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第十八話 この名に懸けて

 思いを違える事のない証とするために。

 ルーカスはひざまづき、握ったイリアの手を額に掲げた態勢で、言葉を紡ぐ。



「君の過去を話す事は出来ない。だが、君の不安は理解できる。

 だから——この名にけて誓おう。

 この先何があろうと俺は——ルーカス・フォン・グランベルは君を助け、君の力になると」



 これは誓いを捧げる儀式。

 イリアの指先が小さく跳ねた。

 ルーカスはまぶたを開くと、不安に揺れる勿忘草わすれなぐさ色の瞳を射抜く。



「どうして、そこまで……」



 イリアは瞳をうるませて、唇を嚙んでいる。


 どうしてと問われれば、純粋にそうしたいと思ったからだ。

 だからと言って、軽い気持ちで誓うのではない。



「……君は恩人であると同時に、大切な友人だ。困っていたら力になりたい、頼って欲しい。

 俺を信じられないというならば、このつるぎを捧げて誓おう」



 ルーカスはイリアの手を解放すると、今度は壁へ立て掛けておいた刀を額に掲げた。



「我ルーカスは、なんじ——イリアの騎士として宣誓する。

 我は汝のつるぎが武は汝のために。我が心は常に汝と共にあり。

 決して汝を裏切らず、如何なる困難からも汝を守るつるぎとならんことを、今ここに誓う」



 かつて絶望のふちにいた自分をイリアが救ってくれたように、今度は自分が彼女を助け、救う存在になりたい。


 その一心から、ルーカスは騎士の誓いを贈った。

 騎士として、この先の人生を彼女へ捧げる覚悟はある。



「ずるいです……そんな、そんな風に誓いを立てられたら、私は……」



 見上げると、イリアの瞳からぽろぽろと涙が流れ落ちていた。


 自分の行動は励ましとしては少し……いや、かなり重いだろう。

 しかし、これは嘘偽うそいつわりのない気持ちだ。

 曲げる事など出来ない。



「負担に思わないでくれ。ただ、俺は何があっても君の味方だと伝えたかったんだ。

 だから、俺の前では強がらなくていい。泣きたい時は泣いていいんだ。気持ちを押し殺して、我慢する必要なんてない」


「……っ」



 イリアは肩を震わせ、声をらして。せきを切ったように涙を流し始めた。


 ルーカスは刀を床へ置くと彼女の隣へ寄り添って座り。

 自分よりも小さな震える体を、真綿でくるむように両腕でつつみ込んだ。


 イリアは声を殺して泣いている。

 その背中を優しく、リズム良く叩く。


 そうしている内にイリアはルーカスの胸にすがりつき、涙と共に胸の内に秘めた「怖い」「痛い」という気持ちを吐き出し始めた。



(……不安だったよな。目覚めてからこれまで、幾度となく不安を抱いたよな。

 知らない環境で、いくら親切な人がいて不自由はしなかったとしても……)



「そんな時に、傍にいてやれなくて悪かった……」



 呟いて、ルーカスはイリアを抱き締める腕に力を籠めた。

 任務で仕方がなかったとはいえ、後悔が胸を占めてゆく。


 ——前触れなく「コンコン」と、部屋の扉を叩く音がした。


 返事をする前に扉は開かれ、ふわふわの長い桃色の髪をなびかせたシェリルが顔をのぞかせた。



「お兄様、イリアさんは——」



 あざやかな柘榴石ガーネットの瞳がこちらへ向く。


 嗚咽おえつらし、涙を流すイリアは妹の訪問に気付いていない。


 ルーカスが左手の人差し指を立てて口元に当てると、動作の意味をみ取ったシェリルは静かにうなずき、扉は音もなく閉じられた。






❖❖❖



 イリアはひとしきり泣いた後。

 ゆっくりとルーカスから体を離して顔を上げた。

 泣きはらした瞳と目元は赤く、頬も紅潮こうちょうしているが、落ち着いた様子だ。



「大丈夫か?」


「……はい。泣いたら少しすっきりしました」



 イリアは晴れやかに笑った。

 気持ちを吐き出したことで少しは不安が消えたのだろう。


 良かった、とルーカスは心から思った。



「ごめんなさい、みっとも無いところを見せて。

 ……それに、服も汚してしまって」


「何てことないさ。服は洗えばいいだけだ」



 気にする必要はないと、ルーカスは笑って見せた。

 とはいえ、この状態ではイリアも気になるだろうし格好もつかないので着替えは必要だ。


 先ほど部屋を訪れたシェリルと、それからシャノンとリシアも、イリアの様子は気になっているだろう。

 三人を呼んで退室の口実にしようとルーカスは考えた。


 ルーカスは部屋に備え付けられたハンドベルを鳴らして、訪れた侍女に三人を呼ぶよう言伝ことづてる。


 程なくしてやってきた双子の姉妹とリシアは、部屋に来るなりイリアを取り囲んだ。


 シャノンが「心配したんだからね!」と涙ぐみながらイリアに抱き着き、シェリルは体調を案じて質問を投げ、リシアは診察を試みている。


 皆、イリアを心配していたのだと一目でわかる。



「それじゃ、書類これの続きがあるから俺は部屋に戻るよ」



 ルーカスが告げると、イリアを取り囲んだ三人が「あとは任せて(下さい)!」と、頼もしい返事をしてくれた。



「——あの! ありがとうございました」



 去り際に、イリアから今日、何度目か知れない感謝の言葉が伝えられる。


 振り向くと、彼女と視線が結ばれた。

 その瞳は穏やかな輝きを取り戻している。


 少しでも彼女の力になれた事を嬉しく思って、ルーカスは頬をゆるませた。



「ああ。また夕食の席でな」



 書類を手にルーカスは部屋を後にする。


 廊下の窓に目を向ければ、あかね色だった空はすっかり夕闇に包まれ、邸宅内には照明の温かな光がともり始めていた。


 ルーカスは彼女への誓いを胸に。

 自室までの道のり、光に満ちた廊下を歩んだ。






❖❖❖



 ——ルーカスはこの日、誓いを立てた。


 彼女の騎士として、名をけて、つるぎを捧げて。

 イリアを助け、イリアの力になる——と。


 イリアが何に巻き込まれているのか、実に何が待ち受けていようと、この誓いが揺らぐことは決してない。



❖❖❖






 けれどルーカスは、行動の根底にある感情には変わらずふたをして。

 心の奥へ奥へと沈めた。

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