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第六十六話 それが決死の覚悟であったとしても

  襲ってくる敵兵を切り捨てながら、桃と狛はもぬけの殻と化した敵本陣へと入る。


 遅かったか、とよぎった思考を一旦押し込めて、何か手掛かりがないかを探した。

 周囲には打ち捨てられた旗印や備品が散乱しており、その散らかり様から敵の焦りが伺えた。


「桃様、あれ」

「……足跡みたいだな。でかした狛」


 狛が指さした方向の地面を見ると、僅かに湿った地面の上に複数の足跡が残っていた。


 足跡は本陣の裏から僅かに覗く山道へと続いている。

 道の幅から考えても、逃げた人数はそこまで多くはなさそうだ。


 狛が足跡を見つけてくれなければ、早々に気が付かなかっただろう。

 人がすれ違うのでやっとであろう山道は目立たず、奥へ奥へと草陰に誘う様に続いていた。


 道は酷く入り組んでいて、これではどちらに行ったのか分からない。


「どうしよう、桃様」

「少し下がっていてくれ。俺の魔法で探る」

「魔法で?」


 どうやって?と顔に書いたような表情を浮かべた狛に笑って返しつつ、桃は静かに目を閉じて水のマナを探る。

 塗壁ぬりかべのガンリョウが閉じ込めていた村人たちを助け出す際、砦で使った手と同じだ。


 地面が湿っている上に周囲の動植物が多いせいで精度は落ちるが、行き先の手掛かりにはなる。


(移動する小さな水は小動物か?……砦の中で見た時の人の水の塊の大きさから考えると……)


 目を閉じた中で感じたのは、全体的に薄く広がった霧のようなイメージ。

 その中に点在する様々な大きさの水のマナだ。


 地面や植物に含まれる水分があちこちにあるので見わかりづらい。

 しかしそれぞれが不規則に動くなかで、明確な意思を持ってこちらから遠ざかる動きをする塊を見つけた。

 それをより集中して探索すると、集団の、不明瞭だったシルエットが徐々に形を成していく。


 それは桃の頭の中で血液や細胞の水分に含まれる水のマナとして、明確に人の形を象っていった。


「――見つけた」

「え!?、すごっ」

「こっちの道だ。一塊になって北東に動く複数の水の塊がある」

「こっちね!分かった!」


 とはいえ、正直確証はない。


 砦の中で使った時の経験則と、一塊に一心不乱に動いているであろうという推理。

 そして桃の頭の中で見えたイメージだけが、その判断材料だ。


 一定の意思の元一定の方向を目指し進んでいるが、野生動物とは考えにくいという推測に過ぎない。


 しかしその推測が正たっているのか、その答えが出るのに時間はかからなかった。


 不意打ちに気を付けながら狛とその草むらを分け入ってずんずんと進むと、逃げていく敵の背中が目に飛び込んでくる。


「いた!」


 視界に捕らえたその背中へ向かって狛が走り出した。


「狛!一人で突っ込むな!」


 意気盛んに駆けだした狛へ桃も慌てて続くと、それを聴きつけた最後尾の兵が顔を青くして叫ぶ。


「くそっ追いつかれた!走れ!!」


 殿しんがりを務めていたのは、ねずみと猿の中間のような顔の男。


 まるで鳥や猿が威嚇する時のような高い声が響いて、男の前方もにわかに騒がしくなったようであった。


 殿しんがりの男はそれなりの立場なのか、兵達よりも鎧を着こみ、兜にも装飾が付いていた。


「くっそぉ、なんでこんなに早いんじゃ。お前ら、人寿郎じんじゅろう様を連れて逃げろ!」


 殿しんがりの男が前にいるであろう兵へ叫ぶ。

 やはり人寿郎じんじゅろうがいるらしい。

 ともすれば、此処で逃がすわけにはいかない。


 しかし互いに武器を取って交戦状態に入ろうかというその時、割って入ったのは意外にも前にいたであろう兵達だった。


「お、お前ら!」


 殿しんがりの将が戸惑った様子で兵達の背中に声を掛ける。

 しかし兵達は振り返らず、武器をこちらへ向けたまま後ろの男を制する。


 その顔には笑顔が浮かんでいるものの、どこか強がっている様子が見て取れる。


歓吉かんきち様。ここは俺達が引き留めます」

歓吉かんきち様は人寿郎じんじゅろう様に必要な方。皆命がけは承知の上です」

「そうですよ。どうか生きて下さい。俺達もそれなりに足止めしたら逃げ延びますから」

「……わかった。死ぬなよ」

「ええ。帰ったらみんなで、酒飲みましょう」

「あんちゃんだけずるいぜ。歓吉かんきち様、俺にはいい女の子いる店を教えてくれよ」

「兄ちゃんたち、そういうこと言うと生きて帰れなくなるって母ちゃんが言ってたよ」

「……っ、ああっ!必ずあとで会おう!」


 先ほどまで殿しんがりに居た将は、兵達の言葉を受けとると何かを叫びそうな顔になった。

 それでも呼吸ごと言葉を飲み込んだようで、唇を噛んでそのまま何も言わずに走り出す。


 将の名は歓吉かんきちというらしい。


 兵達は歓吉かんきちが走り出したのを見送ると、押し合う様に前に桃達の前に立ちふさがる。

 その顔には決死の覚悟が張り付いている。


 恰好は川辺に居た雑兵たちと変わりないが、彼ら以上になにがなんでも食いついてやろうという凄みが感じられた。


 あの目、彼らは死ぬのも厭わずにここへ残ったのだろう。

 歓吉かんきちというあの将も、それを承知の上で彼らの言葉を受け入れた。


 あれは今生の別れになるであろうことを察した上での、己を鼓舞する言葉でもあったのだろう。


「……狛、気を付けろ」

「うん。分かってる」


 無論、桃達も負けるつもりは毛頭ない。


 それでも簡単に押し通らせてくれる相手ではないと、彼らの覚悟の篭った視線が雄弁に語っていた。

 引くつもりがあるのか、それを聞くのは野暮だろう。


「俺は蘇芳すおうの将、桃。こいつは配下の狛だ。あんたらの名を聞いておきたい」


 兵達は桃の言葉を聴いて一瞬面食らったような顔になって顔を見合わせたが、素直な質なのか直ぐに互いを見つめて頷くと名乗りを上げる。


「マツノスケ」

「タケベエ」

「ウメタロウ」

「三兄弟か」

「「「ああ」」」


 桃は頭の中でその名前を繰り返し、これから命の奪い合いをする目の前の三人の顔を改めて刻み付ける。

 自己満足でも、それがこの三人へ礼を尽くす事になると信じたかった。


「そうか」


 三兄弟は息の合った返事で短く応えた。

 桃も短く言葉を返した。


 ある意味で雪女と対峙した時以上に、桃は警戒していた。

 彼らの構えは、武器を握る姿がようやく板についてきた頃の桃よりもマシな程度だ。

 蘇芳すおうの兵達とさして実力は変わらないだろう。


 いずれにしても武器の扱いに関して、直接一寸の薫陶くんとうを受けた桃が負ける道理はない。


 数で大きく劣るならまだしも、此方には狛もいる。

 負けること等ない筈なのに、警戒せざるを得ない。


(戦に絶対は無い。か。確かにそうだ)


 分かっているつもりでも、改めて思い知らされる。

 この彼らの眼差しを前にしては、絶対の勝ちなどありはしない。


 油断した矢先、この首を割かれかねない。

 それこそ腹を貫かれたとしても、命がけで桃を殺しに来るだろう。


 それでも。


(それでも、どんなに覚悟を見せつけられても、これが戦である以上踏み越えなきゃいけない)


 今この場に立つ彼らの覚悟がどれ程のものか。


 殺したくはない。

 死んでほしくないと思うし、生きる道があるなら生きて欲しいとも思う。


 だが、生き方を決めた彼らの袖を、むりやり引き留める事も出来ない。

 その資格も、権利もない。


 カワベエに知られれば、きっとそれを思う事すら傲慢だと言われるだろう。

 桃が今この三人に対して唯一出来る事は、ただ真っすぐと向き合って、目を逸らさずに見届ける事だけだった。


「やろうか。狛」

「うん」


 狛と二人、武器を握って三人の兵と対峙する。

 生半可なことは出来ない。

 彼らの覚悟を受け止めた上で、確実に息の根を止める。


 視線が交差し、朽ち木を踏みしめる音が鳴る。

 斬りかかったのはそれぞれ、ほとんど同時の事だった。


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