聞いたこともない大声を出したマリーは、我に返ったのか咳払いを一つした。
それで今のがなかったことにはならねぇけどな!
「失礼いたしました。わたくしとしたことが少々取り乱してしまいまして」
いやいやいや! 少々じゃないからね! ……と、つっこみたくてむずむずしてしまう自分を抑える。今は耐えるときだ、サラ。
はっ!!! 待って!?
「っていうか、美味しかった?」
「ええ。とても美味しい飲み物ですわ。コーヒー。確かに紅茶と比べると苦味は強いですけれども、苦味の奥にとても濃厚なコクを感じます。さらに香ばしいかおりと爽やかな口当たり。これが異世界転生者が気に入る飲み物──納得ですわ」
「そ……そんな……バカな」
大人の味じゃなかったのか? 私の舌がやっぱりバカっていうこと? いや、まさか──。
私は改めてマリーを見る。黙っていれば人形のような綺麗な顔立ちに、切れ長の翡翠の目。それからきっちりセットされたピンク髪のツインテール。
こいつは私より大人ってことなのか!?
「どうしたんですの? カエルがびっくりしたような顔をして」
「はっ! い、いや! 美味しかったならそれでいいんだ。そしたら、取引の方は……!?」
マリーは、もう一口コーヒーを口へ運ぶと、目をつむったまま深くうなずいた。
「……サラ。他にコーヒーの買い手はいるのかしら?」
「え、買い手? いないことも、ないけど」
エルサさんのパパ&ママとか。
「なるほど。本当はチハヤのコーヒーを飲んでから決めようと思っていましたが、この味──他に売られるわけにはいきませんわね」
マリーはイスから立ち上がると、私の目の前までやってきて腕を組んだ。
「取引成立ですわ! このマリアンヌ・アレンシュタイン! サラ・マンデリンからコーヒーを買い取りますわ!!」
「え!? マジで!? やったぁああああ!!!!!」
*
諸々の条件は実際にアビシニア村でチハヤも交えてということで、私の王都での任務は終わった。しかも、せっかくだからとマリーのギルドに設備されている宿の貴賓室に泊まらせてもらえることになった私は、調子に乗ってチハヤに報告しようとクローバーの髪飾りを触るも……。
「あっ、そうだった。ここだと遠すぎてチハヤと話はできないんだった」
なぜか声のトーンが落ちる。ちょうど、部屋の鏡の前にいた私は、鏡に映る自分の姿を見つめた。
『なんだ、ブローチ外しちゃったの? 二人の愛の結晶なのに』『いつも付けてたじゃん? うれしかったんでしょ? チハヤくんからのプレゼント』
昨日のクリスさんの言葉がよみがえる。私……なんで王都に来てまで律儀にブローチを付けてんだ? チハヤと話せないのは知っていたのに。
鏡に指を触れる。前回、エルサさんに髪を切ってもらってから1カ月ちょっと。髪の毛は伸びたけど、変わらずブローチは頭の上で輝いていて。
私……もしかして……。
うにょお、と変顔をする。
「へっ、そんなわけないだろ。髪飾りをつけているのは、ただの習慣! チハヤに報告しようとしたのも、いつもの癖だし! だいたい! 誰かにグチりたかったんだよね~あのマリーの前でつっこみを我慢するのがどれだけ大変だったか!! それになんであいつそのままコーヒー飲めんだよ!! ってか、カエルがびっくりしたような顔ってなんだよ!!! そんな顔じゃないわ!!」
あースッキリした。これこれ、結局これが必要だったってワケ。チハヤはただのグチり相手というか、まあ執事だし?
「……あっ、あうあぅ」
グレースが服の袖を引っ張っていた。スッキリした私は大きく伸びをして振り返る。
「なぁに~グレース? そうだ、どこか行こうか! 仕事は終わったし、おいしいもの食べにでも……」
私は氷のように硬直した。なぜなら、なぜか気づかぬ間に部屋の扉が開けられていて、そこにはイケメン眼鏡のヤマトさんが立っていたからだ。
「…………」
えっと。落ち着いて考えるんだ。なぜ、ヤマトさんがここにいるんだ? いや、今はそれより問題は、今の独り言を聞かれていたかどうかってこと!!
ヤマトさんは笑顔でいたが、その笑顔はどこか引きつっているようにも見える。
「あの、すみません、今の話──」
ヤマトさんは、非常に居心地が悪そうにうん、とうなずく。
氷は砕け散った。終わった。なにもかも──今の話がマリーの耳に入れば、ここを追い出される。最悪、「取引やっぱりやめましたわ」、なんてことにもなりかねない!
「あっ、でもオレ、今の話聞かなかったことにしますよ」
「聞かなかったこと?」
「うん、そうです。聞かなかったこと、内緒にします。……サラさんと話がしたいんで」
「えっ?」
ドキュン!っと心臓が跳ねた。トクン、どころじゃないドキュンだ。
「話がしたいって、どういうことですか?」
落ち着け~落ち着くんだ~サラ~一世一代のチャンス……じゃなくて、イケメンにだまされるぞ~。
ヤマトさんは自然な笑顔になると、ポリポリとほっぺたをかいた。
「あっ、いや変な意味じゃないんですけど。こっちへ来てから、オレと同じ異世界転生者の話って聞いたことがなかったんで、そのチハヤさんのこと、前からどんな人なのか気になってたんですよね」
「はぁ」
警戒を解いたのか、急に気さくに話しかけてくるヤマトさん。私は、どこかへ行こうとしたグレースの手をぎゅっとつかんだ。
「ようするに、すいません。チハヤさんのこと、いろいろ聞かせてもらってもいいですか?」
「そ、そういうことなら……どうぞ」
「ありがとうございます!」
ヤマトさんの笑顔は、太陽のように明るかった。