優雅に扇子で艶やかな黒髪を靡かせながらやってきたのはレイネだった。
彼女の格好はアカリとは真逆。極力肌を出さず、優雅な装飾に彩られた着物は足元まである。
そんなレイネは。気品とはなんたるやを見せつけるかのように嫋やかな笑みを浮かべてアカリを見下した。
「テメェ……。レイネ、なんでテメェがここにいんだよ。老中どもへのもてなしはどうしたもてなしは」
「貴女も知っての通り、私の『分身たち』に些事は任せておりますので問題はありませんわ。料理の様な簡単な命令しか受け付けないとはいえ、料理も出来ない貴女よりは役に立ちますし」
レイネの固有魔法なのだろう。レイネを形作っただけの『人形』が、彼女の横に現れて礼をする。
「それに、私は書類を届けたりお買い物をしたり、花を揃えたり――と予定が詰まっていても、貴女と違って杜撰な計画で動いたりしませんのでご安心を」
「チッ。一々、会うたびに自慢話してきやがってウザってぇな。アタシに喧嘩売ってんのか?」
「あら、怖い。私にそんなつもりはありませんわ」
「んなわけあるか! いきなり現れたかと思えば、いきなりアタシを煽ってきただろ!」
「それも否定します。というより、そこで怒るってことは自分でも自覚があったということでは? 図星を突かれて怒るなんて、それこそ気品のカケラもありませんわよ。気品を感じられるのは、この方達だからこそというのをお忘れなく」
「こんのっ……!! 今日こそぶちのめしてやる!」
「やってみなさいな!!」
上から、下から――お互いが睨み合い、通りのど真ん中で街の人たちの視線に構わず二人は子供の様なレベルの低い口喧嘩を応酬していく。
「そもそも、肌を見せたからってライハ様を落とせると思ってるのが大間違いですわ!」
「なななななっ……! ち、ちげぇし!! これはアタシが好きだから、こうしてるだけだっての! 殿は関係ねぇ!」
「あら、そうだったのですか? まぁそれもそうですわね。貴女が夜のアピールをしたところで何の意味もないでしょうし。貴女なんて、何人いてもライハ様を満足させられないでしょう? 私と違って」
「ッ……!! ぶっ殺す! どっちが下品だこのやろう!!」
今回は止める人もおらず、ソフィアたちは置いてけぼりだ。
「えーっと……」
「あらら、またやってるのかいこの二人は。本当、飽きないねぇ」
すぐそばにいた老齢の男性店主が呆れた笑いと共に喧嘩する二人の少女を見ていた。
「あの、これっていつものことなんですか?」
「ん? 観光客かい? そうだね、アカリ様とレイネ様が会えばこれ。お互いの価値観が真逆なのに、お互い殿のことが好きで好きで堪らないから、いつもぶつかっているのさ。恋敵ってやつ?」
「え? でも、ライハ様ってカイリ様という愛する人がいましたよね? なのに、ああやって取り合っているんですか?」」
アカリとレイネ、どちらもライハの側近だ。カイリとの関係を知らないわけがなく、ハーベは不思議に思う。
「あの二人にとってはそういうのは関係ないのさ。勿論、カイリ様を蔑ろにしたり殿を奪おうと思ったりしているわけじゃないよ。単純にアカリ様とレイネ様、それにユウマ様にとって殿は特別なんだ」
「特別……?」
首を傾げるソフィアに答える様に、店主は『祭り』の飾りを指差した。
「十年前、この国は一度滅ぼかけたことがあるのを知っているかい?」
「確か……嵐と巨大な津波――大海嘯で沈みかけた……ということは」
「うん。それで合ってるよ。――あの時の恐怖は、年老いた今でも鮮明に思い出せる。災厄前に悟ってしまった無力感、数秒後に波に飲まれ苦しみながら息絶えるかもしれない絶望の想像。誰もが嘆くことしか出来なかった中で、唯一立ち上がってくださったのが殿だ」
「あの方はその絶対的な力を使って大海嘯を言葉通り『吹き飛ばした』んだ。おかげで被害は最小限。トルルは救われたってわけ。それを称え、トルルが生き延びた記念日を祭りとしたのが今の【清祓祭】だ」
「だから、この国の奴らは誰もがあの王を慕ってんのか」
「そうだね、お嬢さん。年齢なんて関係ない。あの大きな背中に魅せられない人はいないよ」
心の奥から溢れんばかりのライハへの想いを店主は吐露する。彼らにとっては、ライハの存在そのものが誇りある象徴なのだろう。
湧き出る湯水のように次々と溢れるその想いには誇りが詰まっていた。
「そして、その中でもとりわけ慕うのが、彼女たち。被害が大きい区画で、『孤児院』で逃げ遅れた彼女たちを殿はお救いになったんだ」
「孤児院……!?」
「なるほど……。通りでフリューゲル兄妹が、ライハ様に『懐いている』わけですな」
期せずしてフリューゲル兄妹らの人生の足跡を聞き、驚くハーベたち。
一方でクルルは、アカリたちの『当主』に対する距離感の近さに納得がいくのだった。
「えぇ。大海嘯で院長だった父親を失ったレイネ様と親のいないフリューゲル兄妹様にとって、救ってくださった殿はまさに父親も同然。その感情の発展先がどうであれ、男でも惚れる殿の心に間近で触れれば『あぁ』なるのは自然なことですわ」
と、そんな
レイネは仕事へと戻り、アカリは苛立ったままソフィアたちの元へと戻る。
去り際、レイネの方は微笑んでいたからきっと負けたのだろう。
「ジンのおっちゃん! 串焼き十本くれ!」
「あいよ。でもアカリ様、十本も食べられるのかい?」
「食う! やけ食いだやけ食い!! ったくあの女、会うたびにいつもいつもアタシを煽ってきやがって! 次は絶対にこっちから煽ってやる!!」
こうなることがわかっていたのだろう。ソフィアたちと話している間も店主は串を焼いており、出来立てをアカリに渡していく。
それを熱さも無視してアカリは次々口に運んでいった。
「これも、いつものこと?」
「いつものことだよ。なに、心配はいらない。よく言うだろう、仲が良いほど喧嘩するって。これもこの街の風物詩みたいなものだから、それも含めて君たちはこの【清祓祭】を楽しんでいっておくれ。――あ、コレサービスね」
にこやかに笑う店主が肉の串焼きを渡してきたところで、我を取り戻したアカリが申し訳なさそうにやってくる。
「あー悪かったな、置いてけぼりにして。アイツと会うといつも、あぁなっちまうんだよな」
「呆れた。それでもお前ら、王の側近かよ。痴情のもつれで刺したりすんなよ」
「誰が刺すか! って、アタシは別に殿のことなんか――」
「もうそれは無理よアカリ。ここにいる人たちみんな、分かっちゃってるから」
「うぐっ……!」
顔を赤く染め、照れ隠しにアカリは肉を頬張る。もきゅもきゅと、物理的に何も言えない状態にし、恥ずかしさと一緒に飲み込む。
「ま、まぁアタシのことはもう良いだろ。早く次のところに行くぜ。今から行くところは――」
「――すみません、そこを退いてください!」
ドタドタッと地響きと一緒に後ろから聞こえてきた声に振り返ると、ソフィアたちの眼前を二頭で引く
牛車のキャビンは荘厳で、一目で『大物』が乗っていることが分かった。
そんな牛車の向かう先は、央都。ライハのいるところだった。
「今から央都で何かあるのか?」
「各島の当主――殿と老中たちによる五大評議会だよ。普通はこんな祭りの時にはやらないんだけど、まぁ事が事だしな」
「それって、サルードの一件?」
「あぁ。沙汰をつける為に、帝国の使者も来てるみたいだからな。そこでサルードの運命が決まるってわけだ」
「そう……ようやく決着が付くのね」
万感の想いを込めながら、ソフィアはほっと一息つく。
これでもう、サルードへの怒りを持ち続けることはなくなったのだ。一時的ではあるが帝国への『勝利』も確定するとなれば、肩の荷も少しは降りるというものだった。
「っていうか、そんな重大な会議にお前は参加しなくていいのかよ」
「まぁ他に用がなかったら参加した方が良いんだろうがまぁ大丈夫だろ。アッチには兄貴もいるからな。頭を使う仕事は兄貴の務めだし、アタシはお前らを案内するのが最優先。それに――」
「それに?」
ハーベに促され、言葉を切ったアカリが苦虫を噛んだかのような渋い顔で央都の屋敷がある方を見た。
「――五大評議会は、大権力者の老中たちによる
「欲望に……囚われてる?」
「言ったろ、トルル全体の当主は国民達から選ばれるって。これって要は、言葉通り『なんでもあり』の実力主義ってことなんだ。――王女ならこれ意味することは分かるだろ」
海の底を思わせるその瞳が、様々な感情によって揺らめきソフィアを見る。
不幸中の幸い――ではないが、ソフィア自身それを体験したことはないが次期女王としてそのことは正しく理解していた。
「権力闘争……。誰でもその座に着くことが出来る制度である以上、『王』の椅子を狙う人がいるってことね――」