――それは評議会が終わり、太陽が西の空に傾き始めた頃だった。
シンラは央都、山の地面を繰り抜いて作った『地下牢』にてオスカリアス帝国軍服に身を包んだへべレスタは歩いていた。
薄暗く、篝火の明かりがマントに飾り付けられた銀細工を照らし、影が怪しく蠢く。
まるで地元を歩く市民の様に気軽に歩くその様は、あまりにも馴染みすぎていた。
「失礼。この先への立ち入りは禁止となっております。いかにオスカリアス帝国の
牢獄へと繋がる扉の前で、門番たるトルルの兵士――武者二人がへべレスタの行手を妨げる。
「ふむ。どうしても不可能かね? 確かにここはトルルの中でも限られた者しか訪れることの出来ない場所だそうだが、この先にいるのは我らオスカリアスの人間だ。沙汰の結果をどうこう言うつもりはないが、軍団長として伯爵の最期に話をすることくらいは出来ないだろうか?」
「申し訳ないですが、それでも会わせることは出来ません。誰も通さず、話をさせるなと言うのが殿からの命令ですので」
「……なるほど、カルメリアでの情報を何一つ渡さないということか。ボクが来ても一度も会わせない辺り徹底しているな。あのような『眼』の持ち主が傍にいるというのに、油断をしていないとは中々どうしてやるじゃないか」
へべレスタはじっと頭から爪先まで、武者たちトルル特有の兵装を見る。肩鎧や胴当て、具足などで最低限の致命傷を防ぎ、動きを阻害することなく攻撃に転ずるその防具。そしてあらゆるものを斬り裂くであろう、鋭い刀。
地下牢という最も戦いから離れた場所であっても、完全兵装していることから常在戦場の心得が染み付いているようだった。
「あまり手荒なことはしたくないのだが」
「――ッ!!」
殺気も敵意も害意もなく、地を這う虫を見た感想を言うがごとく淡白なその言葉に、咄嗟に武者二人が柄に手を添える。
カイリの様な特別な眼やライハの様な鋭い感覚を持ってなくても分かる、『無機質』だからこそ伝わる目の前の男の異常さ。
と、そこで片方の武者が一番の異常に気付き、スラリと刀を抜いてへべレスタの首に切っ先を向けた。
「お、おい……! 流石にいきなり抜刀は……!」
「馬鹿、気付け! あまりにも事もなげにしていたせいで心から抜け落ちていたが、そもそも何故この男がここにいる……! 地下牢に入るには、入口前の門番の許可が必要だろうが! それに、先ほどコイツ自身が言っただろう、ここには限られた者しか来れぬと! 何故そのことも知っている!?」
「ッ……!」
その言葉でようやくもう一人も抜刀する。
膨れ上がり、鋭く凝縮されていく殺気の中でもへべレスタは平然としていた。
「答えろ! ここへはどうやって来た!」
「その殿とやらの許可があったから――では駄目か?」
「抜かせ!」
柄を握る手に力が篭る。
地下牢の場所や決まりを知ったうえで、入口を越えてやってきた事実が二人の戦意を昂らせる。
更に言えば、ライハの命令を破った者がいるということもそこに拍車をかけていた。
「さぁ答えろ……! 裏切り者に連れてこられたのか……!? それとも強行突破で門番を――」
「どちらも、と言えばどうする?」
「――――」
――斬る。
その言葉も無しに、敵に対する反射行動として即座に双方から刀が振り下ろされる。
狙いは、脂肪で太くなったへべレスタの首。当たる面積も大きく、柔らかなその肉は容易く斬れるだろう。
当たれば、だが。
「なっ……!」
驚愕の声が溢れる。
躱す隙間もなく一直線に放たれた剣線は、へべレスタの両の指で摘まれ、そのまま枯れ木を折るように軽く刀をへし折った。
パリィンと割れた金属音が地下牢に反射する。
「恨むなら、実力の足りない自分達を恨んでくれ」
身体強化を使った形跡はないのに、その太い身体のどこにその俊敏性があるというのか。
へべレスタは折った刃の切っ先部分を掴み、手の影が消える速度でそれらを武者二人の喉元に突き刺した。
「ガッ……!」
「ゴボッ……!」
血の塊がボトリと口からこぼれ落ちる。
言うまでもなく致命傷。抗う力もなく、二人の武者は石畳の上に頽れた。
それにへべレスタは何の感情も抱くことなく、死んだ武者から鍵を取って扉を開ける。
外の喧騒が中にも響いていたのだろう。鉄格子の向こう側にいたサルードが恐怖に目を見開いていた。
「さて、お会いするのは初めてですねサルード伯爵」
「お、お、お、お〜〜〜!!」
もはや懐かしさすら覚えるオスカリアスの軍服を目に入れたことで、恐怖が歓喜に変わる。
孤独に死を待つだけのサルードにとってへべレスタは正しく救世主だった。
「そ、その軍服……! そのマント……! ま、まさか軍団長自ら、た、助けに来てくれたのか……!? や、やったぞ……! さぁ早く我輩をここから出すのだ! そのために来たのであろう!!」
「えぇ、まぁそうですね。出すつもりではありますが、どうやら門番は鍵を持っていなかったようでして。鍵を開けるのに時間がかかります。その間、サルード伯の身に何があったか教えていただけますか?」
ガチャガチャッと鉄格子にかけられた錠前をへべレスタが弄る。それを見て、ようやくこの惨めな生活からオサラバ出来るとサルードの気が一気に緩んだ。
「あぁ、あぁ……! 全てを語ってやろうぞ、我が同志よ……! 高貴なる我輩がこのような所に入れられたのは、偏にあの女どものせいだ!! あやつらいなければ我輩は今頃カルメリアを……!!」
「女ども……? 兄妹ではなく……?」
「そうだ!! 確かにあの小賢しい兄妹も要因の一つではあるが、クリュータリアから来たとかいうあやつらこそが元凶……!! えぇい……、思い出しただけでも忌々しい……!」
「……カルメリア襲撃には、混成機獣のアルゴスを筆頭に多種多様な機獣と大隊長率いる帝国軍がいたはずです。それらを撃退したのが、トルルの特別大使ではなくクリュータリアの人間だと?」
「だからそうだと言っているだろう!」
泡唾を飛ばす勢いでがなり立てるサルードをよそに、へべレスタは考え込む。
「……大隊長の力は言わずもがな、アルゴスにしても
「これ! 何を手を止めておるか! そんなことより早く我輩を解放せんか!! トルルの兵士どもが来たらどうする!!」
「あぁ、すみません。中々、硬くて。それでその女どもとやらの特徴は? 姿や戦い方などは?」
「両方とも黒髪だ! 特に背の高い方は殴ったり蹴ったりして、アルゴスを叩き伏せおった! アルゴスがあそこまで柔だとは思わなかったぞ!」
「武器も大規模魔法もロクに使わず真正面からアルゴスを……? 身体強化の魔法……? だとすれば、その場合の強化率は軍団長に匹敵する……。――これは、計画を一度練り直す必要があるな」