「……」
機獣との戦闘を終え、帰路に着いたソフィア一向。
予想以上の数と継戦、そしてイレギュラー的存在と化していたイエティとの遭遇に身も心も疲れ果てた彼女たちは【今昔亭】へと帰り、その身を癒している。
たっぷりの温かい夕食を食べ、夜も更けて寝静まる中でアイリスは椅子に座ったままじっと窓から空を見上げていた。
五百年以上の月日が経ち、かつての世界の時よりも綺麗に見えるようになったその星々を——
「……五百年経って文明が滅び、空の空気が澄んだってことなのかねコレは。ふんっ、人間の醜さの果てがこうも自然を綺麗にするんだから皮肉なもんだ」
「アイリス……」
ポツリと、嘲笑うその声が耳に残ったのか寝ていたソフィアが目を覚ます。
そのまま寝ぼけ眼を擦ると、くっきりとなった視界で彼女は物憂げな表情をしているアイリスを見て、その頭が更に冴える。
「マスターか。悪いな、起こしちまったか」
「ううん、大丈夫。そこまで熟睡してたわけでもなかったから。それより——」
普段は気遣いなどロクに見せず、豪放磊落といったアイリスとは程遠い殊勝な姿に、ソフィアはイエティと戦った後の悲哀に満ちたアイリスの表情を思い出していた。
「何かあったの……?」
「何かって何が?」
「詳しくは分からないけど……機獣と戦ってからずっとアイリスの様子が変なんだもの。ここじゃないどこか遠くを見ているっていうか。ずっと静かで何かを考えてるように見えるのよ。それで、その答えを私に聞いてこないってことはきっと、私たちじゃ答えられないって分かっているからでしょう? ——例えば、機獣の正体とか」
「——」
断言するその口調に、アイリスは大きくため息をついて気怠げにソフィアを見る。
「トルルとの話し合いの時からそうとは思ってたが、マスターお前色々と察しが良すぎるぞ。よくもまぁ自分に関係のないところまで相手の思考や行動を読み取れるもんだ」
「そうやって読み解っていかないと、誰が敵で誰を味方にすればいいか分からないもの。それで、はぐらかそうとしてるってことはやっぱり機獣がなんなのかアイリスには分かったのね」
「別に、はぐらかそうとしてるわけじゃないさ。確かに機獣の正体は解析からおおよその答えは割り出せたよ。だけど、それを伝えたところでマスターたちこの世界の現代人にとってはもう『意味のない』問題——」
と、そこでアイリスは頭を振って発した言葉を否定しようとする。
一度目を伏せ、ほんの少しだけ考えを巡らせた後に、いつものような悪辣じみた笑みをソフィアに見せた。
「いや、意味ならオレが持たせられるな……」
「え?」
「言葉通りの意味だよ。オレがこの世界に伝わる御伽噺のように、あの哀れな生物を率いて人類を滅ぼしてやるのもそれはそれで一興ってモンだ」
「それってどういう……」
要領を得ない、自分だけが納得しているアイリスの言葉にソフィアは首を傾げるばかり。そんな彼女に構うことなく、アイリスはおもむろに立ち上がって空いているもう一つのベッドへと向かいソフィアと対面。
彼女の額に人さし指を当て、レストアーデの血が流れる碧い瞳に向かって嘲笑する。
「お前たちは自分達の身勝手な愚かさによって滅びるかもしれないってことさ。どうやらアイツらは、オレという存在を創り出したことの意味をちゃんと理解していなかったらしい」
「アイツらってもしかして……」
アイリスが嘲りを以て皮肉を言う相手は決まって
それが機獣の正体云々の話から出てきたということは、アイリスにそうさせるだけの『何か』が初代にはあるのだろう。察しの良いその頭脳が自然とその結論へと至らせ、強張った表情をアイリスに悟らせた。
「ふん、流石だな。その様子だと、今も残る人類の脅威が
「ッ……! な、何かの勘違いじゃないの……!? 平和をもたらした初代たちが、それを壊そうとするなんておかしいじゃない!」
「声を落としなよマスター。別にレストアーデ共は平和を壊そうとしているわけじゃない。むしろその逆。平和を維持するための『副作用』なのさこれは」
「どういうこと……?」
「教えてやってもいいが、これを聞いたらマスターの価値観が根底から覆ることになるぞ。それでも良いのなら、教えてやる」
「ッ……!」
人に対して慮ることをしないあのアイリスが、その最後の引き金をソフィアに任せる。その行為自体が意地悪なのかもしれないが、同時にアイリスは見極めていた。
己のマスターの度量を。
そして——
「大丈夫よ……! 教えて、その真実とやらを……」
覚悟を決めた美しさすら覚える碧色の双眸。変化を恐れていないわけじゃない。ただ、それ以上に停滞することを彼女は恐れていた。
力の弱い自分が出来ることは、ありとあらゆる事象を受け入れて糧にすることだけ。そうやって生きてきたからこそ、今から告げられる真実も飲み干そうと決めていた。
だが、そんな覚悟を嘲笑うかの様にアイリスがもたらす『真実』は重い。
「OK。なら教えてやる。ちょっとばかし、その脳を借りるぞ」
「え——」
アイリスの人さし指の先からナノサイズの針が飛び出ると、それはソフィアの脳を刺激しアイリスが得た解析データを直接移していく。
——気付けば、彼女は
そこは侵しがたいほど純粋な真っ白な空間で、見たことのない
その首筋に、天井からいくつも伸びている超々極小のメスが刺さっていく。
『——これ……は……』
無機質な悍ましさを感じ取り、思わずソフィアは口元を抑える。
そんな彼女の隣に、アイリスがやってきた。
『これはあくまでオレが機獣の遺伝子の情報を読み取り、当時の文明レベルと合わせて作った立体仮説映像だ。これを見ながら、マスターには『最初から』説明していく』
『アイリス……。最初からってどういうこと……? これは機獣の話じゃなかったの……。なんであそこに……ひ、人が……」
『だからそれを込みで説明するって言ってんだろ。——真っ先にこれを見せたのは、この映像が今の現代人が『そう』なっている結論だからだ』
『け、結論……』
『単刀直入に言ってやる。マスターたち今の人類は、『改造』されてんだよ。それも『機械を作らせない』、ただそれだけの欲を抑える為にな』
『え……。か、改造……?』
思いもよらぬその結論に、ソフィアの思考が停止する。彼女自身改造というのがよく分かっていないが、目の前の光景によってそれがある種『冒涜的』なモノだと察知していた。
きっとそれは人間の本能によるモノなのだろう。外部から人間の中身を弄くり回されるというその嫌悪感。
それに構わず、アイリスは続けて説明していく。
『そもそも、最初からおかしいとは思ってたんだ。
そうしてアイリスは文明が発展していく過程を見せていく。原始時代に『ヒト』が火を獲得し、社会が形成。居住に伴う規律が生まれ、人同士が争っていく。
それが文明加速の始まりだ。剣や鈍器などの近接戦から、弓や銃、果ては全てを破壊し尽くさんとするミサイルなど。より効率良く破壊し、より効率良く癒す為に文明が超加速度的に進化していった。
日常でも同じことが言える。例えば織機が分かりやすい。
最初は手縫いから始まっていた布の文化は、効率化と便利さを求めるうちに木造の器械——織機を発明。それによって人は高速かつ長い布を織れるようになったが、彼らはそれで止まらない。今度は人力ではなく外部の出力『動力』によって超高速化を成し遂げた。
数百年——あるいは数年単位で人の営みが変わっていく人類史。それを見せられ、ソフィアは圧倒されることしか出来なかった。
『機械の歴史は人の遺伝子の流れだからな。人は便利なモノを求めるようにと、生物としての設計上そうなってるんだ。なのに、進むことしか出来ないその『流れ』を無理やり押し留め、あまつさえ逆行しようとしているんだ。これはもう、人の意識でどうにかなるモノじゃない。まず間違いなく外的要因が関わっている』
それが改造であり機械を作らせない物理的拘束だ、とアイリスは言う。
ソフィアは思わず吐きそうになるが、意識だけの存在では何も出ない。彼女の中でえも言われぬ生理的嫌悪感だけが全身を這いずり回っていた。
『今マスターが反応しているその吐き気。ハイディを作った時のパニック反応を見る限り、人類が機械を作ろうと『意識』した瞬間に拒絶反応を引き起こすように『設計』し直したんだろうな。じゃないと急なあの体調の変化は説明がつかない。オレがくたばる前の文明でも人の遺伝子くらいは弄れたから、その程度の改造は余裕だろうよ。——サイコなオスカリアスなら、このくらいはやりそうだ』