「ふぅ。あーつっかれたー!」
「楽しかったんじゃないのか?」
「それはそれ、これはこれだよ。兄貴だって寝ぼけた口調が無くなってんぞ。そっちの方がよっぽど楽しんでたみたいじゃん」
「む」
腕を上に伸ばし、明るく歩いていくアカリの隣でユウマが口元に手を当てる。
指から伝わるその感触では、確かに口角が上がっていた。
「まぁそれにしても、ただのお人好しかと思えば中々どうして『やる』みたいじゃないの。こっちの思惑の八割は当てられたな。兄貴の見立ては正しかったってわけだ。条件付きの交渉にも乗ってきたし、相変わらず兄貴はどこまで見えてんだか」
「往来で認識阻害をかける人間なんぞ、後ろ暗い奴か正体そのものが不都合な存在かの二択だからな。それで心根が善性なら、後者はかなりの大物と相場が決まっている。というか、お前の方こそ今回は大きく動いたじゃないか。わざわざ接触するとは思わなかったぞ」
「それはアタシの勘が働いたのさ。ここで繋がりを持っておくのはトルルにとっても有益だと思ったし、なによりクリュータリアの商会が本当だろうと嘘だろうと、理不尽に抗おうとする奴は大好きだからな」
「全くお前ってやつは……」
ニシシと笑うアカリに呆れ、ユウマはポンっと軽く彼女の頭を撫でる。
それを受け入れ、柔らかな笑みを浮かべながら撫でる手を触ってアカリは尋ねる。
「にしてもさ、条件は出さなくても良かったんじゃないか?」
「力を貸すにも名分というのは大事だからな。機獣を狩れる実力者をトルルの特別大使が気に入るのと、ただの一商会を気に入るのとじゃ周りの捉え方がまるで違う。探ってくれと言っているようなものだ」
「でも、だからって南の機獣を全滅ってのは厳しすぎるんじゃねぇの? アタシらですらそれなりの時間はかかるぞ」
「何、それも心配いるまい」
おもむろに、ユウマは後ろを振り返り食堂の方を見る。その中にいた、黒髪の少女を思い出しながら——
「パッと見ただけでも分かるあの黒髪の少女の実力の高さ。このおれであっても、奥底まで見極めることは出来なかった。あやつを御し切れているとすれば、セレネとやらは相当な器の持ち主だろうな」
「兄貴がか!?」
自分の兄の力に絶対的な信頼を持っているからこそのアカリの驚き。
それと同時に、やはり自分達の見立ては正しかったのだと再認識し、その笑みがより一層深くなる。
「正体不明の大物に、正体不明の実力者か。これは楽しみになってきたぜ——」
☆
「——はぁぁぁぁ……。な、なんとかいったぁぁぁ……」
一方、交渉が終わり部屋に戻ったソフィア一向。
力の抜けたソフィアがずるずると溶けるようにベッドへと横たわる。
先ほどまでの、威風堂々とした姿は木っ端微塵に砕けていた。
「ご苦労様でしたソフィア様。よくあそこから協力まで持っていきましたな。お疲れでしょうから、お茶をご注文して参ります」
「ありがとうクルル」
ルージュに注文しに行くクルルと入れ替わるように、アイリスが備え付けの椅子に座った。
「どうしたの? そんなに見つめて」
「いやなに、他国の特別大使とやらを『お願い』一つで味方に引き込もうなんざ、やっぱマスターは強欲だなって思ってよ。ズルい女だぜまったく」
「なんとでも言いなさい。最善策がなくなって次善策を練らなきゃいけないところに、当初の最善策を強化できる事態が訪れたんだから逃す手はないでしょう?」
「ま、それもそうだ。あの場でただお茶をしただけじゃ、損でしかないからな」
ニッと笑って椅子を反転させたアイリスが背もたれに腕と顎を乗せる。
すると立っていたハーベが、心配そうな表情でソフィアを見ていた。
「でも、本当によろしかったんですか? あそこまで言ったら、あの方達は『セレネ』の正体に気付くんじゃ……」
「十中八九、気付くでしょうね」
「危険……なのでは?」
「あの場で隠し通す方が余計な敵を増やしかねなかったわ。それに、私は彼女たちの善性を信じることにしたの。同じ帝国嫌いに、理不尽を見過ごせない性格。私と似ているなら、早く味方に引き込んだ方がいいでしょう?」
ほぼ初めてと言ってもいい、自分と同じ考えを持つ少女たち。そこに仲間意識を覚えたソフィアは柔らかく微笑み、ハーベの心配事を受け止めた。
と、そこで温かい紅茶を持ってきたクルルがソフィアたちに差し出して方針を固めようとする。
「とはいえ、力を示すと簡単には言いますが機獣を狩るのは大変ですぞ。負けるつもりはありませぬが、大量発生しているという機獣をある程度討伐するにしても儂等だけでは……」
「大量発生の原因が魔王を目覚めさせたことにあるなら、その責任は私が取らないといけないでしょう? 機獣が目覚めたアイリスを追ってここまで来たんだとしたら、報奨金とは別にしてもどうにかしないといけないじゃない。クルルとハーベに迷惑はかけるけど……」
申し訳なさそうに頭を下げるソフィアに慌ててハーベが否定する。
「め、迷惑だなんて思わないで下さい! そもそもソフィア様がアイリスを目覚めさせてくれたから、私たちは今ここにいるんですから!」
「そうですな。かの魔王が味方についたからこそ、儂等はここまで生き延びられたのです。とすれば、責任は全員にあるものでしょう。機獣を狩ることに異存はありませぬ。この老兵、粉骨砕身で機獣を狩って見せましょうぞ。全ての功績をアイリス殿に譲るつもりはありませんからな。はっはっは!」
「二人とも……ありがとう!!」
花が咲いた様な笑顔を浮かべ、ソフィアは感謝する。
と、そこでクルルが怪訝な表情でこちらを見ていたアイリスに視線を移した。
「なんにせよ、こちらには最高にして最強の戦力だっているのです。機獣の情報や弱点、行動パターンをアイリス殿から聞けば優位に立ち回ることは容易でしょう」
「それもそうね。アイリス、心苦しいかも知れないけれどアナタの配下たちの情報を教えてくれないかしら?」
手を合わせお願いするソフィアに、アイリスの怪訝な表情が更に深まった。どうやら、ソフィアたちの言っていることが理解できていない様だった。
「アイリス……?」
「教えてくれって言われてもな……。今までは話の腰を折らない様に突っ込まなかったけどよ——」
言葉を切り、一つ頭を振るうとソフィアから順番に現代人たちを見て一言告げた。
「——そもそも、機獣ってなんだよ」