「ああ、そうでした。あの方は隣国ルヴディアの第七王女エレノア様」
「それ、大丈夫なの?」
「さあ。彼女には自身の立場は大して重要ではないのでしょう」
「彼は代々銃の製造を担っていたはずです」
聞いた言葉にスペンスとアメリアはすでに引き返していた。
「元々このあたりは彼女の所有の領地だったはずですからなにかしらあって惹かれたのでしょう」
スペンスの言葉から彼女の工場内の詳しさに納得がいった。
「置いてきてよかったのかしら」
「それは私の感知するところではありませんから」
工場の敷地内に車が止まっていた。
「少し、お借りいたしましょう」
返す気なんてないくせに。
「乗ってください」
「……あなた運転できるの?」
「私を誰だとお思いですか?」
胸部が前方に引っ張られ背後でなにかが潰れる音と彼のとぼけた声にアメリアは斜めに伸びるシートベルトをきつく握りしめていた。
「おっと、失礼」
「前前前前!」
ハンドルを切って車体が急角度で曲がり内臓が身体の中で揺れる気持ち悪さを口を閉じることで抑えこむ。
「舌を失いたくなければ黙って掴まっていてください」
舌どころか命まで失いそうよ。と内心で毒づく。
「突っ切りますよ」
装甲車を元につくられたと言われる四輪駆動車はその強度の高さから主に山岳地区で使用されていると耳にしたことがある。
石炭で進む列車とは異なり揮発性の液体が動力源として使用されているらしく微かに異臭が鼻につく。
話には聞いていたけれどまさか体験することになるとは思わなかった。
馬車からの移行が進みつつはあるものの、車輪と前方につけられた動力源には少しばかりの抵抗感がある。
先をせぐような重低音と燃料のいやなにおいには、錆びた生臭さを思い起こさせ頭に掠めた光景を振り払い眼前に意識を戻した。
やはり馬車がいい。
「時にアメリア様、運転してみたくはありませんか?」
なんですって?
「運転をかわってください」
「はい?」
「時間がありません。がたがた言わないでください」
「……わ、ちょっと、あなたっ」
答える前にはハンドルから手を離したスペンスが窓から上体を乗り出して背後へと狙いを定めていた。
この人、ほんとうに躊躇ないわね。
「アメリア様。しばし運転をお願い致します」
「わ、私、これには触ったことがないのよ!」
「馬車と同じですよ。ようは障害物を右か左によければいいのです」
「そ、そうは言っても……」
馬車とは異なった振動が足の下から伝わり、ゴム製の車輪は道の状況をダイレクトに伝え車体を揺らしていた。
「右にハンドルを回してください」
スペンスの声に従うと遅れて背後でなにかが潰れたような音がした。
「筋が良いですね」
あつらえたように座席の上部に設置された小さい鏡を見上げると似たような四輪駆動車が連なって樹々に衝突し大破しているようだった。
「かわります」
するりと体を座席に沈めたスペンスに倣いアメリアは横にずれて席に腰をおろした。
車体後部から飲み込もうとする爆風に追い立てられるように速度を上げていく。
「ご無事ですか?」
「……あなたどこの所属よ。絶対執事じゃないでしょ」
「いいえ、アメリア様。私はただの執事ですよ」
つとめて冷静に詰め寄ってみるもするりとかわされる。
こちらとしても追求されて困るのは同じなわけで、大人しく座席に身を沈めた。
車体横に可愛らしくつけられた小さな鏡には潰れてひしゃげた車体から這い出した数人がこちらに向けて銃口を向け銃弾を撃ち込んできていた。
呆れたようなため息に続いて弾く様な乾いた音がわりと近くから二、三度続き、遅れて後方で派手に爆発音をあげていた。
「ねえ、あなたどうして執事なんてやっているのよ」
「それが私の役目ですので」
「……それはどういう意味?」
「あなたと同じです。私も演じているにすぎません。ですが、私にとってはそれが生きるにはじゅうぶんな理由だったのです」
「まあ、あなたが敵じゃなくてよかったわ」
「お褒めにあずかり光栄でございます」
べつに褒めてはないけれど、彼の真意の読めない笑みはそれ以上立ち入るなと暗に知らせているようでレティシアは言葉を飲み込んだ。
あのアレハンドロの寄越した仕事なのだから少なくとも寝首をかかれることはないはずで、追い立てていた心音に似たような一定のリズムを刻む振動に身を縮こめているとスペンスは速度を上げた。
森を抜けて荒野を進んでいると足の裏から伝わる単調な振動に地響きのようなものが加わり始めたことに気づき鏡へと目を向けて後ろをうかがえば、四輪駆動車があげた土埃を突出した弾頭が割き、続いて装甲車が姿をあらわした。
隣へ声を上げ報せる前に「舌を噛みたくなければ口を閉じていてください」スペンスの声とともに速度を上げた車体が宙を舞い「わ……っ」遠心力によって体が窓へと引き寄せられ続いて横滑りで車体が回り壁に激突したところで止まった。
車体へ追撃が来る前にへこんで歪んだドアを足で蹴破ったスペンスに続き外へ出ると近くの兵をねじ伏せ武器を奪う。
慣れた姿に渡された銃は装甲車に傷一つつけることはできず、建物へと後退していた。
おそらく覚えている限りでは彼らはこの屋敷の警護をしていたはずであり、銃口を向ける相手ではないはずで、スペンスの見立てが正しかったと裏付けていた。
武装した男たちに応戦するも、ひとつの砲弾が建物を歪め崩れた壁が倒れたことで周囲は粉塵で覆われ続いて銃弾が壁を抉っていた。
身を屈め銃弾が降り注ぐ中、背にした壁から様子をうかがう。
「後先を考えているようには見えないのだけれど。どう収集をつけるつもりなのかしら」
同じように様子を伺っていたスペンスに声を投げる。
「さあ、私たちが死んだ後のことはかんがえていないのでは?」
「よく組織が成り立っていたわね」
「綻んでいなければ今も取引はばれなかったでしょう」
「私たちを建物ごと潰すつもりかしら」
「面倒くさいことになってきましたねぇ」
その割には声色は高く表情は浮かれて見えた。
この状況を楽しんでいる、と言うよりも誰かを探している?
銃声に紛れ呻き声が届き、なにかが倒れる音が続いていた。
援護を頼みます。と言い置いた彼が装甲車へと駆け出した。
抜かれたピンから弾頭に放り込んだのがなにかわかり退避したスペンスと共に奥へと走り抜ける背中を爆風が押し倒していく。
「伏せてくださいっ」
抗議の声を上げると彼の背には細かい瓦礫が降り注いでいた。
「あなたに傷をつけようものなら、私が殺されかねないんです」
それが誰を指していたかは理解していた。
「私と彼の契約は終了したの。それから──」引き倒し「守られるのは嫌いよ」スペンスを地面に押し付けると意外だったのか、いつもの作り上げた表情がわずかに揺れていた。
「これはこれは、本当に殺されかねないので早急に離れていただきたいのですが」
なぜか両手を顔の両側に持ってきて戦意はない旨の意思表示をしていた。
「スペンス、あなたはなにを遊んでいるつもりかしら」
銃弾が走る先に見えたのは給仕服に身を包んだ人物だった。
「……メアリー?」
「奥様お手を」
「いやぁ、君が助けてくれるんじゃないかと期待していたもので」
「私の仕事を増やすつもりなの?」
「いや? 私は君と働けるのが嬉しいだけであって」
「さっさと旦那様を助けてきたらどう?」
「ねえ、メアリーを残してきて大丈夫?」
「彼女はあれくらい造作もないですよ。むしろ物足りないのでは?」
彼らがなぜ公爵家に仕えることになったのか、気になるところではあるけれど、それよりも視界の端に映る屋敷内の銃弾の跡が気になる。
「ねえ、生きてるわよね?」
「……あの人があなたを残したまま死ぬとは思えませんよ」
スペンスがそういうと大丈夫なのだと思えてくるから不思議なものだ。
震える指先を隠すように握り込み呼吸を整え耳を澄ませると、後方とはべつに銃弾が飛び交う音が続いていた。
パーティーはくだんの件でお開きとなったのか、人影はない。
こちらとしても好都合だが、それにしては死体がないのが気がかりだ。
手持ちの銃弾は使い切っている。
スペンスの残弾数はおそらくあと四発ほどだろう。
途中で調達すれば良いと甘く見ていた。
銃がなくても困るわけではないけれど、手に伝わる肉を断ち切る感触はあまりすきではない。
階段を登りいくつか角を曲がった先での攻防戦を見たところで、足が止まった。
「……アメリア様?」
「……カルロスは銃の密輸をしていたのよね?」
「ええ」
「それなら私はその銃を見つけるわ」
「ですが、それは」
「あの二人を消せばいくらでも逃げ切れてしまう可能性もあるでしょ。彼が今後必要になるのは、窮地に立たされた時の確固たる証拠よ」
「しかしながらおひとりでは……」
「迷っている暇はないわ。そこら辺の奴を捕まえて口を割らせるから、あなたはクラウス様の元へ」