ハラハラと雪が降っている。
薄曇りは鈍い色をしていて、天気はあまり良くない。
冷たい風が吹き、芽依のロングスカートを揺らすが庭の中の温度調節された休憩場所は優しい温かさを保っていた。
その場所に芽依はフェンネルと2人きりで座っている。
「…………痛くない?具合いはどう?」
「大丈夫だよ」
白い首筋に浮かぶ黒い奴隷紋を優しく指先で撫でると、フェンネルは微笑んで芽依を見た。
犯罪奴隷の奴隷紋は、体に負担がかかる為施してから5日程体調を崩す。
その間、殆どの犯罪奴隷は床に転がされ体調不良に耐えるのだが、芽依はフェンネルを手厚く介抱し続けていた。
それにはメディトークやハストゥーレも参加していて、体調を心配したメディトークから牛乳プリンを惜しみなく出された。
具合悪い中での好物の登場に青ざめた顔のフェンネルは小さく口端を上げたのが痛々しくて可愛そうで。
「………………フェンネルさん、奴隷とか関係無しに今まで通りでいてね」
「それでいいの?メイちゃんは僕を好きに出来るんだよ?」
「そんなの望んでないよ、私は今まで通りのフェンネルさんが好き」
「………………ありがとうね、メイちゃん。君がいてくれたから今僕はこうして正気を保っていられる。君を忘れることなく一緒にいれる。」
「忘れる……?」
「狂った人外者ってね、粛清対象だから実際に狂った人外者の考えや何を思っているのかとか、誰も知らないんだ。狂った人外者に会話は通じないからね」
膝の上に組んだ手を置いて曇り空を見るフェンネル。
風に揺れて結んでいない髪が緩やかに揺れた。
「完全に狂った人外者は人格を崩壊するんだ。それは見ていてわかるんだけど、僕みたいな別の体とを交互に使い分けるとね、崩壊していく頭の中がわかるんだよ。僕ってどんな人だったかな?どんなのが好きだったかな?分からなくなるんだ、長い時間をかけて少しずつ……少しずつ……」
「……………………」
「知り合いも分からなくなって、今がいつかも分からない…………冬牡丹の顔をね、僕はもう思い出せないんだ。冬牡丹の死が理由で僕は狂ったのに、その冬牡丹を忘れるなんて信じられないよね。…………でも、今は強く思うよ、名前を忘れる前で本当に良かった。粉雪の僕がね、この狂っていく花雪の時間を引き伸ばしてくれてたの」
狂っていくフェンネルは花雪の殺戮衝動に抗えなくて。殺しをしては疲れ休憩期間を儲けてまた、彷徨いふっ…と思い出して殺人衝動が溢れ移民の民を殺す。
だから、100単位の期間があくことがあったのだ。
途方もない長い時間、狂っていく自分を押し殺し、粉雪の自分も少しずつ侵食されて可笑しくなっていく。
あらがいたくてそれでも、粉雪と変わった時の強い思いが……移民の民への怒りが狂う花雪に拍車をかける。
長い時間、そんな思いを抱えてきたフェンネルは突如として芽依と言う移民の民に出会った。
破天荒で強欲で、それでいて驚く程に笑顔を絶やさない女性。
お酒が好きで、ありえない作物を作り気付いたら白の奴隷をつれている。
今までの移民の民とかけ離れた訳の分からない存在。
移民の民なのに、そう見えない女性。
芽依との出会いは移民の民の全てを覆すと共に、人外者の思う伴侶への対応を根っ子から否定した。
それにより自分の信じていた冬牡丹の姿がかすみだした。
なにを信じればいい?冬牡丹は間違っていた?
彼の伴侶に対する対応はいけなかったのか?だから、冬牡丹は死んだの?
そうぐちゃぐちゃになりそうな胸の内をフェンネルは抱え動けなくなったのだ。
しかしそんな伴侶の深い愛にも理解を示した芽依に、じゃあ何が正解かを聞くと話をして閉じ込めないで、そして理解が難しいなら寄り添って譲り合って、理解から始めよう。
そう、言った。
人との繋がりの1番大切な事。
しかし、人外者はそれをそこまで大切にしてはいなかったからこそフェンネルは理解出来なかった。
その理解の為に、フェンネルは芽依と友人になり移民の民の人となりを知ろうとした。
そこには自分たちと変わらず笑い泣き、そして小さな等価交換の中で大きな幸せや知らなかった感情を揺さぶる気持ちを知ったのだ。
その事により芽依に会う前に始まっていた殺人衝動は少しずつなりを潜めていったのだが、完全に抑え込む事は出来ない。
その苦しく歯痒い気持ちが呪いとなって芽依に向かったのだろう。
芽依に会わなければ、芽依を知ろうとしなければ、その衝動に身を任せて移民の民の芽依諸共、フェンネルはきっと殺していただろう。
「……………………まんまと、懐柔されちゃったんだよね……君の言う寄り添い合って譲り合って……理解から始める……その過程に、君と言う人格に」
ふっ……と息を吐き出してフェンネルは芽依の手を握った。
「だからね、あのリンデリントにいたって聞いて心臓が止まるかと思った。全身が一気に冷えたよ……過去の僕が、君を殺していたかもしれないなんて……そんな怖く最低な事……」
「……だからあの時、真っ青になって震えていたんだね」
「僕は、取り返しのつかない事をする所だった」
「……………………今は、もう死にたいなんて思ってない?」
「思ってないよ……もし思ったら、今頃僕の心臓は握り潰す勢いの痛みを感じているんじゃないかなぁ、主人の心的苦痛にも効果あるからねぇ」
「そうなったら、私泣くよ」
「それは困るなぁ……今ではね冬牡丹の間違いもわかってるよ……ただ今は物悲しい気持ちになるだけ」
花雪のフェンネルは、粉雪の力も使える珍しいハイブリッドになった。
それでも、狂った妖精という爆弾がありニアだけでなく国からの指示でアリステアも定期的な監視を余儀なくされた。
それらをすべて飲み込んで微笑んだフェンネルは、やっとしがらみから解放されたのだろう。
フェンネルは芽依の奴隷となり、フェンネルの持ち物は全て芽依の物となる。
フェンネルの庭は芽依の庭と繋げることでさらに広い庭へと変わり、アリステアから監視対象となる為メディトークやハストゥーレと同じ家に住むことになった。
これにフェンネルは微笑んで頷き、芽依はハッ!とした。
「人員確保!!」
『その分庭が広くなるがなぁ』
「そうだった!!」
フェンネルそんな2人の会話を聞いて息を吐き出し微笑んだ。
500年以上も凍え固まった心と体をようやく溶かし本心から微笑む事が出来たのだ。
「………………雪解け……僕にも来るなんて思ってもいなかった」
少し離れた所で笑う奴隷のハストゥーレに、巨大蟻のメディトーク。
主人になる移民の民の芽依との新しい生活はフェンネルの一人きりの寂しい生活に終止符を打った。
曇りどんよりとしていた暗い雲はいつの間にか青空に変わり、3月下旬のまだ寒い時期に季節外れの暖かな風が1日中吹いていたのだった。