「――帝国の特使として参りました、へべレスタと申します。まずは此度の使節団の来国をお許し頂き心より御礼申し上げます」
大広間に入る事なく、敷居の外から膝を突き、右手の太い指を握り締めて手のひらを合わせながらへべレスタが礼を尽くす。
帝国本土から派遣されただけのことはあるのか、今の立場を理解していてサルードのような礼節を欠いた振る舞いは一切していない。
そうして側近たるアスミが返事をする。
「遠路はるばる、北の荒海よりご苦労であった。五大評議会が一人、タイカイの長アスミ・アークライトである。そしてこの隣におられるお方こそが、トルルの十七代目当主ライハ・ディ・ヴォーグ・トルルである」
「お目にかかれて光栄至極であります。ライハ様におかれましてはご健勝とご多幸をお祈り申し上げます」
サルードとへべレスタ。二人の帝国人を目の当たりにしたからこそ分かるその『差』をライハは正しく感じ取った。
「よく来たのぉ特使へべレスタよ。本来であれば歓迎してやりたいところではあるが、そうはいかぬことはお主もわかっておろう」
「はっ!」
「こちらとしても時間をかけるつもりはない。カルメリア襲撃という『内乱』はさておき、我らが特別大使の殺害を目論んだサルード伯爵の奸計。その罪をどの様にして贖うつもりか疾く述べよ。その回答によっては――」
ライハの心情的にはカルメリア襲撃の罪も問いただしたいところだが、同盟前で直接的に関係していない以上、問うことは出来ない。
だからこそ、ソフィアたちの為にもサルード伯の罪を重くしようと考えている。もしトルルを下に見て少しでも有耶無耶にしようとするなら、この場でへべレスタを拘束し、帝国に攻撃を仕掛ける覚悟すらあった。
だが――
「この度は、サルードの暴走でご迷惑をおかけし申し訳ございませんでした!!」
「「「「――――」」」」
問われてすぐの開口一番。屋敷中に響き渡りそうなほどの大声でへべレスタは謝罪の言葉を述べた。
ひたすら平伏するその姿は情けない政治屋を思わせる。この場にいるトルル側の人間誰もがその姿に驚きを禁じ得なかった。
「なんと……まぁ……」
思わず驚嘆の吐息がヨヅルから溢れるが、そこにはどこか怪訝な思いもあった。
現時点で世界の覇者たる帝国よりわざわざ派遣された名代が、頭を下げ続けるその光景。本来ならば、優越感を覚えてもおかしくない。
しかし、そうならないのは軍服の上から羽織る『マント』と、そこに刻まれた意匠が見えたからだ。
帝国軍においてマントの保有は大隊長以上の強者の証。しかも、その意匠はオスカリアスの象徴たる稲妻に絡まる花弁の数は『四枚』。
帝国軍内でも最強クラスの力を誇り、軍の全権をも担う事実上の最高クラス。
見た目に騙されるとは、まさにこのことだろう。
「いきなり謝罪とは……。ということは、其方らは自分達に『非』があると自覚しているということでよろしいのかの……?」
「はっ! 勿論でございます!! 全てはサルード元伯爵の暴走を止められなかった、我らに責任がございます! つきましては、帝国宰相のお言葉を告げてもよろしいでしょうか!?」
「……構わぬ、述べよ」
「ではっ!」
訝しみながらも、下手から怒涛に捲し立てる謝罪を受け取らないわけにはいかない。
ライハの許しを得て、勢いよくへべレスタが顔を上げる。そのあまりの勢いに、頬と顎下の肉がぶるんッと揺れた。
「『――サルード元伯爵の沙汰はそちらの思うがままに為さるといい。こちらの権力闘争に巻き込むつもりはなかった。トルルには最大限の謝罪と共に金品をお渡しする』、とのことです! 金品そのものは船に積んでありますので、後で届けさせましょう!」
「……ちょっと待て。こちらが沙汰を決めて良いというのは、処刑しても構わんと?」
「はい! どの様な形であれ遺体もこちらで引き取りますので、思う存分お怒りをサルード元伯爵にぶつけください!」
溌剌に自国民、それも貴族の処刑を促す帝国の使者。
客観的に見れば誠実なのかもしれないが、相対しているライハたちにとっては謙りすぎて気味の悪さしか覚えない。
これがへべレスタという男の人間性ならそう納得するしかないが、どこか胡散臭さも感じずにはいられなかった。
「殿……これは、恐らく……」
「あぁ、分かっちょる。こやつらはどうやら、サルードの暴走として全ての責任を押し付けるみたいじゃの……」
ボソリと、近くにいたヨヅルが察したことを伝えると厳しい表情で小さくライハは頷く。
「どうされますか……?」
「受け入れるしかあるまいて……。一人の人間に責任を押し付けて逃げることは気に食わんが、アレが帝国全体の計画という証拠はないからの。暴走として片付けられる範疇ではある」
「では……」
「あぁ」
そこでライハが、へべレスタの後ろにいたカイリを見ると、彼女はこくりと首を縦に小さく振る。
それが最終決定の合図。カイリが視続けたへべレスタの姿に『害意』は微塵もなかったと、暗に告げたのだった。
「――よかろう。第十七代目当主ライハ・ディ・ヴォーグ・トルルの名において、オスカリアス帝国の謝罪の意を受け入れる。カイリよ、へべレスタ殿を客室へ案内せよ」
「はっ」
「感謝いたします、トルルの王よ! これで本国にも善い返事が出来ましょう! 今後とも、オスカリアス帝国とトルル海洋共和国が良き仲でいられるよう、よろしくお願いいたします!」
二度、三度。カイリに連れていかれるまで、へべレスタは何度も頭を下げ続けていた。
襖が閉まり『今後』を左右させる重大な会合が、これにてあっけなく終了。
流石の老獪たちも、力が抜けずにはいられなかった。
「なんだか、拍子抜けじゃの……。まさか帝国の使者があそこまで腰が低いとは思わなんだ」
「帝国の中にも、誠実な方はいるということですかの。我々が想像している以上に、帝国の軍団長とやらは『まとも』な方が多いのでは?」
「『まとも』、のぅ……。そうじゃったら、やりやすくはあるんじゃが――」
想定外の謝罪の連発にどうしても違和感を覚えてしまうのは、己が帝国を嫌いだからだろうか。そんな言い表せぬもどかしさを覚えながら、ライハはキセルを加えて肺の中の澱んだ空気を入れ替えた。
「まぁこれで済んだのであればもう良い。サルード元伯爵は処刑。ひとまずはこれで良かろう」
「そういえば、ライハ殿は別件で何か伝えることがあったのでは?」
ハイロウの言葉に、ライハはソフィアとアイリスの間に結んだ盟約を思い出す。
が、緊急性のある話でもないと結論付け、その話を後回しにすることにした。
「その件は祭りが終わった後に話す。今は山場を乗り越え、皆も疲れたことじゃろう。今日と明日は【
「はっ!」
ねぎらいの言葉に頭を下げる老中たち。
ところが、アスミだけがすぐさま顔を上げ、またもや粘着性のある笑みを浮かべたのだった。
「ライハ殿。山場を乗り越えたと仰ったが、それは尚早かもしれませんぞ?」
「……それは、どういうことだアスミ老?」
「先ほどの言葉の続き、カイリ殿についてでございます」
「カイリの?」
「はっ」
そこで首を垂れたアスミ。地に顔を向けるその表情はライハには見えないが、その雰囲気からはどこか愉悦を感じさせた。
「今、タイカイにて出回っている噂でございます。なんでも、カイリ殿が帝国を味方につけて謀反を企てているとかなんとか――」