芽依はシャルドネに連れられてまたあの扉の前にいた。
今回は真っ青で、上から白い雫が落ちている。
それを見たシャルドネとフェンネルは目を見開き困ったように笑った。
「メイちゃん、君が悲しまなくてもいいんだよ」
「………………え?」
「悲しんでる、僕を奴隷にすること」
するりと手を繋がれて美しく微笑む花雪の妖精に芽依を力一杯眉に力を入れる。
「…………フェンネルさんの身の安全の為にも、国に渡さない方がいいからこうなったって分かるけど……フェンネルさんが奴隷ってなんだか…………うぅん」
「…………1番いい方法だと思いますよ。彼は貴方のそばに居る事で狂気を抑える役割を果たしています。より正確に危険のない状態を選ぶのも領主の役目ですから」
「………………心配しなくていいんだよ」
渋々頷いた芽依は、真っ青な扉が開くのを黙って見つめていた。
「はぁぁい、いらっしゃい!ようこそ深淵の縁に!今日は誰を奴隷にするのかな?」
「………………はぁ、まだラスティの方が良かったですね」
「んまっ!あんなはなたれ小僧、良くないわよシャルドネ!あんなひょろひょろより、やっぱり時代は筋肉よ!」
「気持ち悪いのでポーズを取らないで下さい」
室内に居たのは前回の犬好きラスティではなく、筋肉ムキムキの髭ズラだった。
奴隷紋を施すこの部署の数少ない職員の1人、シャノンである。
可愛らしい名前とは裏腹なムキムキの壮年な男性がにっこりと笑う。
話し方が特徴的ではあるが、その身のこなしはしっかりとした男性だ。
「…………さて、珍しいよね最高位が奴隷落ちなんて。しかも犯罪奴隷でしょ?普通は高位人外者だからと免除されるものなのに」
「移民狩りの首謀者だからかな?僕は狂った妖精だからねぇ」
「フェンネルさん!」
「………………あらまぁ、正気を保つ狂った妖精なんて初めて見たわ。しかも移民狩りの首謀者……本当に?……まあ、花雪の妖精だっていうのは本当みたいだけど…………貴方も難儀ねぇ、白の次は犯罪者……奇数な運命だわ」
「…………違いますよ、不幸せなんかじゃないです。私はこの上なく幸せです」
「………………そう、失礼な事を言って悪かったわね……じゃ、サクッと奴隷紋入れちゃいましょ。はい、こっち座って」
はいはい、と手招きするシャノンに従うフェンネルを芽依は掴んだ。
「待ってください!あの!契約書とかは!?」
「ああ、ないわよ?犯罪奴隷にそんなもの」
「………………え?」
「犯罪奴隷はね、とにかく完全服従で主人を害したらその分罰が与えられるの。首に出来る奴隷紋と心臓が直結していて強い痛みを与えるのよ。主人の怪我や心的負担によってその度合いは違うけれど、奴隷を殺すほどの痛みを与えたりするから…………気を付けなさいね」
「うん、わかってる。メイちゃんに負担はかけないよ」
「ならよし!はい!行くわよ、座って!これは強烈なんだから!!」
イケおじのウインクを真正面から見る。
見た目だけなら完璧な紳士なのに、その話し方が強烈すぎる。
「じゃ、行くわよー、はい、首出して」
椅子に座ったフェンネルは髪を避けて首を晒す。
真っ白な首にシャノンの手が当てられると、魔術陣がぶわりと広がり文字を刻んでいく。
それが芽依への絶対服従やらの契約が刻まれているのだが、ハストゥーレの時とは違うフェンネルは痛みに顔を歪めていた。
冷や汗を描き唸り声を噛み締めて涙を流し出すフェンネルに芽依は目を見開きオロオロとする。
「…………え、フェンネルさん」
「今触れてはいけませんよ……犯罪奴隷に奴隷紋を刻む時強い痛みが走ります。自分の立場を分からせる為に、そして心臓と感覚を直結する為です」
「……………………ぐ…………うぅ…………」
悩ましく眉を寄せて唇を噛み締めるフェンネルの額からは汗が流れている。
相当の痛みなのだろう。
「…………まぁ、よく耐えたわねぇ……大男でもこれには泣き叫んで気絶するくらいなのに」
奴隷紋を付け終わったフェンネルは力が抜けて椅子から床に落ちた。
どさりと転がり真っ白な髪が散らばる中、見えた首筋に入った真っ黒な奴隷紋に芽依は泣きそうになる。
慌てて抱き上げ荒く息をするフェンネルの顔を見ると、目を開ける事すら出来ない様子だ。
「死にはしないから大丈夫!はい、次は主人であるあんたの番よ」
「…………何するの?」
「あんたの体液を奴隷紋に染み込ませるの。これでこの奴隷はあんたを害せなくなるってわけ!主人って認識するのよ…………大体は血液だわね」
「………………血液……ナイフを貸してください」
「どうぞー」
「……………………メイちゃん?」
うっすらと開いたフェンネルの瞼を手で隠してそのまま首が出るように顔の位置をずらす。
そして、シャルドネに手伝ってもらい指先を切った右手の人差し指を奴隷紋に押し当てる。
じんわりと広がり奴隷紋全てに浸透した時、一瞬黒く光を放った。
「………………はい、お疲れ様。これで貴方の奴隷になったわよ」
「……………………はい」
ぐったりとしているフェンネルの頭を抱えたままシャノンを見て返事を返した。
芽依は、ぐったりするフェンネルを連れて帰る力が無いため、メディトークのお迎えを待っていた。
シャルドネは仕事に戻る為、部屋を後にしシャノンは別の奴隷の内容変更に来た人外者の対応をしている。
芽依の膝に頭を乗せてぐったりしている花雪が珍しいのが、それとも美しさに心を射貫かれたのか、芽依達をガン見している。
そんな人外者を無視した芽依は、優しく髪を撫でつけていた。
「…………不思議な光景ねぇ、犯罪奴隷を優しく介抱する主人なんて」
「そうですか?」
「そうよ、犯罪者なんてねぇ破落戸もいいところよ?何回こっちが殺されかけた事か!犯罪奴隷のほとんどはね、主人に害して罰を受けて……中には死んでるのもいるわねぇ」
いやぁね!とぷりぷりしているが、その指先は優雅に契約書の文書をなぞっている。
「…………フェンネルさんはそんな事しません」
「そう?」
「本来は、優しい人です。優し過ぎて心を壊した人ですから」
「じゃあ、今後は壊れないようにあんたが見ていけば良いんじゃない?」
「………………そうですね、そうします」
サラリと撫で、真っ黒な奴隷紋を撫でるとフェンネルは目を開けた。
芽依を見上げて笑う姿は儚く美しくて消えてしまいそうだ。
「フェンネルさん」
「…………なに?」
「今からは私達が家族だよ」
「………………うん」
花が開いたように微笑むフェンネルの周りにポンッと現れた氷花にシャノンや来ていた人外者に奴隷の目が見開き驚愕する。
「ひ!氷花!!」
「まぁ!本物なの!?色合いが呪いの氷花では無いわ!!……ア、アリステア様を呼ばなきゃー!!」
奴隷更新を中断して走り出したシャノンと人外者。
芽依は呆然と二人を見ていたら残った奴隷が芽依に近付いた。
「…………あの、さ……奴隷持ちなんだよな…………俺を買い取ってくれよ……頼む……もうアイツの相手は嫌だ」
頭を下げる奴隷に、フラフラのフェンネルが芽依を守るように前に来る。
「フェンネルさん?危ないよ転んじゃう」
「大丈夫……ダメだよ君は、自分から他人のご主人様に乞うのは」
「っ!主人に大事にされてんなら分かんねぇよ!大事にされない奴隷が!夢見るくらいあっていいだろ!!」
叫んだ瞬間扉が開いた。
来たのはアリステアとブランシェットに騎士が数人。
そして、シャノンとさっきの人外者だ。
「メイ!メイー!!氷花があるって!?」
「氷花?」
「これだね」
芽依を守りながら、先程出した氷花を持ち芽依の手に置く。
「…………これが氷花」
氷で出来た蓮の花のような形で、内側が薄いピンク色をしている。
ポワンと内側が光る氷花をアリステアは震える手で芽依の肩に触れながら見た。
「メイ、頼む……譲ってくれないか……」
「え?フェンネルさんのだから」
「いや、もう芽依の奴隷だろう?なら、フェンネル様の持ち物は全て芽依の物だ」
「え!?そうなの?」
「うん、好きに使っていいよ」
どうぞ、と促す言葉を聞いた芽依は、じゃあ……とフェンネルを見た。
「もう1つ出せる?最初に出した1個は私が欲しい」
「……………………もう、好きなだけ出すよ」
目元を染めたフェンネルは両手を出すと一瞬で氷花の花束を作り目を見開く芽依を見た。
満足そうに笑ったフェンネルはアリステアに差し出す。
「これでいいかな?」
「ま……幻の花がこんなに…………」
喜びスキップしながら部屋を出ていったアリステアと、それに着いていくブランシェットや騎士たちを見送った芽依とフェンネルは、お迎えまだかなーとのんびり待っていた。
その後ろで勝手な事をした奴隷が怒られているのだが、芽依はフェンネルに抱えられてその様子を見ないように体を固定されていた。
きっと今日の夜、この奴隷は折檻されるのだろう。