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第零話 後編~死と転生と誕生と~

(ここは……何処どこだ?)


 多分日本ではない。

 けれどこの光景には既視感がある。天災に見舞われた人々の光景だ。


 傷を負って動けない人々の中、泣きじゃくって親を探す子供がいた。

 崩れた家に向かって、必死で呼びかけながら瓦礫を掘り起こそうとする女がいた。

 自分たちを置いて家族を優先するよう息子を説得する老夫婦がいた。


 時折大地がうなりを上げて揺れたかと思えば、遠くの方では火の手が上がったのか黒煙と炎が上がる。


 そんな中を、一頭立の馬車が駆けていた。


 荒れた道の上の、揺れる馬車の中には女性が二人。

 一人は身重のようで、もう一人の女性が気遣わし気に身重の女性の身体をさすっている。


 御者ぎょしゃの男も荒れた道の上、それでも揺れを最小限にしようと注意を払いながら馬を走らせている。


 それでも限界が近かったのか、しばらくして馬が力尽きる。

 次に身重の女性を気遣っていた女が倒れ、最後に御者の身体が崩れ落ちた。


 女も御者御者ぎょしゃも、最後まで身重の女性を気に掛かけていたのだろう。

 自分たちの食料は最低限に、それ以外は全て身重の女性に渡していた。


 よく見れば女性の服はボロボロでも上等なものだった。

 二人は女性の従者なのかもしれない。


 大きなお腹を抱えながら、女性は足を踏み出す。

 その足取りは酷く不安定なものだったが、その目には強い生への執着があった。

 その様子と眼差しに思わず手を伸ばす。


(あれ……?)


 手を伸ばしたつもりだった。

 でも伸ばしたはずの手は何処にもない。自分自身の身体が見当たらない。


(死んだから身体がないってことか……?)


 確かにあの時、医師の口から「ご臨終」の一言を聞いた気がする。

 信じたくないけれど、自分は死んで肉体を失っているのだ。


 そして奇妙なことに自分の意識だけが、映画を観るように何処かで起こっているこの光景を見ているのだ。


 ただ、目の前の出来事には心当たりがない。


 目の前の光景を見下ろす場所にいるのは確かだが、少なくとも自分が運び込まれた病院ではない。

 勿論、その周辺の景色でもない。


(見てるだけで何もできないのは……悔しいな)


 先ほどは両親が、今は目の前の身重の女性が辛そうにしている。

 そんな時でも手の届かない自分が嫌になる。


 死んでまでこんな思いをするとは思わなかった。勘弁してほしい。

 そしてとうとう女性の足がもつれた。


(危ないっ!!)


 転んだ。

 即座にそう思って思わず目をぎゅっと閉じる。


 あれだけ大きなお腹を抱えていればもうすぐ産まれるかどうかというところだろう。

 手助けもできない中で目の前で起こった光景は、広がっているであろう惨事を容易に想像させた。


 ぎゅっと瞑った視界の中でチカチカと残像のようにさっきの光景が浮かび上がる。

 あの女性はどうなってしまったのか、強く閉じた瞼を恐る恐る開けるとまたもや景色が変わっていた。


 畳敷きの部屋、行燈あんどんの中から部屋を照らす蠟燭ろうそくの灯りが時折揺れて影を歪ませる。

 うって変わった景色に戸惑いながら眼下を見やれば、先ほどの身重の女性が清潔そうな布団に寝かされていた。


 周りではこの家の者たちだろうか、慌ただしく湯や手拭いを用意しながらも口々に女性を励ましていた。

 この人数から見ていいところのお屋敷かもしれない。


 あの後何かがあって助かったのだと理解して、少しホッとする。


「うぅう……ああぁっ!!」


 女性が苦し気に眉へ皺を寄せる。

 額には玉のような汗が浮かんでいた。

 側に控えた女性がその汗を拭い、産婆と思われる老婆が皺だらけの手を女性の足の間に入れた。


 息の詰まる光景だった。


 こちらが痛いわけでも苦しいわけでもないのに、情けないことに目を覆いたくなる。


 そうして、長いのか短いのかも分からない時間。

 感覚的には気の遠くなる様な時間を経て、その赤ん坊は姿を現した。

 それでも産婆を含め周囲の顔は浮かない。


(……泣かない……)


 無理もない話だとは思う。

 事情は分からない。

 だが身重の身体であの状況の中に居たのであれば、相当な負荷やストレスがかかっていたであろうことは易々と想像できる。


 それにしても神様というものが存在するなら、なんて残酷なのだろうと思う。

 産まれてくる命くらい、守ってほしいものだ。


 自分は神様が救ってくれるとは思っていないが、それでもこの泣かない赤子を前に神へ祈るくらいの気持ちはある。


「諦めるでねぇ」


 産婆が周囲の者たちに告げる。

 それぞれができることを全力でやっていた。

 ある者は母親の処置を行い、ある者は呼吸を手助けし、産婆は心臓を指で押して必死に産声を上げさせようとしていた。


 その様子を息も絶え絶えの、母親となろうとしている女性が薄っすらと目を開けて眺めている。

 彼女の目の端からは我が子への祈りか、涙があふれていた。


 誰かを生かそうと皆が必死に動くその光景が、自分が死んだときの光景と重なる。


 必死に自分に呼びかける両親。

 指示を飛ばす医者。

 バイタルを確認する看護師達。


(頑張れ……!)


 自分はダメだった。

 だからこそ目の前の命には助かってほしい。


(生きろ……!)


 ただひたすらに願う。


 身体はないが、目を閉じて、気持ちは両の手を合わせて神頼みしている。

 だって赤ん坊が生まれていきなりこんな目にあうなんてあんまりじゃないか。


 何かが足りないなら俺が代わりになるから。

 自分でも言ってることよくわからないけれど、この子が助かるのならもう死んでしまった自分はどうなってもいいから。


 今思えばそれが切っ掛けだったのかもしれない。


「……あぅ……」


 目の前には皺だらけの老婆の顔。

 驚きと喜びと戸惑いとが綯交ないまぜの表情で此方をうかがう周囲の人間たち。


 いや、想像でしかない。

 なにせ視界はぼやけている。


 ただ覗き込んでいる人影から感じる雰囲気は悪いものじゃない。

 耳ははっきりと周囲の音を拾っていたし、これまでとは違って体の感覚があった。


 おそらくこの皺の寄った手の感触は産婆の物か。


 確かめるように、愛でるように、宝石を扱うような。

 或いは繊細な硝子細工を扱うような手つきで撫でられる。


 話そうとしても、意味のない言葉しか出てこない。


「……奇跡じゃぁ……この子だけでも……ほんに良かったぁ……」


 絞り出したように老婆の口から言葉が出た瞬間、それまでの様子が嘘のように周囲の空気が安堵に包まれた。


「母君の手だ。最後に握って差し上げて下さい……」


 そういって触れさせられたのは、自分よりもずいぶんと大きな冷たい手。


 (まさかとは思ったけれど、そうか)


 そしてここで気が付いてしまった。


 今自分はあの赤子になってしまったのだと。

 あの女性は死んでしまったのだと。


 ひょっとして自分はとんでもないことを願ってしまったんじゃないだろうか。

 自分があの赤子になったという事は、その人生を奪ってしまったんじゃないか。


 違う違う!そうじゃない!

 助かってほしかっただけなのにどうしてこうなる?

 願っただけでどうしてこうなってしまうんだ!?


 葛藤しても答えはない。


 ただ事実としてあるのは、産声を上げなかった赤子に今自分が成り代わっているという事。

 それじゃあ、元々のこの子の意識は?

 魂とやらがあるならそれはどうなったんだ?


 そう考えたとき、罪悪感なのかどうしようもなく涙があふれてきた。

 赤ん坊だからかな。きっとそうだ。


 けれど泣いても許してもらえるような事じゃない。

 その日奇跡を起こした赤子の産声が生まれるはずだった赤子への懺悔ざんげの涙だったとは、誰も知る由がなかった。


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