【Side カナリア】
――ちゃぽん
ボクは、バルルワ温泉郷でプライベート女神風呂に浸かっていた。
日課の『湯治』だ。
「ほら、殿下。肩までちゃんと浸かりましょうねぇ」
ボクの面倒を昔から見てくれているメイドが、あやすような口調で言ってきた。
この人は、いつまで経ってもボクのことを赤ちゃんのように思っているらしい。
実際ボクは、ここに来るまでは『魔力欠乏症』とかいう病気? 体質? のせいで常に意識が朦朧としていて、言葉や物事を覚えたり、相手とコミュニケーションを取るのが困難な状態だった。
けれどバルルワ温泉郷に来て、エクセルシアお姉ちゃんが掘ってくれた温泉に浸かったとたん、頭を覆っていたモヤモヤがぱぁっと晴れたんだ。
自分でもびっくりするほど頭が冴えて、見聞きしたものは何でもかんでも暗記できるようになった。
そして、お姉ちゃんがノートパソコンと一緒に渡してくれた大量の電子書籍を読み漁るうちに、赤ちゃん同然だったボクの頭脳はあっという間に大人のそれになった。
今や、家庭教師団の誰もが『もう我々に教えられることは何もございません』と言ってくれるほどだ。
まぁ、半分くらいはお世辞なのかもしれないけど。
そんなわけで、今のボクはもうすっかり大人なので、メイドに赤ちゃん扱いされるのはちょっと嫌だ。
けれど、今日のボクは朝からちょっと拗ねていたので、少しだけ子供っぽいことも言っちゃおうかなと思った。
「ぶぅ~~~~っ」ボクはお湯をぼちゃんっと叩いてみせて、「お姉ちゃんと一緒に入りたかったぁ。最近、お姉ちゃんが相手してくれなくて、つまんない」
いかにも子供っぽく文句を言って、頬を膨らませてみせる。
こんな時、お姉ちゃんならボクのほっぺを左右から挟み込んでくれる。
そうされるとボクが喜ぶのを見ていたのか、メイドが同じことをしてくれた。
甘えることで少しだけすっきりしたけれど、どうせ甘えるならお姉ちゃんに甘えたい。
けれどお姉ちゃんはこの1週間、領都フォートロンの劇場に籠もりっきりで、ボクには会ってすらくれない。
……分かってるよ。
獣人差別問題をなくして、領都の暴動を鎮めるための、ここが踏ん張り所だってことは。
だから僕も、これ以上のワガママを言うつもりはない。
「…………ん?」
ふと、視界の端に違和感。
振り向いて見てみれば、浴室に備え付けてあるモニタ(お姉ちゃんいわく『防水タッチパネル』と言うらしい)にアラートが上がっていた。
「これ、2号? CPUとメモリの負荷が異常なほど上がってる! ねぇ、2号って今は確か」
「はい。劇場で演劇のサポートに」
「なんか、すっごい光とか音とかが出るやつだよね。お姉ちゃんが『エフェクト』とか言ってた」
「はい。そのエフェクトこそが、演目成功のカギだとか」
「2号がダウンしちゃったら、大変じゃないか! 早く伝えないと」
タッチパネルから通話アプリを立ち上げたのだけれど、2号は出てくれない。
くそっ、お姉ちゃんは近くにいないのか!?
「こうなったら、直接乗り込む! お姉ちゃんに、このことを伝えないと!」
ボクが浴室から飛び出すと、メイドが慌ててボクの体を拭いてくれて、ボクに服を着せてくれた。
「殿下、何事で?」
ボクが血相を変えて女神邸の廊下を走っていると、ヴァルキリエに出くわした。
「2号がオーバーヒート寸前なんだ!」ボクは矢継ぎ早に説明する。「お姉ちゃんに電話したけど、出ない。このままだと劇が失敗するかもしれない。ボクが直接行ってくる」
「危険です。が、鉄神まわりで何かあった場合、エクセルシア以外では殿下しか対処不可能なのも事実」
さすがはヴァルキリエ。
ボクの短い言葉から状況を早々に理解して、数秒で結論を出してくれた。
「私が同行します。どちらでご出撃なさいますか?」
「3号で行くよ」
ヴァルキリエがボクに手を伸ばしてきたから、ボクはヴァルキリエに身を任せる。
ヴァルキリエのほうが走るのが早いし、ボクは本調子じゃないしね。
「殿下は、このヴァルキリエが責任を持ってお預かりする」ヴァルキリエがメイドに向かって言う。「キミは、バルルワ村幹部たちに本件の情報共有を頼む」
「かしこまりました」
メイドが女神邸の前で腰を折った。
ヴァルキリエがボクを抱っこしながら、オオカミのような速さで走る。
あっという間に村の中央、教会の隣の格納庫に到着した。
格納庫の中、M4の隣には労働タイプの鉄神が4体並んでいる。
いずれも、地下の武器集積所から拾ってきたものだ。
お姉ちゃんは鉄神3号~6号って呼んでいる。
ボクはヴァルキリエに体を持ち上げてもらいながら、鉄神3号のハッチを開く。
3号は労働タイプなので、身の丈5メートルばかり。
陸戦タイプのM4は10メートルもあるし出力も段違いだから、M4で向かったほうが早いだろう。
けど、M4のサイズでは劇場はもちろん、領都に入るのもはばかられる。
だから、今回は3号で出る。
それに、万が一2号がダウンした際のバックアップとして連れていくなら、やっぱり同じタイプのほうが適しているだろうと思うから。
ヴァルキリエが3号の肩に立つ。
ボクはハッチを開いたまま、ゆっくりと3号を動かす。
格納庫を出て、バルルワ村の表通りを足早に歩かせ、村の外へ。
領都に向けて、3号を全力疾走させる。
通話アプリを立ち上げてみたが、相変わらずお姉ちゃんは電話に出てくれない。
2号にデータリンクしてタスクマネージャーを立ち上げてみると、やはり2号のCPUとメモリが100パーセントで張り付いている。
ダウン寸前だ。
「もうっ、何してるんだよ、お姉ちゃん!」