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第35話

 茂みから顔を出して辺りを確認すると街の外れの廃工場とされているはずの煉瓦造りの建物から天に差した煙突からは煙が上がっており稼働している様子だった。

「さて、いいですか?」

 工場の周りを彷徨いていた男の身ぐるみを剥いだスペンスは男を近くの木に括り付けるとトランシーバーと銃を拝借し男が出入りしていた扉を使って工場内に入る。

 廊下を道なりに進んでいく。

「黙れ!」

 声がした先では若い女性が椅子に座らされ両腕を後ろに回され拘束されていた。

「その手を離しなさい」

 顎を鷲掴みにされながらも怯むことはない。

「ずいぶんと気の強い女だな。俺は好きだぜ」

 対峙した男の持っていた銃口が女性のドレスの裾を拾っていく。

「私に手を出してもいいの? あなたさっきの人に殺されるわよ」

「お前が生きていられるのはあのじいさんが生きている間だ」

 舌打ちと悪態を述べると男の気配はどこかへと消えていった。

「そこにいるんでしょ。さっさと出てきて私を助けなさい」

 女性が声を張り上げた。

「あんたたちよ」

 アメリアとスペンスは目を合わして女性の前へと姿を表し縛り上げていた縄を解いていく。

「見てたなら助けなさいよ。まったく使えないわね」

「失礼致しました。私たちでは太刀打ちが」

「あんた、どこの執事よ」

 偉そうで傲慢な口調はあどけなさを纏いいかにも令嬢らしいものでスペンスは絶句したように口角を上げていた。

「答えなさい」

「私はスペンス。こちらは」

「あんたたち、帰っていいわ」

 返答を聞き終わることなくスペンスの声を遮る女性はドレスについた埃を払うと続けて口を開いた。

「お父様が助けを寄越したかと思えばちがうみたいだし、巻き込みたくないの。さっさと帰りなさい」

「女性をこんな場所にひとり残したとあれば旦那様に叱られてしまいます。私たちも共に参ります」

「ふぅん。勝手にしたら。まあ、いないよりはマシかしらね」

 頭の先から爪先まで探るような視線がふと重なった。

「あなた……」

「あ、アリシアと申します」

 訝しげにスペンスが視線を向けたのが視界の端に映った。

「少しばかり腕には自信がございます」

「少しじゃ困るのよ」

 鼻息混じりにため息を吐かれアメリアは頬をひくつかせた。

「私はエレーナ・アントワーヌ。エレンと呼ばれているわ」

 スペンスが逡巡するように虚空を見上げて名前を呟いていた。

「私が先導するわ、こっちよ」

「お待ちください、エレン様」

「……なに」

「これ以上危険な目に遭わすわけにはいけません。私たちで救出致します。ですからエレン様は」

 嫌よ。

 スペンスを遮った声が真っ直ぐに見据えていた。

「私だけ逃げるなんて絶対に嫌」

「ですが……」

「これは命令よ」

「……承知致しました」

 ただし、私とアリシア様の間にいてください。と付け加えたスペンスに渋々了承したエレン様の背後にまわった。

 廃工場内部は至る所が腐り抜け落ちた天井から入り込んだ雨水が腐食をはやめ床や壁に至るまで錆が侵蝕していた。

 錆た鉄のにおいとそこに溜まって澱んだ生温かい空気が肌に張り付いて気持ち悪い。

 先の貴族庶民間での紛争が和解に至ったことから中心地は発展を遂げていても郊外には手がまわっていないのかもしれない。

 このあたりは元々貴族が買い取って工場生産していたはずだが所有者が変わったのかずいぶんと杜撰な管理をしているものだ。

 工場を閉じてからだいぶ経っているように感じられる。

「そこ左よ」

 エレン様の指示に従い下へ下へと降りていきやがて行き当たった突き当たりの扉の隙間からは中の光が漏れ出しスペンスが先行して中の状況を確認していた。

 工場内を降りれば降りるほどにこもった熱気に汗が玉となって肌を流れていく。

 複雑に入り組んだ工場地下内部には陽の光が届かず暗闇の中で鈍く光る非常灯が薄らと手元を照らしていた。

 コンクリートのひび割れに足を取られないよう注意喚起をしていた先頭を進むスペンスが足を止めた。

 なにかあったのかと様子をうかがうと彼の視線の先で開いた扉の隙間から灯りがもれていた。

「確認して参ります。アリシア様はエレン様をお願いします」

 扉の向こうへと消えたスペンスを追うと短い廊下の先から中をうかがっていた。

「ねえあなた。アリシアっていったかしら。以前どこかで会ったことがない?」

「いえ」

「そう」

 荒げた声と銃の弾く音が続いていたがやんで戻ってきたスペンスはまっすぐとエレン様にこう尋ねた。

「エレン様、もしや囚われているのはロルフ家の方ではありませんか?」

「ええ、そうよ」

 罰が悪そうに言葉を詰まらせる姿に彼女にとってあまり知られたくないことだったのかもしれない。

「そうでしたら私たちで中を見て参ります。エレン様はしばしお待ちいただけますか」

「ええ」

 ロルフと言えば銃の製造で名を馳せた一族だったはずだ。

 確かあの一族は王室専属になったと聞いていたが。

「さっさとしねえとあの女を殺すぞ」

「そう急かさないでくれないか。書けるものも書けなくなってしまう」

 男は凄んでみせたが脅された男、おそらくロルフとスペンスが口にしていた人物だろう、彼は意に返さず飄々としていた。

「君だって納期が遅れるのは嫌だろう?」

 火薬の匂いを追うと壁に寄せられた机で作業する脇には試し打ち用の人型の吊るされ紙には使用された形跡が確認できた。

 さっきの音はあれか。

「おい、女の様子を見てこい」

 数人の声の中に先程まで上にいた男が指示を受けた男に見つからないように壁に張り付き出てきたところを騒がれないよう素早く男の口を塞ぐとそのまま首に腕を巻きつけ気絶させズボンに挟まった銃を奪い隅に転がして再び室内の様子をうかがう。

「ところで彼女は無事なのか?」

「……おい、女の声を聞かせろ」

 近くでレシーバーが音声を受信して反響し空気がぴりついた。

 人質と思しきロルフの傍で銃を持った男が引き金を引いて発射された銃弾は背にしていた壁と扉に降り注ぎ男が装填する間に扉を蹴破り銃口を向け撃ち返すはずの弾は飛ばず引き金を引いて金属が擦れる小さな音が無惨にも室内に響き渡っていた。

 あなたはなにをやっているんですか。といいたげな呆れた視線が頬に突き刺さるがこちらとしてもまさかジャムるとは思わなかったのでどちらかと言えばそれはそこで気絶してる手入れの悪い持ち主に向けてほしい。

「誰だてめえら」

 銃口を向けられ両手を挙げて戦闘の意思がないことを相手に伝える。

「……銃を捨ててこっちに蹴ろ」

「あの、ひとつよろしいでしょうか?」

「あぁ?」

「その男性を解放していただけませんか?」

「……この状況で交渉とは、お前ら馬鹿か」

 男は連射式の銃を握りしめていた。

 殺傷能力は低いが続けて打ち込まれては致命傷に至る。

「……素人が手にするには随分と物騒ですねぇ」

 身を低くして男の腹部へと入り込んだスペンスが銃を叩き落とし前のめりになった男の腹部に膝を捻じ込み軽やかに床へと倒れ込ませた。

「これはいったい……」

「あなたを助けに参りました」

 男の手元の紙にはなにかの図面が描かれていた。

 髭で覆われた口に無造作に伸びた白髪混じりの髪。

「……どうしてそんなことを」

「きゃあっ、いや、離して!」

 上がった悲鳴の先には扉の外で伸びていたはずの男がエレン様のこめかみに銃を突きつけていた。

「エレン!」

「この女を殺されたくなければそいつを渡しなっ」

「……情けをかけるべきではなかったようですね」

「頼むからやめてくれ、図面だったらいくらでも造る、だからっ」

「それ以上来るな、この女がどうな」

 乾いた音が空間に響きそれが合図のように男の額からは血が滴り手からこぼれ落ちた銃が地面に弾んで転がった。

 男は重力に従うように地面へと倒れ込んだ。

 男は死んでいた。

 その場の視線が一点に集中する。

「安全装置がかかったままでしたので」

 銃弾をすべて外して地面に弾を落としてスペンスが答える。

「……きゃああああああああぁぁっ」

 悲鳴に対して一瞬だけ面倒くさいというように顔を顰めていたが瞬きののちにそれはいつもの表情へと変わっていた。

「申し訳ございません。急を要しておりましたので早急に対処させていただきました」

「か、彼はし、死んでっ……」

「後数秒遅ければエレン様がこうなっていたのです」

「そ、んな……」

 スペンスが半歩ずれて死体を隠し動揺する彼女をロルフが抱き寄せていた。

「……エレン、怪我はないか」

「……っ……平気よ、あなたは?」

 涙ぐんだ鼻声がくぐもって聞こえた。

 これが普通の反応なのだと思う。

 自身に対してだいぶかけ離れてしまったと舌打ちを吐く。

「俺はなんともない。お前が無事でよかった」

 ぎゅうっと抱きついたエレーナに男が声をやわらげる。

「……なにをやっているんだ、エレーナ。あれほど逃げろと言っただろう」

「嫌よ。あなたを置いてなんて」

 男に甘えるように目を潤ませて唇を軽く含んでいく。

「馬鹿野郎死ぬかもしれないんだ。お前は逃げろと散々言っただろう。いい加減俺の話を聞け。お前と俺とは」

「私はあなたがいいと言っているのよ! あなたがいないなら爵位なんて必要ない。あなたを愛しているの」

 反論したエレン様が男の唇に触れ、それに応えるように唇を深く合わせたふたりの世界にスペンスが咳払いで割り込んでいく。

 顔を上気させた彼女が男にもたれかかっていた。

 男は悪態を吐くように小さくため息を漏らした。

「時間がありませんので単刀直入にお訊きします。あなたに銃の製造を命じたのはどなたですか」

「ああ、それは──」

 その名前にアメリアは耳を疑った。

 答えを求めるように視線を向けたスペンスは口元を可笑しげに歪め視線が合うとなにごともなかったようにいつもの表情に変わっていたことにアメリアはぞっとしていた。

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