチハヤは、なぜか勢いのままハイタッチをかます。でも、チハヤの笑顔を見ながら私は、聞き捨てならない言葉を言われたことを思い出した。
「ちょっと待て、大人だから飲めるって言った? 言ったよね!? ミルク入れないと飲めない私は、まだ子どもってことかよ!?」