私は真っ赤になりながら、その名を口にした。
「クゥン君、です」
「「……………………はい?」」
ヴァルキリエさんとクローネさんが、首を傾げた。
「えーと」とヴァルキリエさん。「どうして? そりゃ彼は好青年だし有能だが、王太子殿下との縁談を断ってまで選ぶほどの相手かい?」
「それに彼、獣人ですよ?」とクローネさん。「辺境伯の配偶者としては、相応しくないと思いますが」
私は、カチンときた。
この世界に転生してきて数週間。
前辺境伯にモラハラパワハラを押し付けられても、魔物の大軍に襲いかかられても冷静に対処し続けてきたはずの私が。
前世の愛沢部長のモラハラパワハラによって、図らずも鍛えられてきた私の強靭な精神力が。
今、唐突に許容限界を超えた。
「どうして、ですって!?」
気がつけば、私は大音声で叫んでいた。
泣き叫んでいた。
珍しいことだった。
「逆にお伺いしますが、ヴァルキリエさんはなんでそんなことが言えるんですか!? クローネさんも! 獣人差別はもう止めてくれたんじゃなかったんですか!?」
「ちょっと、落ち着いてくれたまえ」
「だって、だって――」
私は誰と結婚すべきか問題。
そりゃ、バルルワ = フォートロン辺境伯家のことを考えるならカナリア君一択だ。
王家の後ろ盾があれば、辺境伯家は安泰だろう。
私が2人の男児を生み、1人は王家を継ぎ、もう1人は辺境伯家を継ぐ。
中央と国境沿いの両方を鉄神たちに守護させれば、王家も安泰だ。
ゲルマニウム王国はますます繁栄する。
けれど。
けれど私は、できれば想い人と一緒になりたい。
私の想い人――クゥン君と、だ。
そんな、惚れる要素なんてあったか、って?
あったんだよ。
出逢ったその瞬間に。
超弩級の『惚れる要素』が。
私の感情が爆発した。
「彼はっ、私のっ、命のっ、恩人なんですよ!?」
今も覚えている。
時々、夢に見る。
目覚めて0秒で死にかけた時のことを。
坂を転げ落ちる馬車の中で『エクセルシア』として覚醒し、
火の点いた馬車から命からがら這い出して、
かと思えば見たこともない魔物に矢を射掛けられ、
……殺されそうになった時のことを。
『転生だ、やったぜ』とかなんとか陽気を装っていたけれど、あの時の私は恐怖で震えていた。
怖くて怖くて、わけが分からなくて。
消えてしまいそうになって、無我夢中で助けを呼んだあの時、
『若奥様から離れろ!!』
そう言って颯爽と現れた彼の、なんと格好良かったことか。
使い込まれた革鎧を着込んだ背中の、なんと頼もしかったことか。
私を死の淵から救ってくれたクゥン君。
私がどれほど彼に感謝し、彼に依存したか。
この感情の大きさと重さはきっと、クゥン君にだって分からないだろう。
「……すまない」ヴァルキリエさんが頭を下げた。「そうだったね。失念していたよ。彼はキミの、命の恩人だったね。そのうえ、彼は優しく、紳士的で、しかも強くて有能だ。そりゃあ好きにもなるだろう」
「いえ、分かっていただければ……こちらこそ、感情的になってしまってごめんなさい」
「わたくしこそ、すみませんでした」クローネさんも頭を下げてくれた。「そうですよね。種族は違えど、大切な人であることに変わりはないのに」
「この家で働く以上、獣人差別は無しですよ」
「もちろん分かってますよ! というか、わたくし、治療院で毎日獣人の皆さんを癒やしてますし」
「そうでしたね」今度は私が頭を下げる番だ。「すみません、疑ってしまって」
「いえ……紛らわしい言い方をしたのはわたくしですので。わたくしが言いたかったのは、『領都では未だ獣人差別が根深いから、配偶者が獣人だと統治に苦労する可能性が高い』ということです」
「あー……それは、そうでした。すみません。私、自分の感情ばかり優先してしまって」
これは素直に反省だ。
今の私は平凡な社内SE女子ではなく、1万数千人の領民の生命と財産に責任を持つ辺境伯。
貴族女性にとって、結婚と出産は義務であり仕事。
本来は、恋愛感情を優先すべきではないのだ。
けれど。
ああ、けれど。
前世で男運に恵まれなかっただけに、『今世でこそは』という夢を捨てきれないでいるのだ。
つまり私は、『結婚』ではなく『恋愛』がしたい。
いい年して恥ずかしいと思うし、私について来てくれる家臣や領民に申し訳ないとも思うけど……せっかくこうして生まれ変わったのだから、と。
「クゥン君……」