「その、風花ちゃん、あの後どうなったの?」
「実は、自律神経不全と診断されまして。眠りたくても眠れず睡眠薬漬けになりまして……」
「…………」
「休職したのですが、いつの間にか退職扱いにされていまして」
「クッッッッソ愛沢部長!」
「結局は泣き寝入りに。就活もしたんですけど、不採用続きで余計に病んでしまって……。最後には、発作的に大量の睡眠薬を――」
「なっ――!」
暗かったコトリン夫人の顔が、ぱっと明るくなった。
「ですが、結果オーライですよ。今はこうして、ささやかながらも幸せな暮らしを送っています。夫は優しいですし、子供は3人もいますし」
「子供! 3人!?」
異次元世界の話みたいだ。
非モテかつ男運最悪だった前世の私からは、到底信じられない世界の話。
「それに、趣味レベルですがプログラミングも続けているんですよ」
「へぇ? あ、そうか。自動人形はけっこう出回ってるんだっけ」
「ですね。先ほど伺ったロボット――鉄神でしたっけ――は出土してませんけれど。あ、話がちょっとそれるんですけど、実は良くないウワサがありまして」
「ウワサ?」
「ええ。多少プログラミングを聞きかじったことがある人なら、自動人形の起動プロセスにあるfor文のことに気づくでしょう?」
for i in range(9999):
自動人形の、毎朝の起動処理の冒頭に刻まれていた一文だ。
この用途不明な記述によって、自動人形は27年と数ヶ月で活動を停止してしまうのだった。
「この領でも、そのことに気づいて記述を書き換え、自動人形を復旧させた人が何人もいるんです。で、そんな彼ら彼女らがある日、こつ然と姿を消すんです。もちろん大騒ぎになるのですが、数日後、ひょっこりと戻って来る。けれど彼ら彼女らには、その間の記憶がまったくないんです」
「…………」
何だ、その不穏な話は。
そのfor文、私も『99999』に書き換えちゃったんだけど。
「かく言う私も、幼少の頃に数日、神隠しに遭いました。幸いにして1年経っても体に変化がなかったので、長じてからこうして夫に嫁ぐことができたんですけど」
「……?」
って、そうか。
男爵家に嫁いだってことは、コトリン夫人は貴族の出。
貴族は血筋を何より重視するから、婚前交渉なんてもってのほか。
ましてや攫われて無理矢理子供を作らされたなんてことになったら、修道院に行く以外の道がなくなってしまう。
なんというか、日本とは価値観が違いすぎて未だにびっくりする。
「そんなわけで、我が領では自動人形のプログラムをいじるのはタブーになっています。まぁ、一度神隠しに遭った者が二度遭うことはないので、私みたいな神隠し経験者はバンバンプログラム修正しちゃうんですけどね」
カラカラと笑うコトリン夫人。
「一説には、モンティ・パイソン帝国がプログラミング能力を持つ物を攫っているとかなんとか」
「でも、数日で帰してくれるんだ?」
「ナゾですよね。まぁ攫っているというのも根拠のないウワサですが」
確かに。
「でも、for文が9999回で終了するってのが、いかにも恣意的じゃないですか。ちょっとでもプログラミングを知っている人からすれば、ついつい『9』を付け足して『99999』にしたくなっちゃうじゃないですか」
うん、確かに。
実際、私はドヤ顔しながら『9』を付け足したし。
「思うにあれは、プログラミングができる人材をあぶり出すためのエサなんじゃないでしょうか。モンティ・パイソン帝国の技術力なら、自動人形の中に無線やGPSを埋め込んで、コードが変更されたことを帝国に知らせるくらいできそうじゃないですか?」
「それで、強制的なリクルート活動を?」
「かも。もしかしたら、先輩も攫われるかもしれませんよ。くれぐれも気をつけてください」
「マジかよ。怖すぎる」
と、その時、
――ばぁーーーーんっ
と、扉が開かれた。
「攫う!?」飛び込んできたのは、顔面蒼白のクゥン君。「貴様、女神様に何を――」
「ちょちょちょっ、クゥン君!? ダメでしょ聞き耳なんて立てたら!」
「い、いえっ」クゥン君のしっぽが下がる。可愛い。「聞き耳なんて立ててません。けど、不穏なワードに反応する【バルルワ・イヤー】という常時展開型魔法を習得しておりまして」
「何それめっちゃ便利じゃん。でも、『攫われる』っていうのは私たちの仮想敵国であるモンティ・パイソン帝国に関する悪いウワサについての話だから、安心して。いや、安心するのもヘンなのかな……? まぁ、私が今すぐどうこうされるって話じゃないから」
「そ、そういうことでしたら……」
「お姉ちゃん!?」続いて、顔面蒼白のカナリア君が部屋に飛び込んできた。「攫われるの!? お姉ちゃん、攫われちゃうの!? どっか行っちゃうの!?」
カナリア君、私の膝の上によじ登ってきて、私にぎゅっとしがみつく。
抱き締めてやると、カナリア君の体が震えていた。
「どこにも行かないよ」私はカナリア君の背中をとんとんしてあげる。「大丈夫。私はカナリア君のそばにいるから」
「うん……」
ぐずり気味のカナリア君が、私の膝の上で、ネコのように丸まる。
かっ、かわっっっっっっっっっっっっっっっっっっ!
「か、カナリア君! やっぱり私の子供にならない!?」
「いやーーーーっ!」カナリア君が膝の上で暴れた。「ボクはお姉ちゃんの子供じゃなくて、夫になるの!」
「くぅ~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!」
甘美なる無毒性脳内麻薬を堪能する私。
「なんだか罪深い遊びをなさっておいでのようですが……」
顔を引きつらせながら、コトリン夫人が言う。
口調が丁寧なものに戻っているのは、二人きりではなくなったからだろう。
つまり、『風花ちゃん』から『コトリン夫人』に戻ったのだ。
私も、改めて彼女のことは脳内でも『コトリン夫人』と呼ぶようにしよう。
うっかり人前で『風花ちゃん』と呼んでしまった日には、『誰それ?』という事態になりかねないのだから。
「ところで、辺境伯閣下」そのコトリン夫人が、遠慮がちな態度で私に問いかける。「そちらのお子さんは?」
「王太子殿下です」
「…………はい?」
「くれぐれも、くぅれぐれも他言無用でお願いしたいのですが。この方は国王陛下のご嫡男、カナリア王太子殿下であらせられます」
「ふぁぁあああああああ!?」
あまりの衝撃に、『コトリン夫人』としてのペルソナが吹っ飛んでしまった風花ちゃんなのであった。
◇ ◆ ◇ ◆
なんとか落ち着いたコトリン夫人と一緒にみんなで語らっていると、にわかに屋敷が騒がしくなってきた。
「大変だ!」部屋に飛び込んできたのは、四十歳くらいで身なりの良い男性。「魔の森で、巨大な自動人形が見つかったのだ! それに、謎の鋼鉄製の地面も! コトリン、お前も来てくれ」
って、ヤバい!
森に隠してきた2号とM4が見つかっちゃった!?
鉄の地面って、エレベータまで見つかってるじゃん!
「おや、この方々は?」
男性が首を傾げた。
「こちらはエクセルシア = フォン = バルルワ = フォートロン辺境伯様よ。ウワサのドラゴンスレイヤー様」
「おおっ! 例の、巨大な自動人形乗り様であらせられましたか!」男性が貴族の礼を取る。「申し遅れました。わたくし、ワークシュタット男爵家の当主でございます」
コトリン夫人の旦那さんで、この男爵領の領主様というわけだ。
「エクセルシア = フォン = バルルワ = フォートロンと申します」
私はカーテシーで返礼。
「不躾で申し訳ありませんが」男爵が言う。「いくつかお伺いしてもよろしいですかな?」
「は、はい」
「聞けば閣下は、身の丈5メートルの巨大な自動人形を駆って、伝説の地龍を討伐したとのこと。まことに勇猛なお話で、わたくしは閣下の武功に感服いたしました」
「は、はぁ」
貴族の興りは魔物や蛮族から身を守るための小集団の長。
戦士、騎士といった存在だ。
自分たちの生命と財産を守ってくれない領主なんかに民はついて来ない。
貴族は戦って、勝利してナンボ。
だから、貴族は武功を重んじる。
『民を虐げる、ぶくぶく太ったお貴族様』というのは、エンタメの中だけの存在なのだ。
もちろんいないわけじゃない……前辺境伯のように。
けれど度が過ぎれば、先日の決闘のように国王陛下が断罪してくれる。
「さらには、身の丈10メートルの超巨大自動人形までお持ちであり、その人形はミニドラゴンをも撫で斬りにできるのだとか」
「はい。まぁ、そうですね」
なんだか、話がマズい方向に……。
「その巨大自動人形と超巨大人形が、なぜ我が領内で身を潜めているのですかな?」
「…………」
で、で、ですよねー……。
不法侵入と伏兵配置。
おまけに非戦闘員を装ってのスパイ活動。
もちろん私たちにそんなつもりはないのだけれど、状況的には『押し込み強盗の下見』そのもの。
これは面倒なことになってきたぞ。