【Side クゥン】
「はぁ~~~~……」
隠し扉から空の下に出るやいなや、女神様は盛大なため息をついた。
「思ったとおり、領都の郊外――城壁外に出ちゃったよ」
「これってまさか」
「うん。領都が魔物かモンティ・パイソン帝国に攻められて包囲された時に、自分だけ逃げ出す用の秘密通路だね」
「なんて卑劣な……」
ノブレス・オブリージュ。
民を守るのが、領主の義務なのに。
「いやもう、ホントそうだよね。守るべき領民を、自分が逃げるまでの時間稼ぎ――捨て石くらいにしか思っていなかったんだよ、あの男は」
心底嫌そうな顔をしながら、女神様は言葉を続ける。
「つまり、こういうことだ。
前辺境伯邸には領都外と繋がった隠し通路があった。
そしてその隠し通路には、いざ前辺境伯が逃げている最中に追手と戦うための大型自動人形が配置されていた。
恐らく、自動人形は夜な夜な隠し通路を巡回していた。
その音が、『怪音』として周囲に認識されていた」
「ということは、『怪音』は前辺境伯邸が上にあった頃から鳴っていたと?」
「だろうね。けれど、人が住んでいる屋敷から夜な夜な音がするのは、別におかしなことじゃないでしょう?」
「そりゃそうですよね。それも、何百人も住んでいる屋敷なのですから、夜間に誰かが起きていても不思議じゃありません」
「そゆこと。でも、屋敷がなくなっても音が鳴り続けていたから、周辺住民が不気味に思ったんだろうね。
んじゃ、面倒だけど来た道を戻ろっか。あの自動人形は何かに使えるかもしれないから一応回収しよう。んで、鉄神を拾ってから職人ギルド長に報告に行って、私たちの家へ帰ろう。夕食までには戻れるよ」
「分かりました。エクセルシア、お疲れではありませんか? 何なら抱きかかえて差し上げますが」
「だ、大丈夫だよっ。子供扱いしないで」
「そうですか? ですが先ほどは」
「さ、さっきのは! ちょっとびっくりしただけだから」
「ふふっ。失礼いたしました。では参りましょうか」
こうして、オレと女神様の小さな冒険は幕を下ろしたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆
「今日の午後、私とクゥン君は半休とします」
朝食時に、一同に向かって女神様が言った。
「これまた急だね」とヴァルキリエ様。
「それは謝りますけど」不満顔を隠そうともしない女神様。「昨日はトラブル続きで、ちっとも休めなかったんですよ」
「聞きました」とクローネ様。「なんでもあのクソ前辺境伯、自分だけ逃げるための隠し通路を掘っていたとか」
「そうそう、そうなんです! 聞いてくださいよクローネさん」
興に乗ったのか、昨日の出来事を話しはじめる女神様。
ヴァルキリエ様とクローネ様、大臣様方が、相槌を打ったり軽口を挟んだりする。
当主と家臣団が仲良しなのは、本当に良いことだと思う。
前辺境伯の時のような、意見具申や諫言すら許されないような淀んだ雰囲気がない。
食堂の空気はとても和やかだ。
「ところでエクセルシア」とヴァルキリエ様。「聞くところによると、昨日、いけ好かない職人ギルド職員をぶちのめしたそうじゃないか?」
「い、嫌だなぁ」露骨に視線をそらす女神様。「気弱な私がそんなことするはずないじゃないですかー」
「ふぅん? 鉄神でギルド会館に乗り込んで、『ぶっ殺すぞ』と脅したそうじゃないか」
「してません、してません。そりゃ、『鉄神で叩いたらどうなるかな』とは言いましたけど」
「くくっ。ぶふふっ。それって」爆笑のヴァルキリエ様。「『殺す』って言ってるのと同じじゃないか」
「まぁ、ちょっと大人げなかったとは思いますけど」
「ちょっとどころの話じゃないよ。まぁ、事の背景も聞いているよ。ムチで打たれる獣人を助けようとしたんだってね?」
「はい。……アイツら、本当に許せません」
「気持ちは分かるが、この地における獣人差別は根が深いからね……。さっそく、職人ギルド連合から猛抗議の手紙が来ているよ」
「昨日の今日で? 領主への抗議って、もっと慎重にやるものじゃないんですか? 法律も税も裁きも、全部私の一存で決めることができるというのに……職人ギルドって、以前からそんな感じだったんですか?」
「そんな感じ、というと?」
「考え無しというか、領主にすぐに噛みつくというか」
「いいや」ヴァルキリエ様が首を振る。「前辺境伯時代には、領主に抗議してくるようなことは一度もなかったよ」
「なら、なんで?」
「理由は主に3つある」
「と言いますと?」
「1つ目は、キミが贈賄を禁止したこと」
「そんなの、当然のことじゃないですか!」
「怒鳴らないでおくれよ。私はキミの判断を支持するよ。だが、支持しない者もいる。その筆頭が職人ギルド連合なのさ。
彼らは前辺境伯に賄賂を贈ることで、様々な便宜を図ってもらっていた。職人、なんて名前が付いているが、あそこに在籍する男どもには、職人と呼べるほどの技術を持っている者などいやしない。ギルドの『特権』の上にあぐらをかいているから、技術力は落ちる一方なのさ」
「そんなんじゃ、仕事を取ってこれないじゃないですか」
「そうだよ。事実、キミが辺境伯になって以降、職人ギルド連合では閑古鳥が鳴いている」
「そんなんで、今までどうやってギルドを維持してきたんですか?」
「だから、賄賂さ。前辺境伯に賄賂を贈って、『特権』をもらっていたんだ」
「特権とは?」
「建築にせよ服飾にせよ金物にせよ家財道具にせよ、ギルドに所属していない者が勝手に仕事を請けてはいけないことになっていたのさ」
「あぁ、私が着任早々に廃止したあの法律ですか。あんな法律があったら、市場で競争が生まれなくなるじゃないですか。……って、あぁなるほど、それが特権」
バルルワ村は一定の『自治』を認められていたから、その『特権』の対象外だった。
つまりバルルワ村では、村人が自由に家を建てたり裁縫したり道具を造っていた。
なぜそれが許されていたかというと、当時のバルルワ村はしょっちゅう魔物に襲われる危険極まりない地で、領都の職人が誰一人来てくれなかったからだ。
そんなわけで、温泉郷に生まれ変わったバルルワ村の村民は今、持ち前の技術で温泉街の建屋を建築したり、お土産用の工芸品を造ったりしている。
職人ギルドからすれば、それが許せないらしい。
本来は自分たちのものになるはずだった仕事を奪いやがって、ということになるのだとか。
逆恨みもいいところだと思うけど。
「それで」女神様がため息をつく。「特権があるからと鍛錬をサボりまくっていて、今になって仕事が取ってこれなくなって、私を逆恨みしていると? ……馬鹿みたい。仕事が欲しいなら、それに見合うだけの技術を身に付ければいいじゃないですか」
「キミの言うとおりだよ。だが、こういうやり方をもう十数年も続けてきているからね」
「あれ? 十数年ってことは、職人ギルド所属以外でモノ造りできる技能を持っている人なんて、もう残っていないのでは? でも職人ギルドの受注は減っていると? なぜ?」
「仕事は職人ギルド連合傘下の各ギルドが直請けする。例えば建築の仕事は建築ギルドが請け負うんだ」
「ふむふむ」
「で、下請けに丸投げする。たっぷり中抜きした後でね」
「うげぇ……あいてぃーこんさる業界かよ」
「あいてぃー……何だい?」
「い、いえ、何でもありません。ですが、理解できました。職人ギルド連合は、特権の上にあぐらをかいて、中抜きすることしかできないクズ集団だったってわけですか。自分たちでモノを造る技術なんて持ち合わせておらず、ただただ前辺境伯に賄賂を渡してゴマを擦ることしかできない無能集団だった、と」
「そういうこと」
「けれど、私が『特権』の前提となる法律を廃止したことで、下請けたちが直接仕事を請けられるようになった、と」
「そのとおりだ」
「結果、ギルドは仕事を失った。確かに、私が恨まれるのも納得の話ですが……完全に逆恨みですよね、それ」
「あっはっはっ。さて、残り2つの理由は簡単だ。
2つ目の理由は、キミが獣人差別を根絶させようとしていること。しかも、バルルワ温泉郷を根拠地とするキミは、ある意味、獣人を支持基盤にしているとも言える。十数年以上、獣人を差別し続けてきた人間たちからすれば、ある日突然世界がひっくり返ってしまったみたいに思えて気味が悪かったり、腹立たしかったりするんだろう。自分たちの地位が相対的に下がってしまったように感じているんだと思うよ」
「今までが異常だっただけでしょうに」
「それもまた、そのとおり。さて、最後の理由は単純明快だ。キミが、女だからだね」
「あー……」女神様が天を仰ぐ。「まぁ、そうか。そういう世界観だもんなぁ。『女のくせに生意気だ』、『女に領主が務まるか』、『女に仕事の何が分かる』とかそういうやつですね」
「よく分かってるじゃないか」
「でも、腕力仕事ならともかく、頭脳労働に性差なんてないと思うんですけど」
「私もそう思うよ。さらに言えば、腕力仕事ですら性差はないというのが私の持論だ。かく言う私自身が、『女だてら』と後ろ指を差されながらも剣の腕で成り上がったクチだからね。まぁ、そんな私でも、前辺境伯との結婚がなければ、将軍の地位には就けなかったわけだけど」
「世知辛い……」
「まぁ、そういう世知辛さを経たうえでの今の私も、こと頭脳労働において男女差はないと考えている。実際、バルルワ = フォートロン辺境伯家はクゥンとカナリア殿下を除く幹部の全員が女性だしね」
「えっ」いきなり話題に上げられて、オレは戸惑う。「オレ、幹部ですか?」
「何言ってるの、クゥン君」女神様がニッと微笑む。「幹部も幹部。執事長にして家宰だよ。そして私直属の護衛。これからもよろしくね」
「っ!」
感動で毛を逆立てているオレの周りでは、女神様と幹部の皆様が話を続けていた。
「クゥン君はともかく、カナリア君を辺境伯家幹部に組み入れるのはマズくないですか」
「そう思うのなら、鉄神パイロット促成計画を早く承認してくれたまえ。計画書はもう提出しているのだから」
「うぅっ……今日は休ませてくださいよ」
「分かっているよ。明日まで待ってあげるから」
「うぐっ。クローネさ~ん、ヴァルキリエさんがイジメてくるんです」
「あらあら」笑顔のクローネ様。「ずいぶんと大きな子供ですねぇ」
などというやり取りの結果、女神様とオレは午後の休暇を手に入れた。