詰所がなにやらざわつき始めたのだ。守備隊の兵士達が慌ただしく動いている。
どうしたのかと立ち上がった僕は、近くにいた兵士さんに尋ねた。この人はここに到着した時に大樹の精霊の歴史をガイドしてくれた、あの元気いっぱいなバラの香りの門番さんだ。
「すみません! あの、何かあったんですか?」
「あれ! 君はいつぞやの……。強力な魔物がこっちに向かって来ているの! 警戒態勢に入るから、危ないから君も一緒に来て!」
「わかりました!」
詰所は騒然としながら、慌ただしく兵士達は持ち場に着く。
僕は北門の門番さんの一人である、ミゼラッタについて、北門の壁までやってきた。そこから壁の向こうを覗ける小窓から外の様子を伺う。
「――っ!」
人が魔物に追われている! 人と同じくらいの背丈のカマキリのような魔物だ! 両腕が鋭い鎌になっていて、一目で危険度の高い魔物であると見て取れる。
そしてそれに追われる人間。革鎧を身に纏い武器も持たずにがむしゃらにこちらへ走ってくる。
あれは……
「――ビルトンさん!?」
先程冒険者ギルドで会ったCランク冒険者のビルトンさんだ!
門までまだ距離がある! 早く! こっちまで早く!!
レッテさんが兵士達に指示を飛ばしている。こちらから迎え撃つ構えのようだ。
「聞け! 現在こちらにブレードマンティスが接近中だ!
冒険者一名が追われている! これより我らは冒険者を救出し、ブレードマンティスを討伐する!」
レッテさんの号令で兵士達が北門前に整列している。ミゼラッタさんも向かったようだ。
僕は外を見る。
ビルトンさんは必死に逃げている。だが、すぐ後ろにブレードマンティスが両腕の鎌を上げながら追ってきていた!
このままじゃ……!
僕は知人の危機にいても立っても居られなくなっていた。
「門を開け! 守備隊、前へ! 一小隊を救出と護衛に向かい残りは討伐せよ! ……我らに花の加護あらんことを!」
「「「――我らに花の加護あらんことを!!」」」
レッテさんの出撃を命じ、北門が開門しアルラウネの守備隊が出撃した!
「うわあああ! たすけっ……たすけてぇ!」
ビルトンさんは恐怖を顔に張り付かせながら懸命に走る。そのすぐ後ろをブレードマンティスが迫る。
ビルトンさんの恐怖に染まった顔を見た僕は、かつての自分を重ねる。
恐怖に負けそうになって全てを諦めてしまいそうになる絶望感。
そんな思いを、もう誰にもして欲しくない……!
「レッテさん! 僕も助けに行きます!」
「――っ! ダメよ! 貴方はここで待機よ!」
「でも! こうしてる間にビルトンさんが――」
レッテさんが険しい表情で睨みながら声を張り上げる。
「駆け出しの貴方が適う相手に見えるの!? 貴方ははっきり言って足でまといになる! 私達の仕事を増やさないで!!」
「――――!!!」
反論出来なかった。まったくその通りだったから。
僕は、ただ……!
ただ、助けを求める声に応えたかっただけなのに……!
「ぎゃああああーーー!!」
絶叫とも言える悲鳴がこだまして、僕は反射的に声がした場所を見た。
ビルトンさんの左腕が、ブレードマンティスの鎌によって完全に切断されている光景が飛び込んできた……!
ビルトンさんの切断された方の肩から血が吹き出している。
「――――ッッ」
僕は声にならない声を上げる。胸の鼓動が痛い程高鳴っている。同時に見ているだけで何も出来ない自分の不甲斐なさで自己嫌悪になる。
「保護対象が重症を負っている! 救護班は入口に待機せよ! 護衛班! 保護対象を急ぎ連れ帰れ!!」
レッテさんの指示が響く中、僕は愕然としながら行く末を見守るしかなかった……。
やがて、青い顔をしたビルトンさんが運ばれてきて、救護班の懸命な救急活動が行われた。回復魔術を3人がかりで行う大掛かりなものだった。
ブレードマンティスは、負傷者を出しながらも討伐に成功した。だが、討伐した時、黒い塵となって消滅したという。……魔王の遣いだった可能性があったんだ。
「………………」
僕のそばで、冷たくなったビルトンさんが横たわっている。僕は何も出来なかった。
ただ呆然と俯く僕に、レッテさんは穏やかに言葉を投げかけた。
「さっきはごめんなさいね。でも、ああしなかったら貴方まで同じ目にあっていたかもしれない。私達には人を守る義務があるのよ」
「……はい。分かっています。僕は、気持ちだけが先走って……自分の実力も考えないで…………」
「……冒険者は常に危険と隣り合わせ。この結果は貴方のせいじゃないわ。この人のことを思うなら、祈ってあげて……」
「……はい」
……僕はビルトンさんが安らかに眠れるように、心を込めて祈りを捧げた。
知人が目の前で死ぬのはもうウンザリなんだ。
……ランクが上がれば、突然こういった別れが来る時があるんだって、これからの僕らにも起きるかもしれないってことを、僕は忘れちゃいけない。
依頼の方は、これで完了ということになり、僕はレッテさんにお辞儀してその場を去った。
冒険者ギルドに戻ってきた。
まずカウンターに行ったら報酬よりも何よりも――
ギルドの中に入ると、テーブル席にサヤとウィニ、チギリ師匠が座っているのが見えて、僕を見つけたウィニが手招きしていた。
その時の僕はどんな顔をしていたのだろう。無理やり笑顔を作ったはずだけど、上手く笑えてなかったのかもしれない。
今はそれよりも……
僕はウィニの手招きに応じず、足取り重くカウンターへ向かった。
「クサビさん、お疲れ様です! ……大丈夫ですか?」
余程酷い顔をしていたのか、ヴァーミさんが気にかけてくれた。そこへ僕を心配したサヤ、ウィニ、チギリ師匠がやってくる。
――知らせなきゃいけない。
僕は、一枚のギルドカードをカウンターに提出した。
それは血にまみれた銅製のギルドカード。Cランクのギルドカードだ。
ビルトン・クリプトンと表記している。
それを見た、その場にいた全員が察した。一瞬にしてそれはギルド全体に広まり、しんと静まり返る。
――知らせなきゃいけない。
しばしの沈黙のあと、僕は震える声で告げた。
「ビルトン・クリプトン、ブレードマンティスにより、死亡しましたことを、ここに報告致します……!」
「…………。そう、ですか……。了解致しました。報告ありがとうございました」
ギルドの中が完全に沈んでしまった。
いたたまれなくなって、僕は依頼の報告もせずにギルドを出る。
いち早くサヤは僕を追ってきた。
遅れてウィニとチギリ師匠もやってくる。
サヤは僕に寄り添って、ただ傍にいてくれた。
僕はビルトンさんの顛末を皆に語った。
「クサビ……貴方は優しすぎる……。今回のことは、クサビのせいでも、ましてや原因でもないのよ」
「うみゅ…………」
「分かってはいるんだ。ただ、少しでも話した事のある人が目の前で死んでいくのが悲しいんだ。……僕にはどうしようも無かった。それも分かっているんだ! それなのに、どうしても……!」
僕の双眸から熱いものが流れ落ちる。それが涙だと気づいた途端とめどなく流れてしまい、どうにも止める事ができなくなってしまった。
サヤはそんな僕を優しく包んだ。微かに震えているのを感じる。
……サヤも泣いているのだろうか。
ウィニはいたたまれなさげにして、チギリ師匠のローブの裾を掴んで猫耳を垂らしている。
しばらくの間、涙を流していたからか、少しすっきりした。
タイミングを測っていたのか、チギリ師匠が諭すようなトーンで言葉を紡ぐと、サヤもそっと離れる。
「我らは常に死と隣り合わせだ。だが、それを避ける事が出来るのは己自身と、仲間の力なのだ。……自身の死に泣いてくれる者が居たあやつは幸福な方だよ」
僕は涙を拭き、まっすぐチギリ師匠の目を見て力強く頷く。
「――はい! 僕は仲間を守れるように、そしていつか大勢を守れるように、強くなります。明日からまた稽古を付けてください!」
「ふふ。いい顔だ。……もちろんだとも。愛弟子よ」
いつだって人が死ぬ様はツライ。でも僕はそれも乗り越えて強くなるよ。
その後、依頼の報告をした僕はサヤと共にDランクへと昇格し、ささやかに祝いと追悼の席を設けたのだった。