軽い金属音と倒れた男が場を白けさせる。
倒れた騎士の後ろには、茶色の長い髪を後ろで纏めたエプロン姿の恰幅の良い女性がドンっと腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「ったく、ただでさえ街全体ややこしい状況になってんだから、店の前くらい大人しくしてろってんだ! 騒ぐなら、店の中で料理と一緒にするか、ウチとは関係ないところでやりな!」
歳は三十後半か四十前半くらいだろうか。経験から滲み出る肝が据わった行動と、緊迫した空気を吹き飛ばした晴々とした一喝。
見た目通りというべきか、懐も広いようで面倒見も良いのだろう。
彼女は倒れた騎士の首根っこを掴み、店の入り口の横に投げ捨てた。
――前言撤回。
数秒ごとに変わっていく展開と、さっぱりしすぎている彼女の行動に、アイリス以外の一向は呆気に取られるしかなかった。
「さて、見たところこの街に来たばかりの旅人か商人かなんかだろうけど、悪いね見苦しいモン見せちまって。ただ、こいつ――アルムのことは許してやっておくれ。こんなご時世なんだ、酔った状態で帝国兵に見える奴が物騒なことを吐いてたら気が気でも居られないのさ」
「こんなご時世……。ソフィア様」
「えぇ」
ソフィアの下に戻ったハーベが小さく耳打ちする。その意図を即座に汲み取り、ソフィアはクルルに目配せした。
上下関係が悟られぬ様、クルルは頷くこともなく自然にエプロン姿の女性へと近づいていく。
「失礼お嬢さん、貴女のお名前を教えていただいてもよろしいですか?」
「あらやだ、お嬢さんだなんて。でもま、世辞とはいえこんな渋くてかっこいいオジサマにそう言われるのも気分が良いね。――アタイはルージュ。後ろのメシ屋兼宿屋【今昔亭】の店主さね」
後ろ指で背後の建物を指すと、開けられた扉の向こうから香しい料理の匂いが漂って来た。
「おおっ、まだお若いのに店主とは! さぞ人気がおありなのでしょうな。その美貌もさることながら、お店から漂う芳しい香りだけでも料理の腕が伺えましょう」
「ははっそんな持ち上げてもアタイは何にも出せないよ。それで、あんた等は誰なんだい?」
「夫、これは儂としたことが失礼。儂の名前はクルルタリス=
「なるほどねぇ」
困った様に笑うクルルからの説明で、ルージュはソフィア一向を得心がいったように見る。
その視線を受け、ソフィアは一つ息を漏らした。
「ふぅ……。ようやく一息つけそうね……」
元王国領に入り、ここに来るまでおよそ十日。帝国兵に追われ、魔王に襲われ、そしてまた帝国兵に襲われる日々に身も心もボロボロだったのだ。
そこにトドメと言わんばかりに、頼りにしていた街のこの惨状。ようやく腰を落ち着かせて、話を出来る人が現れたことに安堵していた。
その一瞬の気の緩みだった。
「あいさ、事情は分かった。とりあえず詳しい話は――」
――ぎゅるるるるるるる
「「「「……」」」」
「〜〜〜〜〜〜〜!!??」
突如響き渡る腹の虫の声。気の緩みと美味しそうな匂いに釣られたのだろう。
あのアイリスまでもが黙ってしまう中、八個の視線は顔を真っ赤に染めたソフィアに向けられていた。
これから――って時にコレだ。ソフィアは恥ずかしさのあまり蹲ってしまった。
「あっはっはっはっ!! そうさな! 長くなるし飯でも食べながらにするか! 大した量は出せないが、格別に美味いもんを食わせてやるよ!」
「うぅぅぅぅ……、ありがとうございます」
恥ずかしさに打ちひしがれながら、しっかりとソフィアはルージュに頭を下げて感謝する。決して赤すぎる顔を隠すためじゃない。決して。
「あ、でも――」
と、頭を上げる途中でソフィアはアイリスをチラリと見た。
「あぁ、分かってるよ。それじゃあオレはこの辺で――」
今のアイリスは迷った行商人を届けた帝国兵。その意図を汲み取り、この場から離れようとした。
「ちょっと待ちな」
「なんだ?」
背を向けたアイリスをルージュが呼び止める。
振り返ると、ルージュはニヤリとアイリスを見ていた。正確には着ている軍服を――
「そっちの嬢ちゃんも来な。アンタ、帝国兵じゃないだろ?」
「ッ……!?」
「それにさっきのオジサマの物言いで商会の長っぽさを出してはいるけど、そっちの『金髪のお嬢ちゃん』の方がこの中で一番立場が上と見た」
屈託の無い笑みを浮かべながらルージュはソフィアを見る。
完全に見抜かれている。その思いがけない発言にソフィアは思わず
それを見たルージュが、落ち着かせるように微笑みながら柔らかな口調で告げる。
「安心しな。訳アリの奴なんてここにゃいくらでもいるし、そっちの嬢ちゃんが何をどうしてその軍服を手に入れたのかは知らないけど、立場を装っている辺りアタイらをどうこうするつもりはないんだろう?」
「そ、それはそうですけど。そんな……簡単に信用していいんですか……?」
正体まではバレていない様だが、上下関係が見抜かれたのなら――とソフィアが対応。恐る恐る尋ねる。
「それはアタイのセリフだと思うけどねぇ。まぁ、信用するさ。これでも人を見る目はこの街一さ。――とりあえず、中に入って着替えてきな。その間に美味い飯を作っておくよ」
そう言って、気持ちの良い笑顔と共に手を振りながら店の中へとルージュは入っていく。
そのあっけらかんとした態度に、完全に毒気を抜かれたソフィアたちは顔を見合わせ、彼女の後へと続くのだった――