【Side クゥン】
「どうして、助けてくださったんですか?」
後片付けを始めている劇場の片隅で、オレは我慢できず、カナリア殿下にお尋ねした。
「なぁに?」殿下が首を傾げる。「何の話?」
その仕草はあどけなくて、年相応に見える。
が、瞳の奥の輝きには、底知れないものがある。
「この演目が成功するということは――」
気圧されながらも、オレは言葉を続ける。
負けるわけにはいかない。
これは、男同士の戦いだからだ。
そう、オレはもう、殿下のことを『子供だ』などとあなどってはいない。
「――獣人差別問題が解決する、ということです」
「うん。それで?」
「女神様は、いえ、エクセルシアは」
オレは、言った。
宣戦布告だった。
「オレに惚れています」
「――っ!」
殿下はかっと目を見開いたが、数秒後には柔和な表情に戻った。
すごいな、この歳にして表情をコントロールするすべを身につけておられるなんて。
やはりこの方は、王の器をお持ちだ――そう感じる。
「差別問題が解決しつつある今、女神様には、オレとの交際を躊躇する理由がありません」
本当は、もうひとつのもっと大きな問題があるのだが……それは、この場では口にしない。
「オレは、エクセルシアと一緒になりたい。そして、その最大の障害である獣人差別問題は、殿下のご尽力のおかげで解消しつつあります。殿下はなぜ、敵に塩を贈るようなことをなさったのですか?」
「それはそれ、これはこれ」殿下が柔和に微笑んだ。「お姉ちゃんは劇の成功を願っていた。だからボクは、それを全力でサポートした。お姉ちゃんの笑顔が見たいからだ。もちろん、政治的理由もあるよ。王太子――国王の名代の立場としても、仮想敵国モンティ・パイソンと国境を接するこの領がいつまでもゴタゴタしているのは国防上、非常に良くない。劇の成功によって獣人差別問題と反領主暴動が収まるのなら、それを支援するのが王家の務めだ」
「ですが、オレが殿下からエクセルシアを奪ってしまうかもしれませんよ」
「負けないよ」
一瞬だけ、殿下が笑みを消した。
5歳かそこらの男児の目ではない。
男の目だった。
が、殿下はすぐに笑顔に戻って、
「振り向かせてみせるよ」と言った。「ボクのほうがエクセルシアのこと、たくさんたくさん大好きだからね」
あぁ……やっぱり、この人には敵わないな。
『もうひとつの問題』がどうにもならない以上、やはりオレは身を引くべきなんだ。
エクセルシアの護衛兼バルルワ = フォートロン家の家宰の立場としても、バルルワ村の住人および領軍に務める獣人たち、合わせて103名の獣人の命を背負って立つ立場としても。
オレがこの恋を諦めることですべてが丸く収まるのなら、やっぱりそうすべきなんだ。
「殿下」オレは殿下にひざまずいた。「エクセルシアを、頼めますか?」
「ボクは、鉄神がいないと無力だけど」
「護衛は今後もオレが務めさせていただきます。身命を賭して、女神様をお守りいたします。女神様がオレより先に死ぬことは、未来永劫あり得ません」
「じゃあ、何の話?」
「言わせるのですか? 意地悪なお方ですね」
「さっきは」殿下が、少しばかり拗ねた様子で言う。「ああ言ったけどさ。正直、気持ちの良い仕事じゃなかったんだよ、キミの利益になるようなことは。これでもボク、嫉妬深いみたいだ。だから、このくらいの意趣返しはいいでしょ?」
「は、ははは……」
本当に本当に、5歳児とは思えない聡明さだ。
これはオレも、隠していることは全部話してしまったほうが良さそうだ。
「でも、いいの? キミの『好き』は、そんな簡単にあきらめられるものだったの?」
「実を言うと、オレには
「……んー? 風向きが変わってきたね」
「とは言っても、親同士が酒の席で決めたような軽いもので、相手もオレのことを『面倒見の良い兄』くらいにしか思っていないのですが」
「うん」
「女神様の……エクセルシアのことは」オレは、絞り出すように言う。涙をこらえるのに必死だ。「間違いなく、オレの初恋でした」
「もう、決めたんだね」
「はい。オレはエクセルシアの隣に立つのではなく、女神様の後ろに立って、彼女を守る道を選びます」
「分かった」殿下が手を差し出してきた。「気持ちは受け取ったよ」
「はい」
オレはその手をしっかりと握った。
小さい、けれど途方もなく大きく感じられる手を。