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4-1 「甘く見積もって……一週間」

 ——建物が崩れる瓦礫の音がまた一つ、カルメリアに重々しくどよめいた。

 そこに交わる潰れた悲鳴。続く破砕音。

 耳朶と心を潰した方がいっそ楽なのではと思えるほどの絶望が辺りに撒き散らされていく。

 途端に、視界を開けさせるような裂帛の声が響き渡った。


「————ッ…!」


 街を蹂躙する何体もの大型機獣を相手に、自ら前線に立ち慕う臣下を連れて立ち向かう赤毛の男性。

 彼が紡ぐ一言一言が、騎士たちに勇気を与え剣を振るわせる。真っ暗な未来に一つだけ差した一条の光。

 男性に——領主様——リューエル様に——お父様についていけば機獣は駆逐され、カルメリアはまた息を吹き返す。

 皆の心に希望が芽生えた、その時。

 赤毛男性は、自身の赤毛よりも濃い色の『血』と化したのだった。


「——お父様……!!」


 殺風景な執務室に、うたた寝をしていたアステリアの悲鳴が寒々しく響き渡る。黄金色の瞳には涙が今にも溢れそうで、黒のインクに染まった彼女の右手は何も掴めず、ただただ空虚に伸ばされていた。


「夢……」


 とすんっと、柔らかな椅子に力なく座る。凄惨な夢から現実に戻って来たことを認識し、力が抜けたのだろう。ハンカチで顔の汗を拭うも、背中の汗が体を冷やしていく。

 すると、扉が空いた隙間から紅茶の芳しい香りが彼女の心を落ち着かせた。


「アステリア様。お紅茶を持って参りました——っと、寝ていられましたか…」

「…いいえ、大丈夫です。少し休憩していただけですから。ありがとうございます、フレッド。紅茶はこちらに持って来てください。散らかっていますが、生憎これ以外に机はありませんので」

「いえ……失礼します」


 草臥れ、目の下にクマが出来ているにもかかわらず、怜悧な姿を見せようとする主の姿を見てフレッドと呼ばれた老執事は悲しげな表情になる。

 太陽の光に照らされて輝いていた美しき赤髪はぐしゃぐしゃになって輝きを失い、誰もが羨む顔立ちも隈と疲労が目立ってその美貌が損なわれている。

 侯爵に相応しい服を着るだけで、身だしなみは最低限かそれ以下。整える暇も彼女には許されていなかった。

 カチャ、カチャと、書類が山積みになった机に紅茶とスコーンが置かれたソーサーの音が小さく鳴る。

 ゆらめく白い湯気に温もりを手のひらで感じながら、アステリアは喉を紅茶で濡らしていった。


「ふぅ……、相変わらず美味しいですねフレッドの紅茶は」

「滅相もございませぬ。それよりもアステリア様。差し出がましいこととは存じますが、今しばらくお休みになられてはいかがですか? リューエル様が亡くなり、二週間もずっと働き詰めではありませぬか」

「たった二週間です。お父様が殺され、お母様も倒れている今、揺らいでいるカルメリアの土台を整えるのは領主代行たる私の務め。この程度で弱音を吐いてはいられません。——ただでさえ、未だにあの機獣を討伐できていないのですから」

「アステリア様……」


 機獣のことを口にした途端、毅然としていた彼女の声色に『熱』が籠る。堪えようとしても、全身を焼き尽くさんと煮えたぎる『仇』への激情が溢れていた。


「なんにせよ、全ての元凶たるあの機獣と、カルメリア周辺に蔓延る機獣たちを倒せば必ずこの状況は好転するはずです。そのために沢山の叛者やトルルの特別大使に依頼を出しているのですから」

「依頼……。それについてですが——」

「報奨金の支払いが限界に近づいているということですね」

「はい。復興費用にサルード伯爵と帝国兵たちの滞在費。そこに報奨金ときていますから、流石にもう予算が……」

「もう、売却できそうなものは……」

「ご覧の通り——でございます」


 アステリアが、寂しくだだっ広い執務室を見渡す。

 本来であればそこには、侯爵家に相応しい値打ちの調度品や美術品などがあってしかるべきなのだが、黄金色の双眸が見つめる先には何もない。

 最低限のモノを残し、その大半を報奨金へと回したからだった。


「倉庫にはまだ売れそうなモノはありますよね? それを使ったとして、あとどれほど保たせられますか?」

「甘く見積もって……一週間といったところでしょうか……。依然として都市近辺には機獣の大量発生が続いておりますし、それに伴って叛者たちの数も増えております。伯爵たち帝国軍に頼るというのも手ではありますが、彼らが『外』に出てしまえば、機獣が到来した際にこの都市は容易く堕ちるでしょう」

「それだけは避けねばなりませんね……。フリューゲル兄妹に掃討を依頼するというのは?」


 期待するアステリアの眼差しに、フレッドは首を横に振って否定する。


「それも難しいでしょう。機獣の発生箇所は北と南の二ヶ所。彼らには貴族区画たる北側の大型機獣に絞って対処していただいております。

 ですが、それも実質各個撃破の様なモノでございます。可能か不可能かはともかく、掃討戦ともなれば命の危険度が跳ね上がる以上はトルルが許さないでしょう。こちらの都合で、もし不幸なことが起きてしまえばトルルそのものを敵に回す可能性すらあります」

「八方塞がり……と言うのですか……! お父様を殺した機獣——アルゴスは未だに健在だというのに……!」


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