私たち3人は、劇場に入った。
名の知れた男冒険者ヴァルター氏が、息抜きに観劇しに来たというわけだ。
彼――彼女?――の立ち居振る舞いは堂々としたものだったが、隣の私は内心ビクビクだ。
「やぁ兄ちゃん、チケットを3枚もらえるかな?」
相変わらず、見事な男性声のヴァルキリエさん。
「まいどあり」
もぎりの男性がヴァルキリエさんにチケットを手渡してくれる。
「今日はどんな演目をやっているんだい?」とヴァルキリエさん。
「『7人の冒険者』って言ってな」と男性。「村尾襲った凶悪な獣人盗賊団を、7人の冒険者が退治するって話さ」
黒澤明監督かな?
「盗賊なんて……」とクゥン君。「獣人は、そんなことしない」
私は、クゥン君の背中を撫でる。
館内に入ると、『いたか!?』だの『あっちを探せ』だの言いながら、ゴツいあんちゃんたちが右往左往している。
劇場の従業員にしては、やけに体格の良い――冒険者ギルドあたりから荒事専門として雇われていそうな男たち。
「もしかして、クローネさんを探しているんじゃ?」私のヒソヒソ声に、
「だとしたら、良いニュースだ」ヴァルキリエさんが微笑んだ。「まだ捕まっていない、ということだからね」
そのとおりだ。
連中に見つかってしまう前に、早くクローネさんと合流しなければ。
「なぁ、そこのキミ」ヴァルキリエさんがあんちゃんの1人を捕まえる。「やけに騒がしいけど、何かあったのかい?」
「へぇ、お客さん。ちょいとネズミが――痛っ」
正直に答えようとしたあんちゃんAの頭を、あんちゃんBが叩いた。
「なんでもありませんでさぁ」と愛想笑いのあんちゃんB。「劇を楽しんでください。客席はあちらですよ」
思ったとおり、彼らは『ネズミ』を探しているらしい。
クローネさんが潜入したこと自体はバレているが、当のクローネさんは未だ捕まっていないという状況。
クローネさんのことは心配だったが、これ以上嗅ぎ回って怪しまれるのもマズイので、言われたとおり客席へ向かうことにする。
客席は、ほぼ満席だった。
街が大変な騒ぎになっているというのに、のん気なものだ。
もしくは、街の騒ぎなんて問題にもならないくらい、ここの劇が面白いのだろうか?
ちらりと出入り口を見ると、屈強な男がまるで門番のように立っていた。
客を勝手に出歩かせないようにするためだろうか?
やはり、ゾルゲ率いるこの劇場は、後ろ暗い『何か』を隠しているのだろうか。
やがて、劇が始まった。
――ジャジャァアアアアーーーーーーーーンッ!
壮大な音楽、豪華絢爛な大道具、ダイナミックな演技を行う演者たち。
こ、こ、これは、引き込まれる! ワクワクしてくる!
そりゃあ現代地球の映画や演劇などには敵わないだろうが、中世ヨーロッパ風の文明レベルに過ぎないこの世界においては、十分にチートだ。
前辺境伯の入れ知恵か?
それとも、劇作家ゾルゲの実力か。
後者だとしたら、十二分に脅威だな。
周囲を見てみれば、案の定、観客たちが食い入るように観劇している。
私も、舞台に見入る。夢中になる。
物語は、貧しい村が盗賊団に襲われているところから始まる。
盗賊たちは食料や金品を奪って去っていったが、いつ再びやって来るやも知れず、村人たちは怯えている。
そんな時、とある少年が『村から金銀を集めて冒険者を雇い、盗賊団から守ってもらおう』と言いはじめる。
村の依頼に応えたのは、7人の冒険者たち。
その7人というのが、みな個性的なのだが……。
私は、次第に気分が悪くなってきた。
なぜって、劇を見ている間に、獣人の盗賊のことが本気で憎らしく思えきたからだ。
フィクションと現実の区別がついていないような、不気味な感覚。
確かに、盗賊は滅ぼすべき悪だ。
だが、盗賊と獣人はまったくの別物。
この劇では、盗賊団がたまたま獣人で構成されていたにすぎない。
だというのに、私の中に、まるで『獣人こそが悪』というような強烈な感情が芽生えはじめてきたのだ。
なぜ?
どうして、そんなことを思ってしまうの?
よりにもよって、私が。
バルルワ = フォートロン辺境伯領で最も親獣人派と言うべきこの私が、そんな歪んだ考えをいだかなければならないの?
おかしい、おかしい、おかしい。
周囲の観客たちを見ると、みな射殺しそうなほどの憎悪を込めた目で盗賊役を睨みつけている。
時折、
「獣人どもをぶっ殺せ!」
というようなヤジが飛ぶ。
すると、
「そうだそうだ!」
「やれやれ!」
と同調する声がそこかしこから上がる。
……おかしい。
やっぱり、この劇は――ゾルゲが書いた劇はおかしい。
恐らく、洗脳魔法的な何かで盗賊イコール獣人だと錯覚させ、獣人に対する怒りや憎しみを植え付けているに違いない。
なぜって、バルルワ村のみなさんと毎日楽しく過ごしているこの私の胸にすら、獣人に対する怒りと憎しみが湧き上がってきたのだから。
私は気分が悪くなって、席を立った。
すかさずヴァルキリエさんが支えてくれる。
クゥン君もヴァルキリエさんの考えを読み取ったのか、立ち上がった。
私たちは出入り口に向かう。
「お客さん、上演中の出入りは――」
「すまない。こちらのお嬢さんの気分が優れなくてね」
屈強な店員? 警備員? の言葉を遮って、ヴァルキリエさんが言った。
「ほら、ここの劇って過激だろう?」
「へへっ、それが売りですからね。まぁ、初めてのお客さんは戸惑うと思いますぜ」
『過激』という表現を褒め言葉と受け取ったらしく、店員がニヤリと笑った。
ドアを開いてくれる。
「化粧室なら、向かって右手ですぜ」
「ありがとね」
ヴァルキリエさんとクゥン君に付き添われながら、私は外に出た。
「いやぁ助かったよ、エクセルシア」店員の姿が見えないところまで歩いてから、ヴァルキリエさんが言った。「おかげで客席から抜け出すことができた」
「私は本気でダウンしてただけですけどね……。ヴァルキリエさんが機転を利かせてくれたおかげです」
「ともかく、我々はこうして抜け出すことができた。怪しまれないうちに、潜入捜査としゃれこもうじゃないか」
私たちは化粧室に向かい、そのまま化粧室の前を素通りした。
「あったよ」
ヴァルキリエさんが示すのは、
『この先、関係者以外立入禁止』
と記載された立て看板だ。
もちろん、本当に漢字とひらがなでそう書かれているのではなく、それを意味するゲルマニウム王国語で書かれているわけだけれど。
立て看板の向こうには、薄暗い廊下が続いている。
私たちは抜き足差し足忍び足で、廊下の奥へと進んでいく。
「いたか?」
「ダメっす。どんだけ探しても見つかりやせん!」
体格の良いあんちゃんたちがドタバタとやって来たので、私たちは慌てて物陰に隠れた。
というか、アイツらはさっきヴァルキリエさんが話しかけてたゴロツキ系あんちゃんAとBだな。
「くまなく探したんだろうな?」と兄貴風のB。
「いえ、まだ地下室だけは調べてねぇんです」と舎弟風のA。
ややこしいから、私の胸の内では、彼らを『兄貴』と『舎弟』と呼ぶことにする。
「なんでだよ。『くまなく探せ』っていうゾルゲ様からのご命令だったろ」
「けどよ兄貴、『地下室には絶対に入るな』とも言われてやしたぜ」
「二律背反!」
うおっ、この兄貴のほう、いかにもゴロツキっぽいモヒカン頭のくせして、難しい言葉を知ってるな。
あぁもちろん、実際に『二律背反』と言ったわけではなくて、それに類するゲルマニウム王国語であって以下略。
「どぉすっかなぁ」二律背反と叫んだインテリ兄貴が頭をかく。「ゾルゲ様って、言いつけ破ったらめちゃくちゃ怖いからなぁ。『勝手に判断するな』って」
「でも、聞きに行ったら聞きに行ったで、『そのくらい自分で判断しろ』って言われるっすよね」
あはは。
ゾルゲという男は間違いなくクーソクソクソ前辺境伯の子供だな。
愛沢部長の、いやらしーーーーいやり口をしっかり受け継いでいる。
愛沢部長ってそういう男だったよなぁ。
『勝手に判断するな』と『そのくらい自分で判断しろ』を連発することで相手を混乱させ、萎縮させ、疲弊させ、正常な判断力を奪うんだよね。
そうなったら相手はミスを連発するようになるから、ますます愛沢部長から叱責を受けるようになる。
そんで時々愛沢部長がちょっと優しくなったりするものだから、『あれ、この人いい人じゃね?』って勘違いさせられてしまう。
あぁ、おぞましい。
本当に本当に、嫌なヤツだったよ……。
閑話休題。
クーソクソクソ愛沢部長のことは、今は忘れよう。
「そもそも俺、地下室への行き方知らないんすけど。兄貴、知ってんすか?」
あんちゃんたちの話は続いている。
舎弟の質問に対して、
「……実は、俺も知らねぇ」
兄貴が居心地悪そうに答える。
「ダメじゃないっすか!」
「うるせぇ! 一緒にゾルゲ様んとこ行くぞ!」
「それ、1人で叱られたくないだけっすよね!?」
「うるせぇうるせぇ! けど、上演中に話しかけたらマジで殺されるから、聞きに行くとしたら1時間後だな」
1時間後というのは、今演っている『7人の冒険者』の上演終了時刻だ。
兄貴と舎弟は、やいのやいのと言い合いながら去っていった。
「次の行き先が決まりましたね」
私がニヤリと微笑んでみせると、
「そのようだね」
ヴァルキリエさんもニヤリと微笑んでくれた。
ノリのいいイケメンだよね、本当。