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「悪くない」

 アイリスがアルゴスを討ち、ソフィアがベラリオ大隊長を討ってから戦闘は急速に収束。

 帝国軍が頼りにしていた二大首魁が討ち取られ、守らなければならない伯爵まで捕らえられたことで彼らの指揮系統は混乱の極みにあった。

 そこを、予想以上の粘りと高い士気を見せる騎士たちによって突かれ、第二次カルメリア襲撃作戦は帝国軍の全滅という形で敗北となった。

 十年前。亡国に堕とされた『禁忌確約レストアーデ事変』も含め、これが『王国』にとっての初勝利。

 全てが終わった後、領民たちだけがいる場にてアステリアは都市に多大な混乱を招いたことを謝罪し、位だけではなく『リューエルの心根』まで引き継ぐと誓うのだった。


 ——帝国の力は強大です。この様な大騒動でも、本国からすればたかだか属領一つの諍い。大きな賠償を要求することは難しいでしょう。もしかすると、余計な介入まで招くことになるかもしれません。しかしご安心ください! 今はまだ未熟な私ですが、今度こそこの身・この心を以って皆さんを護ると誓います! 

 この『レストアーデ王国』ステラ領は決して帝国の傀儡にはなり得ません! 

 そして、皆さんも決して自分達を弱いなんて思わないでください!

 力を合わせればどんな大きなモノにでも立ち向かう事が出来る。私はこの戦いでそれを知りました。

 勇気を持ちたい方は先人を、怖い事があれば隣にいる人を見てください。もし後ろで怯えている人がいれば手を繋ぎ寄り添ってあげましょう。それが皆さんがこの地で繋いできた絆の証です。

 人に優しくなれる国。それこそが、レストアーデ王国民の魂。

 父・リューエルが愛し、私アステリア・フォン・ステラが愛する強き領民たちよ。どうか、その魂だけは失ってはなりません——


 ——壊れた噴水の縁に座りながら、アイリスはそう綴られた公文を読んでいた。

 襲撃のあの日、騎士に向けられたアステリアの言葉を聞く事が出来なかった領民たち向けにと配布されたステラ家誓いの文書。

 帝国の人間がいなくなったとはいえ、万が一にも帝国の目に入れるわけにはいかないと静止する声もあったらしいが、誓いの言葉を形にしなければというアステリアの想いがそれを突破した。

 帝国軍を排除できたのも大きかったのだろう。今回の一件で強固な絆と意志を築いた領民がイタズラにそれを吹聴するようなことは決してしなかった。

 アステリアの誓いは、領民たちの魂の中にしかと仕舞われているのだった。


「これがマスターが命を賭けても守りたいモノ……か」


 襲撃作戦から三日後。

 死者を一日だけ悼んだ領民たちは今、自分達の生きる街を蘇らせようと復興に勤しんでいた。

 その姿に『弱さ』は全くない。

 空元気もあるかもしれないが、誰もが隣にいる人たちと笑顔で手を取り合っていた。


「人が持つ心の強さ、ね。少なくともオレには理解出来なかったことだな」


 復興を続ける領民たちをどこか憂いを帯びた目で見ながら、アイリスはそうごちる。

 感情を獲得したはずの自分アイリスだったが、かつてのアイリスがしたのは全ての記録レコーズを上書きし、『復讐』という感情一つのために破壊し尽くそうとしたことだけ。

 人の意志、繋がり、生きる理由。人の背景を考えたことは一度もなかった。


「なんだいなんだい、こんなところでシケた面して。辛気臭いったらありゃしない。アンタはこの街の英雄なんだから、もっと笑ってくれていないと」

「悪かったな笑えなくて。オレはこういうモンなんだからほっとけ」


 黄昏ていたアイリスの下にやってきたルージュが苦笑する。

 復興する人たちに食事を届けにきたのだろう。彼女が持つ両手には布が被せられた大きなバスケットがあった。

 面倒臭い奴が来たと言わんばかりに、アイリスは立ち去ろうとする。


「あら、なんだい。アンタは手伝わないのかい?」

「お生憎様。オレはマスターと違って優しくないんでね。ここはお前たちの街だろ。オレが手伝う義理はないよ」


 そう冷たい言葉を突きつけアイリスはルージュとすれ違う。

 その直後、優しく温かな声色のルージュがアイリスの歩みを止めた。


「まぁそれもそうさね。街の英雄に雑仕事を押し付けるのもどうかと思うし、アンタの言った通りこれはアタイらがやらなきゃいけないことだ。何から何までおんぶに抱っこというわけにはいかないよ」

「分かってるなら良い。オレはもう行くぜ」

「あぁ。でも、その前にコイツはお礼だ。店が壊れて大したモノは作れなかったけど、これだけは作れたんだ。ぜひ食べておくれ」

「あん?」


 そう言ってルージュが渡そうとしてきたのは、いつぞやの色ボケ従者が大興奮していた『かぼちゃタルト』。はちみつも練乳もかかっていないが、芳醇な甘い香りは漂っていた。


「別にいらないよ。オレに渡すくらいなら他の奴に渡してやれ。味の分かるソイツらに食べてもらう方が、お前も嬉しいだろ」

「もちろんそのつもりさ。でも、アタイはお前さんに真っ先に食べて欲しいのさ。街を守ってくれた英雄に、アタイはこれくらいしか出来ないからね」


 まぁ、感謝の押し売りはしない——と、じっと見つめるだけだったアイリスを見てルージュはかぼちゃタルトを下げようとする。

 すると、アイリスがそれよりも早くかぼちゃタルトを受け取った。


「食べてくれるのかい?」

「粗末にするのは勿体無いからな。それに確かめたいこともあったから」

「確かめたいこと?」


 それは最初にルージュと会話した時のこと。

 ——美味しいものを食べて、それをまた食べたいと思うから、明日を生きようと思える。

 その原動力が目の前の領民たちを形作っているなら——と、理解を深めるためアイリスが一口頬張った。


「どうだい?」

「…………悪くない」


 たっぷりと間を空けて言われたそのそっけないアイリスの回答に、ルージュは満面の笑みを浮かべた。


「アンタがそういうなら、これでも問題ないんだろうね。感想を聞けて良かったよ」

「色ボケ従者みたいな大袈裟なことは言ってないぞ」

「それでも、さ。アンタがそう言ったことに意味があるのさ。そういや、アンタの主様たちはどこにいるんだい? あの子らにも届けてやりたいんだが」

「マスターなら報奨金と礼を受け取りに、侯爵のところに行ったよ。しばらくは帰ってこないだろ」

「あちゃ。まぁそれなら仕方ないか。あの子らの分は残しておくとするかね。——それじゃ、アタイはこれを届けに行くよ」

「あぁ。じゃあな」


 そう言ってアイリスはソフィアたちを迎えにいくため、アステリアの屋敷の方へと足をすすめ、ルージュは復興している仲間たちの元へと歩いていく。

 その途中、ルージュは振り返りアイリスの背中を見てふっと笑っていた。


「それにしても、不器用な子だねあの子も。優しくないなんて言う奴があんな顔をするわけないってのに。アタイのメシを食べて、どう感じるかは顔を見りゃ分かるんだよ——」


 もう一口かぼちゃタルトを頬張るアイリス。

 その口端には小さな笑みが浮かんでいた——


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