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5-1 「無駄な誇りに縋り付く」

「――それで、サルード伯爵。私を呼び寄せたご用件は何でしょうか? 大したことではないのなら、今すぐ政務に戻りたいのですが」


 緊張感が滲み出る声色で、アステリアが尋ねる。

 ここは帝国大使館――今やサルード伯の邸宅ともなっている部屋の一室。高級調度品まみれの中で、彼女は一人サルード伯とベラリオ大隊長プリムス対峙していた。


「そう事は急くモノではありませんよアステリア様。せっかくこれからのことを話し合うんですから、腰を据えてじっくりやりましょう。それともなんですか? 我輩の機嫌を損ねてもいいと?」

「ッ……! 分かりました……。少し焦りすぎていたみたいですね……申し訳ございません」

「いえいえ、大丈夫ですよ。状況が状況ですからね。我輩もしアステリア様と同じ立場に立たされたと思うと、いやはや心が張り裂けそうな思いですよ。とてもとても、政務に励むことは出来ませんね。立派だと思いますよ」

「それは……ありがとうございます」


 差し出された苦いコーヒーをアステリアは啜り、少しでもこの居心地の悪さを緩和させようとする。

 本来のマナーであれば、伯爵が侯爵を呼び出すなんてもってのほか。サルード伯こそ、彼女の屋敷に尋ねなければならないのだが、ここではそんな階級に意味はない。

 ステラ領の実権も、この場の主導権も全て握っているのは伯爵側。

 それゆえに、彼は脂ぎった顔に笑みを浮かべながら、アステリアの美貌が悔しげに歪む様を楽しんでいた。


「ですが、心が張り裂けそうな思いを抱いたからこそ、今のアステリア様のお気持ちも察する事が出来るのです。未だ蔓延る機獣を相手に、立派な姿を領民に見せることは大切かもしれませんが、それで潰れてしまっては彼らも一層悲しむでしょう」

「――――」


 場の雰囲気が変わったことをアステリアが悟る。

 ここからがサルード伯の本題だった。


「しかし、我輩ならそんな心配はさせません。アステリア様がこのカルメリア――ひいてはステラ領の全権を公式に我輩にお譲りになるのなら、アステリア様の命も領民の命も守って差し上げましょう。機獣も、我が帝国兵の力を持ってすれば一日で滅ぼすことができましょう」

「……その件にはついては何度も申し上げていますが、全権をお譲りすることは出来ません。ステラの地は五百年に渡って紡がれてきた歴史ある土地。ここに暮らす人々はそのことについて誇りを持っています。『ステラ領』の名前が変わることは彼らの誇りを捨てることになるんです。ですので、それだけは――」


 加えて、ステラ領はレストアーデ王国の『意志』が残る唯一の領地。決して口に出すことは出来ないその誇りと意志を残すために、アステリアにはこの地を守る責務があった。

 そうでなければ、命を賭して守ったリューエルの遺志が無駄になる。『王国ステラ領』の名前を『帝国サルード領』に変えるわけにはいかなかった。


「――お父上が死に絶え、滅びの道を辿っているというのに、未だそのような無駄な誇りに縋りつくおつもりですか?」

「ッ……!」


 そんな想いをサルード伯は簡単に踏みにじる。

 彼にとってアステリアや領民の想いなんてどーでもいい。彼にとってステラ領は既に死んだ領地と見なしているのだ。

 今の状態はただの延命治療でしかない。


「アステリア様のご意志も立派だとは思いますがね、それに付き合わされて死ぬのは領民だと正しく認識されていますか? 現実問題として、貴女一人でこの地を守り通すだけの力はないんですよ?」

「そ、それは……」


 痛いところを突かれ、彼女が唇を噛み締める。


「今、このステラ領が生きているのは、アステリア様が我らの大事な帝国兵を雇っているからにすぎません。本来であれば、拒否も出来るところを我輩の『善意』で滞在してあげているわけです」

「……貴方がたが積極的に機獣を狩ってくだされば――」

「無茶なことを言わないで下さい。アステリア様が領民のことを大切に思っているように、我輩も臣下のことは大切に思っているのですよ?

 ロクな代価もなく、あの恐ろしい機獣に大切な臣下を送り出すことなんて非道なマネは我輩には出来ません。滞在して有事に備えてあげているだけでも感謝していただきたいですな」


 帝国兵の圧倒的な力を持ちながらどの口が――と言いたいが、それを言うことはもちろんできない。

 嫌味ったらしいが、サルードの言っていることは間違っていないのだ。

 そして今、アステリアが抱えている弱点も彼はしっかりと認識していた。


「まぁもし、依頼という形を取るのであれば機獣を狩りに行かせることもできますがね。しかし、滞在費用で一杯一杯の状態で果たしてそれが出来ますか?」

「……」

「出来ませんよねぇ。となれば、アステリア様が取れる選択肢は二つ。全権をお渡しになるか、報酬を払いきれず去っていく我々の背を見ながら街が崩壊するのを見るか――それだけです」

「いえ……第三の選択肢も存在しています」

「ほう? もしかして残った騎士たちで対処するおつもりですか? それはそれは。また残酷な手を取られる。あれほど傷ついた騎士たちをまだ使おうというとは」


 ニヤニヤと、針でちくちく突き刺す様に彼女の心を痛ぶっていく。

 けれど、彼女の眼にはまだ力が宿っていた。


「いえ、そうではありません。この地には、機獣と戦ってくださる勇気ある人々が集ってきています。彼らの力添えがあればきっと……」

叛者レウィナ……ですか。確かに我々を雇うよりかはお金はかかりませんし、積極的に狩ろうとする意思があることからも、対処だけなら出来るでしょうな」

「はい。そこに加えて、トルルの特別大使殿もおられます。また、力ある叛者レウィナもやってきて下さいました。彼らには今、依頼として機獣の殲滅を頼んであります。彼らが帰還次第、状況は一変しますのでご安心いただきたく思います――」


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