喫茶店の中は全体的に白と黒を基調としたインテリアでまとめられていました。私は派手派手しいのが苦手なので、なんだか落ち着きます。
ディートファーレさんはマスターに軽く手を挙げました。
「やぁマスター。入れるね?」
マスターは読んでいた新聞を折りたたみ、顔を上げました。
私はひと目見て、マスターの清潔感に対する意識の高さを感じ取ります。
灰色の髪はオールバックスタイルに整えられており、ベストは丁寧にアイロンが掛けられています。
ダンディー、という言葉はこの方のためにあるのではないかと思ってしまいました。
そんな私の視線に気づいたのか、マスターは私に微笑みかけます。ジロジロ見ているようで、失礼だったでしょうか……。
マスターは何も言わず、すぐにディートファーレさんの方へ視線を向けます。
「入れないと思っている人はそういう聞き方をしないさ。良いよ、ちょうど休憩したかったところなんだ」
そしてマスターは改めて私の方へ向きました。
「可愛らしいメイドさん。一つお願いだったのだが、そこにぶら下がっている看板をひっくり返してもらえないかな?」
「これですね。分かりました」
言われるがまま、私は扉にぶら下がっている看板をひっくり返しました。外から見て『営業中』から『準備中』に切り替わりました。
ディートファーレさんが何者かは分かりませんが、そういう配慮をされる方なんだなというのは分かりました。
木製の椅子に座ったディートファーレさんは二本指を立てます。
「私とメイドちゃんに紅茶を」
「あぁすまない。今日は無理なんだ」
「はぁ!?」
するとマスターは右手を見せてくれました。手首には包帯が巻かれています。
「この間転んだ時に、受け身を取るのに失敗してね。治るまでは紅茶を入れないようにしているんだ」
「紅茶を淹れるのに影響があるの?」
「当たり前さ。ティーポットに入れる茶葉の量は僕が試行錯誤を重ねた上で導き出したものだ。手首が傷んでいると、細かい調整ができないんだ」
「私はそういうのは気にしないわよ」
「僕が気にするんだ。ディートファーレ、君は僕の大切な友人だ。大切だからこそ、ちゃんとした紅茶でもてなしたい」
マスターの考えが私にとって、非常にかっこよく映りました。
「プロですね……」
思わず称賛の言葉を呟いてしまいました。するとマスターはにこりと笑ってくれます。
「分かってくれるのかい?」
「はい。もし誰かのために何かをするのなら、最高の結果にしたいと思っています。それが私を選んでくれた人への礼儀になるはずです」
「そういうことさ。お若いのに立派だね」
「えへへ……ありがとうございます」
「いい話になったところで、私の紅茶欲は止まらないわよ~」
「ふむ。困ったな」
マスターは腕を組み、考え出しました。
私は自分の両手を見ます。私の仕事、マスターの手首の状態、ディートファーレさんががっかりしていること。うん、やるべきことは決まっていますね。
「あの、マスター。私が淹れてもいいでしょうか……?」
「君がかい?」
「は、はい。紅茶の淹れ方には心得があります。器具と材料を使わせてもらう形にはなってしまいますが、それでも良ければ……」
「ディートファーレは紅茶が飲めれば良いのかい?」
「マスターの紅茶が、ね。でももう紅茶欲が最高潮だから、アメリアが淹れてくれるのなら飲みたいわ」
「決まりだな」
何度か頷いたマスターはカウンターを出ました。
「ここにある物は自由に使って良い。代わりといってはなんだが、僕にも一杯淹れてもらえないだろうか。僕は自分で淹れる紅茶も好きだが、人が淹れてくれた紅茶も好きなんだ」
「分かりました。このアメリア、全力で紅茶を淹れさせていただきます!」
なんだかメイド時代を思い出します。最初は紅茶の淹れ方なんて、全然分かりませんでした。本を読みながら淹れてみましたが、あまりにも不味かったみたいで、旦那様にめちゃくちゃ怒られた記憶が蘇ります。
あのときの私と今の私、一体どれだけ成長できたか、勝負の瞬間ですね。
そう考えるととてもやる気に満ち溢れてきます。私は持てる技術の全てを込め、紅茶を淹れました。
「どうぞ」
「ふむふむ」
「ありがとうアメリア! もう待ちきれなかったわよ! 早速頂くわね」
ディートファーレさんとマスターが同時にカップに口をつけました。
すると、二人の表情が変わりました。二人とも静かにカップを置きます。どういうことでしょうか。もしかして不味かったのでしょうか……?
「洗練された動きだったから期待はしていたが、これは……」
「この紅茶……」
「えっ? えっ!? 何か駄目なところがあったんですか!?」
マスターは首を横に振った後、再度カップに口をつけました。
「美味い。同時に私の思い上がりを感じたよ。私は自分で勝手に限界を決めつけていたようだ。今日からまた紅茶を淹れる練習をしていくことにする」
「なーにしんみりしてるのよマスター。でもアメリア、君の紅茶はめっちゃくちゃ美味しいわ」
そう言いながら、ディートファーレさんはカップをぐいとあおり、一気に飲み干してしまいました。
私はプロのマスターとディートファーレさんに褒められたのが嬉しくて、顔がニヤケないようにするのが大変でした。
「可愛らしいメイドさん、名前を聞かせてもらえないだろうか?」
「アメリア・クライハーツと申します」
「アメリア、またいつでも良いからここに遊びに来てくれないだろうか。君の技術を学びたいんだ」
「わっ私なんかで良ければまた遊びに来ます!」
「アメリア、そのときは当然私も行くからね」
するとマスターは呆れたような視線をディートファーレさんに向けました。
「ディートファーレ、また仕事を放棄するつもりだね?」
「息抜きよ。あんなところでチマチマ書類なんて書いてたらカビてしまうわよ」
「そういえばディートファーレさんって何のお仕事をされているんですか?」
「んー? サンドゥリス王国軍で事務仕事をしているわよ。事務員よ事務員」
なるほど、と私は納得しました。実はディートファーレさんが肩に掛けている上着にどこか見覚えがあったような気がしていましたが、軍人さんだったのですね。
何故かマスターが遠い目をしていました。なぜそんな目をしているのか質問してみましたが、はぐらかされてしまいました。
「ではその事務員さんに質問だが、いつまでもこんなところで時間を潰していて大丈夫なのかい?」
マスターが親指で壁掛け時計を指し示しました。
ヘラヘラ笑っていたディートファーレさんが時計の針を確認すると、一瞬で真っ青になります。
「大丈夫じゃない! ヤバいわ! 会議に遅刻する!」
立ち上がったディートファーレさんがお金をカウンターに置きます。
「マスター、これお金。アメリア、申し訳ないんだけど私、これから絶対に出ないとならない会議があるから、これで失礼するわ」
「え、え? このお金、もしかして私の分もですか?」
「そうよ。あぁヤバい! 怒られる!」
扉に手をかけたディートファーレさんは最後にこう言い残していきます。
「アメリア、なんだか君とはまた会えるような気がするから、さよならは言わないわ。また今度ね、と言わせてもらうわ」
そうしてディートファーレさんは風のように去っていきました。
喫茶店には私とマスターだけになりました。私がポカーンとしていると、マスターはそのお金を小箱に収めました。
「このお金は後でディートファーレに返すよ。そもそも、君が紅茶を淹れてくれたのだから、代金を請求するつもりはなかったんだ」
「良いんですか?」
「じゃあ言い方を変えよう。君が美味しい紅茶を飲ませてくれたので、差し引きゼロ。これでどうだい?」
「マスターがそれで良いというのなら……。ありがとうございます」
私も退店しようとした時、マスターがボソリと呟きます。
「それにしてもディートファーレ、遅れてないと良いが……。仮にも軍団長が会議に間に合わないなんて、笑い話にもならない」
「……今なんと?」
「おっと……歳かな。思った以上に声が大きかったみたいだ」
「ディートファーレさんって、軍団長さんなんですか?」
「……今度紅茶一杯タダにするから、今の話は内密にしておいてくれないかな?」
今日の私の一日は、朝とんでもない事実が明かされ、終わることとなりました。