ピクリと眉を顰めるアカリ。ナイフとフォークを置き、真剣に話を聞く姿勢に入った。
「どうしてそう思った?」
「ここに至るまでの会話で貴女たちが帝国を嫌っていることは分かっていたわ。貴女たちも、そういう風に話していたしね。けど、なにより私がそう思ったのは『露天通り』でのこと。私たちを助けてくれたこともそうだけど、その前に貴女たちは『騒動を聞きつけて』あの場にやってきた。それはカルメリア市民たちを思っての行動でしょう? 違うかしら?」
アステリアから彼女らに与えられた要請は、機獣を狩ることただそれだけ。市民を守ることは含まれていない。
更に言えば、ここは曲がりなりにも帝国領内だ。帝国兵と諍いを起こして不和をもたらす方がトルルにとって都合が悪いはず。それなのに——だ。
「それに『利』の部分でもおかしなところはあるわ」
「……」
「まずは路銀の存在。そもそも、特別大使なんて重役に就いている人が『路銀が足りない』なんて言うかしら? 必要経費も沢山のお給金も貰っているはずなのに」
「遠征終わりだからって言ったはずだけどな……」
「えぇ。でも、貴女たちは帝国人の振る舞いに嫌気が差して早くソルトレーゲンから出たんでしょう? なら、路銀の方はその分だけ余裕があるはずよね。港の危機にしたってそう。他国の一領地ごときに命を張るなんて貴女たちの『上』が許さないはずよ」
間髪入れず、反論を叩き込むソフィアにアカリはいよいよ何も言えなくなる。
それを見計らい、ソフィアは自分の想いに従って最後の論証を叩き込んだ。
「貴女たちの行動基準はなにも『利』することだけじゃない。貴女たちはなによりも感情——自分達の感情に従って動く方が多い。そしてそれを貴女たちの『上』も容認している。じゃないと、自由に動きすぎる『駒』に特別大使なんて証は与えないでしょうから。逆を言えば、『上』は貴女たちの行動を心から信頼していることになる。——それを私も信じたいのよ」
場に沈黙が訪れる。
三秒、五秒……十秒。ソフィアが冷めた紅茶で喉を潤した時、ようやく場が動いた。
「ご明察の通りだ。よく気付いたな。いや、この場合はよく気付いてくれた——かな」
「じゃあ、認めるのね?」
「手を貸すかは別として、ここまでヒントを出しておいてアタシらの方針も見抜けないようじゃ、最初から願い下げだからな。喜べ
——ま、交渉なんてかたっ苦しいもんじゃないけど、とカラカラ笑いながらアカリは言う。
場の緊張が一気に解かれ、ハーベが胸を撫で下ろす。ただ、ソフィアにとってはここからだ。
「よし、それじゃあセレネの『お願い』を聞くために、ここからは人柄を交えた話し合いをしようか。気付いた報酬だ、まず最初に少しだけこっちの胸の裡を開くなら、アタシらのそれは『趣味』みたいなもんさ」
「趣味?」
「力のない人間がアタシの近くで理不尽に苦しめられるのは見てられないんだよ。だから、セレネのお願いとやらを聞くのも吝かじゃあない。アタシらにとっては延長線上みたいなモンだからな。でも——」
「……誰かに言われて、やるのも……性に合わない。おれらが動くのは、そうしたいと思った、時、だけだ……」
「その通り。だからセレネが今からやるのは、アンタの『お願い』なら聞いてやってもいいってアタシらに思わせることだ。ってなわけで、少しはそっちの胸の裡も開いてもらおうじゃないの。ちなみに打算はいらねぇぞ」
ここが交渉の分水嶺。
彼女たちの力は強大で、少なからず味方に引き込むならここをおいて他にはない。
けれど、公のこの場でソフィアの身を明らかにするわけにもいかない。帝国からカルメリアを守って欲しいその本当の理由も同様に。
だからこそ、ソフィアは彼女らの行動を元に、アカリたちを『その気』にさせる方向へと舵を切った。
「——詳しい事情は話せない。でも、私の味方をすれば必ず貴女たちにとって『面白い』ことになることは保証するわ」
「はい? なんだそれ? おいおいセレネ、そんな不確かなことでアタシらが動くと思うのか?」
「えぇ。自分をこう言うのは恥ずかしいけれど、——そもそもの話、貴女たちが私に声をかけたのは多少なりとも貴女たちの琴線に触れるなにかがあったからでしょう?」
そう。話の流れとして、ソフィアたち側から交渉のターンに入ってしまったが、最初のきっかけはアカリがソフィアと話たいと誘ったからだ。
いつの間にか交渉に移ったのはアカリたちが立場を最初に示し、流れを誘導したからだとソフィアは睨んでいるがそれはもはや関係ない。話の肝は、そうするだけの価値をソフィアに見出したということだ。
「琴線ねぇ。まぁそりゃそうさ。このご時世、アタシらの嫌いな帝国兵を相手に、たかが商会の次期頭領ごときがあんな大立ち回りをしたんだ、興味がないわけないじゃん。だから誘った。それだけのことだけど、それじゃあ納得しないのか?」
「勿論。だって、貴女の目線は他の人を見ていても意識はずっと『私』を探っているもの。それも、最初から——ね」
だからこそ、あの場にいた人々は大立ち回りした女性がいることは覚えていても、ソフィアの変装後の姿すら思い出せない。遠巻きに見ていれば尚更だ。ハイディとはそういうものなのだ。
ましてやあそこには、もう一人目立った
そしてそこからずっと、彼女は忘れようとする意識を正しく認識しソフィアをずっと捉えている。
クリュータリアから来た正体不明の次期商会頭領が、カルメリア市民を守る動き。そのミステリアスさを自分から曝け出すことで、逆説的に彼女らへある『仮説』を生み出させた。
「加えて、貴女のお兄さん。その隠れた前髪の裏で一体、
その言葉を聞いた途端、ダァンとアカリがテーブルを叩いて立ち上がる。
そんな彼女の顔は高揚し、八重歯が覗く満面の笑みが浮かんでいた。
「面白ぇ。やっぱアタシの勘は間違っていなかったな。いいぞ、セレネのお願いを聞いてやろうじゃん」
「本当に!?」
「あぁ。ただし条件がある」
喜ぶソフィアの眼前に、アカリが人差し指を立てた。
「セレネが何者だろうと、弱い奴と協力するのは嫌だからな。
「分かったわ。必ず狩ってくると約束する」
「よし。それじゃあ話し合いは終わりだ。楽しい時間をありがとよ——」
そう言って握手を交わした後、アカリたちは店から出て行こうとする。
すると、扉に手をかけた時。力を抜いて椅子にもたれるソフィアに声をかけた。
「あーそうだ。最後に言っておくことがあった」
「?」
「色々気になって声をかけたのは勿論だけど、一番の理由はこっちも
ニカッと人を笑顔にさせる笑いを見せて、今度こそアカリたちは立ち去る。
「それじゃクリュータリアの特産品でも用意しといてくれや。正体不明のお人好しさん——」