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5-3  「全ては彼女の思うまま」

「――カイリが帝国と与して謀反、のぉ……。そんなことはあり得ぬと思うが……」


 一人、広い屋敷の廊下を歩きながらライハはアスミより告げられた噂話を思い返していた。

 そう、噂話だ。

 ライハにとってカイリという存在は愛する伴侶というだけではない。自分が子供の頃から一緒にいて、共にあらゆる危機を乗り越えてきた心の底から信頼できるパートナーだ。一心同体といえるほどにその絆は深く結びついており、カイリがライハを裏切る理由も動機も何もない。

 その可能性を考えるだけ無駄なのは分かりきっているのだが、アスミはそれを議論の種としていた。



 老中たち権力者が集まる大広間の中で、アスミだけが愉悦を思わせる薄ら笑いを浮かべていた。


「――この国、否、現状この世界であらゆる害意を見抜けるのはカイリ殿だけ。ですが、その彼女が拙たちに嘘をついていたら? 誰も彼女の企みを見抜くことが出来ないのです」

「……そのような疑心を今更抱く必要はなかろうて。カイリ殿がライハ殿――延いてはトルルを裏切るそんなことあるはずなかろう。十年前も、そして昨日の海賊の件も、それ以外の国難もカイリ殿の危機察知があったからこそ乗り越えられたと言っても過言ではない」

「ハイロウの言う通り。よしんば、その邪推が真だったとするのなら、カイリ殿は『その気』になればいつでもトルルを堕とせたはずであろう」

「えぇ、えぇ。まったくもってその通り。拙もそう信じたいところではある。が、全ては信頼を勝ち取るため――というのはどうじゃ? 事実として誰も疑っておらんようじゃしの。いや、カイリ殿に依存していると気付いているからこそ、否定したくないのかの?」

「何を……!!?」


 もはや、裏切り前提で話を進めるアスミ。それを否と唱えることは出来るが、その証明が出来ない以上ハッキリと断ずることは出来ない。

 それを分かっているからか、アスミの言葉は止まらない。


「己が力の信頼を得られたのなら、あとはカイリ殿の思うがまま。拙の不甲斐なさを語るようで申し訳ないが、先の海賊の件にしても、この時期に海賊がやってくること自体が異例であろう? ましてや、ライハ殿が出かける予定と知っているのは限られた者だけ」

「情報を流せるのは、アスミも同じであろうが。むしろ海賊島に近いことを考えれば……」

「確かに拙も怪しいと言えるかもしれないが、拙には不可能。カイリ殿より吐き出される言の葉が嘘であれ真実であれ、カイリ殿の力そのものは本物。トルルを脅かそうと考えた時点で、カイリ殿に見抜かれるであろう」


 自分の潔癖さの証明は容易いというのか、アスミはツラツラと言葉を捲し立てる。


「お分かりか? 全ては彼女の思うまま。この国でカイリ殿だけが自由に動けるのだ――」


 カイリを疑いながら、それでいて能力部分は信じるその矛盾。アスミの言葉には粗が多く、信じるに値するものはなにもない。そんなことは誰もが分かっている。

 しかし、たった一つ。カイリが『嘘を付く可能性』を正面から突きつけられてしまったことで、僅かながら疑念が生まれてしまった。

 混乱が場を渦巻いていく。


「戯言はもうよいわ!!」


 疑心に満ち、空気が不穏に澱む中で裂帛の喝がライハより放たれる。

 老中たちが上座を見ると、ライハは眦を吊り上げ怒りを露わにしていた。感情が昂りすぎているのか、澱んでいたはずの空気が物理的に重くなりアスミ達を押し潰さんとしている。


「戯言と、申しますか」

「あぁ、そうじゃ。アスミ老、お主の話は分かった。が、それらは全てカイリが怪しい企みを行った事実があればこそじゃ。カイリが一度でもこの国を害するようなことはしたか? お主に何かしようとしておるか? もし、ワシの知らんところでやっていたのなら申してみよ」

「……」


 アスミはなにも言えない。

 当然だ。カイリが権力を欲したとして、その『眼』を使えば老中たちくらいなら『叛意を持っている』と言って、すぐさま失脚させられる。

 それすらもしていない以上、この話は論ずるに値しない。

 ライハは烈火の如くアスミを睨む。ライハよりも長く生きて『トルル』に仕える老獪であろうとも、それでもこの国の長はライハなのだ。

 そこには確かな『当主』としての圧があった。


「それ以上、ワシの妻を愚弄するでないぞアスミよ…! 確たる証拠があるならいざ知らず、噂の出所も分からぬ話を持ち出して疑心を植え付けてなんの意味がある!」

「ライハ殿、奥方を信じたい気持ちも十分理解しますがの。それでも念頭には入れておくべきではありませぬか? たとえ昔は純粋な気持ちで支えていたとしても、権力を持ったことで欲望という沼に引き摺り込まれたという線も――」

「アスミ」


 『老』の敬称が消え去り、熱を一瞬で失わせるほどの冷徹な怒りがアスミに襲い掛かった。

 その静かな憤怒は他の者にも影響し、彼らの肌が総毛立つ。

 誰一人として口を開くことを許さず、息を一つ漏らすだけで畳の染みと化しかねなかった。

 直接、瞋恚を向けられていない彼らでそれなのだ。標的となったアスミは、心を隔絶させて思わず流れそうになる冷や汗を必死に堪えていた。

 常に飄々としていた彼の笑みは、凍ったように元に戻らない。


「カイリはワシの愛する妻であるが、それと同時にお主らにとっても同郷の仲間であろう。それも心の底から信をおける奴じゃ。だというのに、仲間で疑い合ってなんになる。それこそが『敵』の思う壺であろうが……! 老中とあろうものが、軽挙妄動を慎まんか!!」


 雷鳴のような怒号がアスミに降り注ぎ、思わずアスミは平伏する。

 しかし、これだけ怒りを買ってもなお、アスミは震える唇で己が言葉を貫いた。


「こ、これはこれは、申し訳ございませぬ。ですが、お気をつけくだされ御当主殿。一人の言葉だけを頼りに動くことの危うさを――」

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