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第35話 私はケリーアデルを母親と認めない

「ご婦人、落ち着いてください。両家の証人の署名はすでに行われています」

「レドモンドの権利を、勝手に譲渡するなんて許せるわけがないでしょ!」


 司祭様の言葉を跳ね除け、ケリーアデルは私を悪者にするような言葉を喚いた。

 そうよね。私が持っていた権利を無条件でロックハート家のものとするなんて条件を、貴女が認める訳ないわ。

 でも、勝手に譲渡するわけじゃない。


 私がお父様から引き継いでいた権利を、ヴィンセント様に譲渡するだけよ。親族からの承諾も得たわ。書類もそろえた。何一つ、不備はない。


「はした金でレドモンドをロックハートに売るなんて、情けない。この無能が!」


 どこまでも、私を無能と罵るのね。

 でも、その呪いの言葉はもう私を縛らない。


「はした金というのは、我が家の届けた結納金のことを仰られているのかしら?」


 淡々と問われるローゼマリア様に、ケリーアデルは今にも噛みつきそうな顔をする。


 はした金なんて、とんでもない。私が離れることで苦労するであろうレドモンドの親族、魔法繊維を製造している工場こうば、職人、農家、多くの人たちへの支払いに数年困らないほどの財産を納めてくれたのよ。私の持参金となる権利は、それでも足りないくらいだといっていた。


 多額の結納金に舞い上がっていたじゃない。忘れてしまったのかしら。

 いいえ、想像もしていなかったのでしょうね。

 だって継母あなたは、なにも持参することなく後妻に入ったのだから。


「母である私の承諾なく進めるなんて、許せるわけないでしょう!」


 困った顔をした司祭様は、ローゼマリア様の方に視線をずらした。


「ロックハート家からは私ローゼマリアが、そして、レドモンド家からはヴェルヘルミーナの祖母であられるファレル伯爵夫人が証人として署名いたしましたわ」

「それがおかしいのよ! なぜ、母親である私がいるのに、わざわざ外から証人を呼ぶの!?」


 ケリーアデルの訴えに、静かな微笑みを浮かべるローゼマリア様は、少しだけ首を傾げた。


「おや、おかしなことを言われますね。ヴェルヘルミーナの母はすでにご逝去されたと、聞いていますが。違いますか、ヴェルヘルミーナ?」


 ローゼマリア様に答えるべく、私はドレスの裾を揺らして振り返った。

 ことの顛末を知るお祖母様、フォスター公爵夫妻は静かな表情のままでこちらを見ていた。ペンロド公爵様は脂汗をかきながら足をガタガタと震わせてる。でも、横に座る夫人は瞳を伏せて微動だにしない。なんて、胆の座った女性だろうか。


「無能なあなたを育てた恩を忘れたの!?」

「私の母は、私が十歳の時、天に召されました」

「それは実母の話でしょう!」

「……私の母は亡きマリーレイナただ一人でしたが、本日よりローゼマリア様を母と慕い、ロックハート家に──」

「お黙り、ヘルマ!」


 趣味の悪い扇子を私に向けたケリーアデルが、けたたましく私を呼んだ。


 その声に、条件反射的に体が震えた。まだあの呼び名は、無能で惨めな私へと引き戻そうとするのね。でも、ここで引きずられちゃダメ。


 ケリーアデルを追い出すのよ。しっかりしないと!


 乱れる気持ちを整えようと深く息を吐き出したときだった。私の肩に、ヴィンセント様の手が添えられた。見上げると、そこに優しい琥珀色の瞳がある。


 大丈夫、私は一人じゃない。


 大きく息を吸い、真っ直ぐにケリーアデルを見る。

 私が告げなくてはならない。自分の手で、彼女を追い出すのよ。

 ヴェルヘルミーナ、貴女は無能なんかじゃない!


「ケリーアデル。貴女をこの場に呼んだのは、祝福を頂こうと思ってのことではありません」


 震えそうになる声を抑え、醜悪にこちらを睨むケリーアデルから一寸たりとも視線を逸らさず、私は続けた。


「貴女と父には婚姻の事実はありませんでした。よって、ケリーアデルと亡き父アルバート・レドモンドの婚姻の無効を申し立てます!」

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