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第2話 無能と呼ばれた少女に、結婚を夢見る恋愛思考はありません

 いたずらな風は、煌びやかなドレスや丁寧に結い上げられた髪を乱して吹き抜けていく。お祝いに集まった令嬢たちから、次々に小さな悲鳴が上がった。


 私も思わず小さく声を零し、前髪が乱れないように慌てて抑えようとした。すると、上げた手からハンカチがはらりと抜けていった。

 風が私の宝物を攫ってしまうと気づき、とっさに指を伸ばした。

 だけど、一段と強い風が吹き抜け、ハンカチは風に流されていった。


「あっ! お母様の……」

「何をしているのです。行きますよ」

「で、でも……!」

「あのような古い布切れを今でも持っているだなんて、恥ずかしいと思わないのですか」


 眉間に深いシワを刻んだ継母は、小声で「だから捨てたのに」と憎々しそうに吐き捨てた。

 捨てた──なんども捨てろといわれ、奪われ、その度に取り返してきたことを思い出し、堪らずに唇を噛んだ。


 今度も、取り返す。失ってなるものかという思いを胸に、必死に手を伸ばした。

 私の手首を継母の手が掴んだ。

 柔らかい肌に赤く塗られた爪が食い込み、ピリリと痛みが走る。


「行きますよ」


 冷たい言葉とともに、乱暴に引き寄せられる。

 まるで重たい荷物を引っ張るように引きずられ、つま先が地面に突っかかった。もつれるようにして足を踏み出し、慌てて後ろを振り返る。


「お継母かあ様、お願いです。あのハンカチは……!」


 赤い薔薇の刺繍があしらわれた白いハンカチは、まるで蝶のように青空に翻る。

 手を伸ばしても、もう届きそうになかった。

 目の奥が熱くなるのを感じ、唇を噛みながらハンカチを目で追う。


 どうにか、どうにか取り返したい。嫌だ。あれは、お母様の大切なハンカチよ。大切な、私の宝物なの。


 諦めきれずに目で追い続けたけど、背丈の低い私は、すぐにハンカチを見失ってしまった。


 引きずられるように歩きながら、落胆に俯きかけたその時だった。


「お待ちください」


 少し低いけど爽やかな声がかけられた。

 継母は、男の声と分かるや否や足を止めた。


「ハンカチを、落としましたよ」


 涙を零しそうになるのを堪え、私は顔を上げた。

 そこに立っていたのは、魔術師団の正装に身を包んだ綺麗な男の人だった。その筋張った大きな手が、私の宝物ハンカチを差し出している。


 瞬きを繰り返し、おずおずとハンカチを受け取る。


「……ありがとうございます」

「いいえ。今日はずいぶんと風が強いので、お気をつけて」


 ずいぶんと背の高いその人はにこりとも微笑まず、軽く頭を下げると私のお父様に近づいていった。


 ハンカチを握りしめ、私はそっとその人の様子を伺った。

 お父様が長を務める第五師団の方かしら。それで、見回りをしていたのかもしれないわ。あるいは、どこかの貴族のご子息で招待客……でも、それなら魔術師団の礼服ではなく、周囲の令息のように着飾ってくるわよね。


 周りもそっと伺ってみたけど、魔術師団の方は他にいなさそうだった。

 お父様と何か話し始めたその人の髪は、とても美しいプラチナブロンドだ。それをきっちりと一本の三つ編みにして結んでいる。あれを解いたら、さぞ豊かで長いだろうな。


 ふと、彼が長い髪を解いたところを想像した私は、どうしてか、まるでお姫様のようにブラシを当てて髪を梳く姿を想像してしまった。それは絶対にないだろう、おかしな姿だ。


 思わず笑いそうになり、慌てて口元にそっとハンカチを押し当てて隠して、笑い声を飲み込んだ。


 人を見て笑うなんてはしたない。継母に見つかったら、そう言われて叩かれるに決まってる。人混みの中でも、隠れながらあの扇子で背中やおしりを強かに叩かれるのよ。

 そんなの絶対に嫌だもの。気付かれないようにしないといけないわ。


 それにしても、にこりとも笑わない人が、誰かに髪を梳いてもらっているなんて、ちょっと面白い姿よね。

 お礼は云うのかしら。あるいは、当たり前のような顔で手入れをしてもらっているのかもしれない。どこかの有力貴族なら、ありうるわ。──考えれば考えるほど、笑いが胸の内で沸き上がった。


 気持ちを落ち着けようと息を吸い、ふと思う。あの人も、どこかのご令息なのかしらと。

 もう一度、その姿を目で追うと、扇子を口元に当てた継母が私の耳元に顔を寄せた。


「諦めなさい。無能なお前には縁のない男よ。まぁ、そこらの小娘にも言えることでしょうけど」


 継母が何を言っているのか分からなかった。


 悪趣味な扇子がパチンと閉じられ、辺りをすっと示すように動かされる。その先を見て、周囲の令嬢たちの視線が彼に向けられていることに気付いた。


 幾人もの令嬢たちが、ひそひそと話しながら彼を見ている。

 彼はそのことに気づいてはいないのだろうか。にこりとも笑わず、着飾った令嬢の誰一人とも視線を合わせなかった。


「無能なお前が、良き伴侶なんて望むんじゃないわよ」


 耳元で告げられる嘲りに、唇を噛んで耐えた。

 そうか。ハンカチで口元を隠した私を見た継母は、私が彼の姿にときめいて頬を染めていると勘違いしたのね。お父様が、良き伴侶をなんていったからだわ。


 そんなこと、微塵も考えていなかったのに。

 だって私は恋愛をするどころか恋愛小説を読む暇すらないのよ、無能と蔑まれて毎日を送っているのに、どうして男性との結婚を思い描くような乙女思考になれるっていうの。


 今日からお姉様はいない。

 継母から私を守ってくれる人は、もういないのよ。

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