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5-4 「この刹那」

 ――そうして暴論はライハの一喝で強制終了となり、それぞれは解散。

 しかし、一息つけたことでライハは少しばかりアスミへ怒りを向けたことを反省していた。


「論ずるに値するものではなかったが……あれはあれで、アスミ老なりの忠告であったのかもしれぬな。確かにカイリに頼りすぎていた部分は否めん。これからは……」

「ライハ様!!!」


 廊下の奥から放たれた、緊迫の声にライハは即座に思考を入れ替える。

 顔を上げると、そこには瞳に怯懦を覗かせたカイリがその美貌を悲痛に歪めていた。

 よっぽど焦っていたのだろう。『声』を魔法で届けることもせず、ライハを探して走り回って艶やかな髪はボサボサに跳ねていた。


「カイリ? どうしたんじゃそんなに慌てて」

「はぁ、はぁ……! さ、先程地下牢の方で強烈な『害意』を感じ取りました……! それもこの眼の反応……十年前の大海嘯以来でございます……!!」

「ッ……!!」


 十年前の災厄以来の害意。

 それはつまり、トルル滅亡の危機ということに他ならない。


「地下牢と言えば、サルードか……? いや、彼奴如きにそのようなことは出来まい。だとすれば、へべレスタが……」

「考えている暇はありません……! 今すぐ祭りを終え、アカリたちを招集して兵を整えなければ……!」

「……そうじゃな。きっかけも犯人もいずれ判る。カイリがそういうのであれば――」


 ――アスミの言葉を信じてはいない。裏切りはあり得ない。カイリのことを誰よりも信頼している。

 それでも、ほんのごく僅か。

 まるで手のひらに刺さった小さな棘が、ふとした瞬間気になってしまうようにライハの断固たる思考が一瞬だけブレた。


「――この刹那を十年待ったぞ」


 ライハの影から一条の銀閃が放たれ、無防備なその背中を斬り裂いた。



「ライハ様!!」

「覚悟!!」


 背中を斬られ前のめりになるライハを見て彼女は悲鳴を上げる。

 それと同時に、全身を隠す黒い戦闘衣に身を包んだ刺客がトドメを刺さんと、短刀をライハの首へと走らせた。

 意識外、無防備のところに放り込まれた一撃に次ぐ攻撃。常人なら躱すことは不可能。

 だがこれで倒れるくらいなら、ライハは現役最強とは言われていない。


「なんじゃあお主はァ!!」

「ごはッ……!?」


 痛みを感じていないのか、振り向くと同時にライハは刺客の胴に踵をぶち込んだ。

 衝撃が余すことなく腹から背中を突き抜け、その体が吹き飛ぶことを許さない。腹を抑え、たたらを踏む刺客の顎を蹴り上げて砕き、そのままの勢いで無防備な顔面に踵を振り下ろす。

 刺客にとってそれはまるで首を落とさんとするギロチンに思えたことだろう。

 砕かれた顔面から溢れる血が木造の床に染み込んでいく。


「ラ、ライハ様……!? お身体は……!?」

「問題ない。薄皮一枚斬れたくらいじゃ。それと、すまなんだカイリ。ほんの一瞬だけ、お主を疑ってもうた……。許せ……」

「疑う……? なにを仰っているのかは分かりませんが……ライハ様の私への謝意は伝わってございます。であれば許しましょう」

「助かる。ならば、勝手ながらこの件は終わりじゃ。カイリ、ワシの傍を離れるでないぞ」

「え……?」


 カイリを庇うように背を向け、ライハは全方位を警戒する。


「これがアスミの奸計かどうかは分からぬが、このタイミングでワシに言葉の毒を刷り込んだことを考えれば可能性は高い。おまけに、こやつの『十年』という言葉を考えれば――」


 突如空間が揺らぎ、その中から黒く塗られた刃が一本、二本と走る。それを皮一枚掠らせることもなく躱して即座に攻撃に転換。

 だが、刺客たちはそれを回避。距離を取り機を伺う。

 そして刺客はさらに増え、合計五人。誰もが無感情でライハに刃を向けていた。


「ほう。カイリではないが、ワシでも殺気くらいは見抜ける。が、この状況下でもワシにそれを向けておらんとは、どうやらお主らは感情を出しながら先走った此奴とは別格のようじゃの。どうじゃ? それほどの強者、今ならワシの配下として迎え入れることも……」


 その返答は、攻撃によって回答される。

 派手な攻撃、魔法は使いたくないのだろう。全員が近接戦闘を行い、見事な連携でライハを追い詰める。


「まぁ、そうなるじゃろうな。じゃがの……」


 カイリに当たらぬように攻撃を逸らし、回避と防御に徹するライハ。刺客たちは攻撃と攻撃の隙をそれぞれ埋め、反撃を許さない。

 それでも、だ。


「この程度でワシを殺せると本当に思っちょるなら……舐められたモンじゃの!!」


 ドンッと床を力強く踏みしめると、その床は割れることもなく衝撃が伝播。刺客たちの足元に現れ、強制的に態勢を崩させた。


「なっ……!」

「なんじゃ、驚く感情は持っておるんじゃの。なら、それがお主の最期の感情じゃ。恐怖することもなく逝ね!」


 接近した加速を止めることなく、衝突の勢いで右膝を胴にめり込ませると刺客の内臓が破裂しそのまま死亡。

 続けて自分の指を宙で弾いていくと、空気の弾がカイリに襲い掛かる刺客たちの額に直撃。仰け反るほどの衝撃が脳を揺らし、足が立つことを拒絶する。

 刺客たちの死は免れない。

 戻ってきたライハがカイリを庇いながら刺客の命をまた一つ絶った。 


「さぁあと二人じゃ。カイリを狙ったことを後悔しながら――」

「――まったく、使い物になりませんね。何もかも予定外。これだからライハ様以外の男は嫌なんです」


 背後から失望だらけの声が背に届いた瞬間、薄皮一枚分斬れていたその傷にカイリが刃を突き立てた。


「ガッ……! カ、カイリ……。お主……」

「申し訳ございませんライハ様。ここで貴方は――」


 何が真実で何が嘘なのか。アスミの言葉を信じそうになったその時。


「『放て穿ち、黄泉の地へ。【葬りの水矢ネイトリス】」


 廊下の奥から飛んできた四本の水の矢が、残る刺客たちとカイリに向かって勢いよく迫る。

 それを咄嗟に弾く刺客たちだが、矢を放った方向を見ることはない。


「お前たち!!」

「はっ!!」


 倒れゆくライハの身体を蹴飛ばし、刺客はカイリの肩を掴む。

 ここから離脱するつもりなのか、三人の前に空間が揺らいで『道』が出来た。


「お主……」

「その身体を貰えなかったのは残念ですが、それはまた次の機会にしましょう。ではまた、全てが終わった頃にお会いしましょう」


 ライハが地に伏せると同時に水の矢が再度放たれるが、それらが刺客たちに届くことはない。

 刺客たちはこの場から消え去り、代わりに奥から髪をかき上げたユウマがやってきた。


「殿……!! ご無事……ではありませんよね……! クソッ、まさかここで殿を狙った襲撃とは……! それも、カイリ様が……」


 血溜まりの中に沈むライハに顔を歪め、この状況を作り出してしまった己と『敵』への怒りが心を満たす。

 そこに加えて、信じがたいカイリの離反。絶対な信頼を置いていただけに、ユウマの心は引き裂かれそうにもなっていた。

 ライハに止血を施すその手が震えている。


「ワシとした……ことが。ユウマよ……お主に……命令を下す……。ワシは…一人になって、姿を隠す故……お主はカイリを見つけ、保護せよ……!」

「保護って……殿! カイリ様はたった今……」

「アレは、カイリではない……。偽物じゃ……。おそらくはアスミ配下の、の」

「なっ……!」


 信じがたいその言葉。なぜなら『偽物』であれば、ソフィアたちの正体を見抜いたライハが気付かないはずがないのだ。

 それが斬られるまで分からなかったのなら、もはや本人としか言えない。誰もがそう判断するだろう。

 それでも、この場にいるのはライハの忠臣だ。


「アスミ老がカイリ様のお姿を使って謀っているのですね」

「あぁ、そうじゃ……。信じられぬかもしれんが、それでも……」

「いえ、信じますとも。なにせカイリ様は、おれ達兄妹にとっては『母』も同然。母を疑う子なんておりません。必ずや見つけ、下手人を始末いたします!」


 断固たる決意を聞き、ライハに笑みが溢れた。


「流石じゃの……。それならばもう一つ……。これからのことは隠密に行うのじゃ……。誰が敵かも分からぬ以上、一人で行うしかない……」

「ですが殿、それでは時間が……」

「それならば……大丈夫じゃろう。余計な混乱を生み出さないためにも……、祭りも完遂させて構わん。とにかく……今はカイリじゃ。あやつが敵の手に落ちておるなら……一刻を争う。敵を見抜くためにも、カイリを……」

 息をなんとか整えながら、フラフラと立ち上がるライハを支える。

 血の流れを操作し、止血は出来たが傷は深い。事態を把握し、まともに動けるのはユウマしかいない。


「おれにお任せください。必ずやカイリ様を……おれ達の母さんを取り戻してみせます――」

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