マツノスケ達三人が桃たち二人の足止めをしている最中、歓吉は
知った道のはずなのに、酷く動悸がする。
息が詰まる。
今すぐにでも、胃の中身を吐いてしまいそうだった。
それは物理的な疲労だけから来るものではない。
同じ釜の飯を食い、苦労を分かち合った友を死地へ置き去りにした故という事を理解しながら、それでも歓吉は必死に
「歓吉、マツノスケ達は……」
「分かっております。だからこそわしらは逃げ延びにゃあなりません」
「……すまない」
細い道を塞ぐように伸びる草木をかき分けながら、
その背後では歓吉が息を乱しながら、後方の確認を繰り返し行っていた。
「謝らんでください。
「……歓吉、私は」
「さ、早う進まにゃ、直ぐに奴らは追いついてきます。この先に小さな沢がありますから、まずはそこを目指しましょう」
「ああ」
礼を欠いたことと知りながら、歓吉は
自分になど付いてしまったばかりになんていう卑下。
出てくる言葉はそんな所であろう。
けれどそれを聴いてしまったら、自分の中で何かが切れてしまう。
在ってはならない事だが、情けなくも泣いて喚き散らすか、さもなくば
歓吉はそう感じていた。
あの三兄弟は自分が末端の兵だった時分からずっと一緒にいた連中だった。
時に干し
歓吉が
そんな彼らが、自分たちを逃がすために敵を足止めに残った。
しかもその相手は、前回の戦で一杯食わされた原因である、あの桃という将だ。
彼が従えているあの少女も、恐らくは並の兵士ではあるまい。
先の戦の失敗で、マツノスケ達や生き残った他の兵の証言などを参考に集めた情報から間違いはないだろう。
歓吉やマツノスケ達三兄弟は、決して武勇に優れていたわけでは無い。
必死に戦って必死に逃げ延びて、死にたくないと生き残ってきた。
そんな彼らでは、きっとあの二人には敵わない。
戦えばまず間違いなく死ぬ。
それを三人ともわかったうえで残ったのだ。
だからこそ、その覚悟を
歓吉が話に出した小さな沢には、さほど時間もかからずに到着した。
沢にはちろちろと細く水が流れており、歓吉は腰の革袋を水筒代わりに水を汲むと
興奮と緊張と焦燥とで張り付いた喉が、僅かに潤される。
それだけで、生まれ変わるような心地であった。
「ぷはっ」
喉の潤いと同時に、歓吉は思い出したように大きく呼吸する。
「さ、喉も潤った。行きま……」
「歓吉?あっ……!」
立ち上がった瞬間、歓吉はまるで時間ごと止まったように
「あいつら、もう来やがったがや!」
途端、歓吉は苦虫を噛み潰したような表情になった。
その視線の先には、マツノスケ達が足止めに入ったはずの、かの艶のある
「すぐに走って逃げ――!!」
言い切る前に、鋭く高圧の何かが数発撃ち込まれる。
咄嗟に
「ぐぅ……!!」
「歓吉!ぐぁぅ!!」
傷を負った歓吉を案じて、庇われて倒れた
しかしそれを逃す桃ではない。
水弾が周囲の木々に当たって木々を貫通し、周囲の地面を抉る。
弾は転がっている岩をも撃ち抜き、その岩の弾傷が濡れている事に気付いた歓吉は、撃ち込まれたものの正体が水であるとようやく認識した。
追い打ちで撃ち込まれた水弾が、
加えて頭に一発。
命に係わる重傷だと一目で理解できた。
「
息も絶え絶えの
一方で追手の将、桃とその配下はすでに目前だ。もう少しで、互いの間合いに入る。
逃げられない。この二人を引き留めて
「
「――っ!!すまぬ歓吉!!」
歓吉の声に、
「頭を打ち抜いたのに生きてるのか!?逃がさん!!」
瞬間、桃が
一気に口から大量の血を吐き出した。
歓吉はというと、桃を妨害する為傷ついた足で飛び出すも、配下の少女に行く手を阻まれてしまう。
「くっ……!!退けぇえ!!」
「退かない!」
歓吉の脚絆から血がじわじわと滲む。
掠っただけかと思っていたが、傷が深い。
長く踏ん張れる保証も無く、
万事休すのこの状況で、歓吉の口からは自然と言葉が絞り出された。
「マツノスケ達は……、どうした……!」
分かっている。
彼らがここに来た時点で、あの三人がどうなったのかは。
それでも歓吉は、その結末を聴かずには、確かめずにはいられなかった。
その言葉に、目の前の少女の表情が僅かに曇ったように見えたが、歓吉は問い掛けを止めるつもりは無い。
それは彼らを糾弾する為でもなく、ただマツノスケ達を置いて行った自分に対する責任でもある。
「死んだ。俺が討った」
「――そうか」
少女の代わりに応えたのは桃だった。
分かっていた。
「……あいつらは、最後まで戦ったか」
「ああ。腕を切り落とされても、足を撃ち抜かれても、血泥に塗れて必死に食いついてきたよ」
「そうか」
「奴らは、あの三人は、強かった」
「……そうか」
桃の口からは、謝罪や同情はない。
彼らの覚悟に対する賞賛も無い。
それでいい。
分かった様な口を訊かれて、彼らの覚悟を理解したような顔をされるよりも、余程良心的だ。
それよりも、こんな状況で自分の分かり切った質問に真面目に答える桃に、歓吉は思わず敬服した。
(あいつらも頑張ったんじゃなぁ。こいつに強いと言わせたんじゃ。ならわしだって……)
「桃様!話し込んでる場合じゃないでしょ!今のうちに
「ああ、頼んだ!」
少女と武器を
その度に強烈な痛みが体中に走り、血が流れだして力が抜けそうになったが、歯を割れんばかりに食い縛って耐えた。
それでも状況は良くならない。
駄目か。今回も守れないのか。
そんな言葉が、歓吉の頭によぎったその時だった。
「――!!」
再び駆けだそうとした桃が突如転身し、
その直後に歓吉と狛の間を割る様に大太刀を振り下ろしてきた影があった。
白磁の大鎧を纏った小柄な人影だ。
「桜花!お前何処に言っておったんじゃこんな時に!」
「すまない。歩きでは何れ追いつかれると踏んでな。移動手段を誘導していた」
「こいつは……
桜花の言葉と共に木々をなぎ倒して現れたのは、恐ろしい形相の大きな顔を張り付けた大きな馬車。
(朧車!?あれが……)
桃のいた世界では牛車の妖怪とされていたが、この世界では馬車の朧車がいるようだ。
馬車からは一人の女性が降り立ち、
白く化粧を施した顔に、両目の下から唇の端にかけて大きな傷跡が浮かんでいた。
女性は
「歓吉!貴様取り立てられた恩への報いを果たせず、我が子に傷を負わせるとは何事か!」
「……!!
「良いか。今の
「ははぁ」
「そこな
それだけ言い残し、
(――――!?)
その行動に、桃が思わず目を見開いた。
あれほど人寿郎が傷つくことに怒っていた人物が、あっさりと人寿郎を置いて行ったことに。
(それにさっきは顔が良く見えなかったけど、人寿郎のあの姿……いくらなんでも……いや、今はいい)
まだ目の前に敵がいる。
考える時ではないと桃は思考を振り払う。
後に残ったのは朧車によって倒された木々と
「……あんた、たしか桃っつったか」
「ああ。よく知っているな。そういうあんたは歓吉だったか。マツノスケ達が随分慕っていたようだな」
「ああ。そのマツノスケ達から聴いた。こっちの嬢ちゃんは」
「狛だ。俺の配下だよ」
桜花と対峙する桃に、歓吉は名を尋ねた。
やはり予想通り、以前の戦をひっかき回した将の名のようだ。
あの時感じた嫌な感覚は、間違いではなかった。
「悪いが
「分かってる」
「馬鹿を言うな。歓吉、お前は足手まといだ。下がっていろ」
「……わかった」
「狛、歓吉の動きを抑えていてくれ。あの傷じゃ大したことは出来ないだろうが、念のためだ」
「わかった。気を付けてね、桃様」
そう言うなり、桃は改めて桜花と向き直る。
白磁の鎧と大太刀という出立は桃が初めて桜花を目にしたときと同じ格好であった為に、桃はすぐに塗壁の際に対峙した相手だろうと見定めていた。
「以前のままでは、お前は私には勝てないぞ。
桜花が挑発的な言葉を桃に投げかけた。
桃はそれになにか気持ちを揺さぶられるような様子はなく、ただ「確かに」と一言添えて剣を構える。
「以前のままなら、敵わないだろう。でも以前のままじゃない。色々聞かなきゃならないことが出来た以上、あの朧車を追わなきゃならないんでな。早々に本気を出させてもらう」
言い終えると同時、桃の周囲に何処からともなく水のマナが渦巻き始める。
空にはいつの間にか黒雲が垂れこめ、森の中に闇を招く。
濃密な水のマナが桃の周囲に集まっていく。
変化は直ぐに訪れた。
周囲に集まった水のマナはまるでそれが当然であるかのように桃の中へ。
そしてその直後、桃から蛇が首を
まるで蛇がうねる様に腰と腕に水が巻き付き、その瞳はじわじわと血に染まるように赤く、鬼灯のように色付いていく。
なにか巨大な蛇に睨まれたように、歓吉の背にぞわりと冷や汗が浮かんだ。
あれは敵意だ。
それを直接向けられている桜花の緊張は、如何程かと歓吉は恐ろしくなった。
周囲の魔力が悲鳴を上げるように震え始め、まるで地震でも起きているような感覚だ。
「さっき名を又聞きしたが、桜花って言ったか。それじゃあ、――行くぞ」
桜花は何も答えない。
ただやはり警戒を強めたのか、鋭くなった気配を持って桜花は桃に向かって大太刀を構えた。