僕とサヤは二人揃ってやや緊張した面持ちで、だが強い期待を抱きながら街を歩いていた。
昨日エルヴァイナに戻ってきてギルドにスライムの油が入った小瓶10本の納品と達成の報告をした後、魔物の素材を買い取ってくれる店に、余ったスライムの油を売却したところかなりの稼ぎになったのだ。
依頼の報酬と素材売却、そして僕とサヤの取り分の全てで、パーティの財布は金貨30枚を越える事ができた。
僕のお財布はすっからかんだけど、また稼げばいいんだ。何も惜しくは無い。
僕達の前に広がるのは長閑で広大な畑と牧場だ。
今日は明確な用があってここに来た。
僕達の大切な仲間となってくれる存在を迎える為に。
「楽しみだね」
「ええ! ん……でもちょっと緊張するわ……」
馬牧場に続く農道を歩きながら言うと、サヤはどこか表情を硬くして答える。珍しく緊張しているな。
「はは! 珍しいねえ〜。少し肩の力抜いたらいいよ」
「しょ、しょうがないでしょっ! 命を買うんだから、それには責任が伴うのよ……っ」
と、ツンとそっぽを向いて怒った素振りをする。強がりだなあ。
「それはそうだけど、本当の理由はそれだけじゃないんでしょ?」
そう指摘すると、サヤの眉間に少しだけ皺が寄り、図星をつかれたと表情が物語っていた。
「う……。クサビにしては鋭いわね……。…………うん。あの子、ハヤテに瓜二つなんだもの。やっぱり意識してしまうのよ……」
強がるようにしていたサヤの返答は徐々に勢いを失い、言葉を紡ぐにつれて俯いていく。
複雑な心境の幼馴染の心中を慮れば、そうなってしまうのも無理からぬことではあった。
「……まあね。でも僕は笑顔で迎えてあげたいって思うよ! そっちの方がきっと馬も嬉しいよ」
「……アンタってたまにそういう前向きなところあるわよね。……そうよね。私もそう思うわ」
サヤの微笑む表情に柔らかさが戻ってきたようだ。
かと思えば今度はニヤリと悪戯っぽく笑って僕の脇腹をつついてくる。
「でもねぇ、着く前からずっとそんな満面の笑みだと逆に怖いわよ〜?」
「えっ! 僕そんなにニヤニヤしてた!? ……ははは」
ケラケラと笑いながら揶揄ってくるサヤに、脇腹をつつかれながらもいつも通りで安心する。
サヤには暗い顔なんか似合わないからね。
僕はつついてくるサヤの手を取り、そのまま歩き続けた。突然手を取られて一瞬驚いたようなサヤの手は解かれることなくそのまま握り返して、僕達は小さな幸福を感じながら農道をゆっくりと踏みしめていった。
クサビと一緒に私は馬牧場にやってきた。
のんびり牧草を食む馬たちを見やると、胸の奥にザワつく僅かな痛みが蘇る。未だ乗り越えられない過去の傷だ。
でも、今日はその過去を乗り越える為に来た。
幼少の頃からずっと一緒だった愛馬のハヤテによく似た子を迎え、これから共に過ごすことで、ハヤテを過去にすること…………。
ハヤテの死を受け入れたつもりだった。自分でも吹っ切れたと思っていた。でも馬を目にした時の痛みで思い知った。……私は本当の意味で受け入れられてはいなかったのだ。
でもそれも今日で終わり。
私は過去を、ハヤテの死をそろそろ受け入れなければならない。あの子の為にも、これ以上心配させてはいけないと思うから。
離れ難い穏やかで優しい過去との決別が間近に感じた私の体が無意識に強ばる。
クサビはそういう時に限って鋭くて、そんな私を励ましてくれる。私はつい強かってクサビを揶揄うような素振りをして、臆病な自分を誤魔化す。
そんな強がる私を見透かしたように、クサビの温かな手の温もりが優しく包み込み、強ばった私の心をも解してくれた。
本当に、敵わないな……。
私はそんなクサビに勇気を貰った。
きっと今度こそ伝える事が出来る。
サヨナラを告げる勇気を。
「おじさん、こんにちは。あの子を迎えに来ました」
「お、やあ! お二人さん! もう工面してきたんですか? さすが冒険者さんですなあ〜!」
馬牧場のおじさんに声を掛けると相変わらずの明るさのおじさんが笑顔を振りまく。
「それじゃあ厩舎の方に行きましょうか!」
厩舎にやってくると、ハヤテによく似たあの子は馬房でのんびり寛いでいた。
見れば見るほどハヤテにそっくりで、懐かしさすら覚えて微かに笑みが零れる。
「うん、健康状態も良好です! さて、この子で間違いないですか?」
「はい! お願いします!」
買う前の最終確認のあと、クサビは購入の意思を元気に告げた。いよいよお迎えね。
「サヤ、この子の傍に居たいでしょ? 僕が手続きしてくるよ」
手続きとかそういうのは私頼みだったのに、クサビったら大丈夫かしら?
そう思いながらクサビの気遣いに嬉しくなる。
「え〜、大丈夫なの? 私ついてなくて大丈夫?」
「だ、大丈夫さ! 任せてよ!」
また揶揄うようにして嬉しさをひた隠してしまった。
でもここはクサビの厚意に甘えようと思う。
「ありがとう。じゃあ任せるね!」
「うん。じゃあ行ってくるね」
クサビがおじさんと購入手続きの為に厩舎を出ていった。
私は馬房の前に立ってお迎えする馬を見る。
寛いでいたこの子と目が合うと、スッと立ち上がってゆっくりと私に近付いてきた。
そして目を細めて私のちょうど顔の下あたりまで頭を低く下げてきて、私は手を伸ばして頭を優しく撫でた。
人懐っこくて甘えん坊な子だ。毛並みも良く手触りが気持ちいい。
「これからは一緒よ。よろしくね」
そう告げると、まるで返事をするようにブルルと頭を震わせて、もっと撫でろと言わんばかりに頭を手に擦り付けてくる。
本当にハヤテにそっくりなのね……。
手から伝わる温もりが、ハヤテと過ごした日々を脳裏を駆け巡っては思い起こされる。
そしてその記憶のフラッシュバックは、死に別れたあの時の情景を映し出した。
――ゴブリンに付けられた毒ナイフに刺されたハヤテ。
毒に気づかず回復魔術で傷を塞いでボリージャへ向かう途中、限界を迎えたあの子は私の腕の中で徐々に冷たくなって逝ってしまった……。
その時の記憶が鮮明に蘇り、私は救えなかった無念に涙が流れた。
今の私なら救えただろう命。
だがたらればな話は無意味で詮無きことだ。
あの時のような思いを二度としたくない。
ハヤテが受けた苦しみを、この子には絶対にそんな思いはさせない。私が今度こそ守ってみせる。
ハヤテが駆けたかった場所を、代わりにこの子と共に
駆けていくわ……。この子を、ハヤテと同じくらい愛していく。
だから……。遅くなったけれど…………。
ハヤテとはここでお別れ……。
ハヤテの事は忘れない。思い出だけ連れていくわ。
今まで乗り越えられず心配掛けてしまったかしら……。
私はもう大丈夫だから、ゆっくり休んでね。
これからは空からこの子を見守っていてね……。お願いね…………。
どのくらいこうしていただろうか。
いつしか私は涙を流してこの子を抱きしめていた。
じっとしていてくれたこの子に離れて、もう一度優しく撫でる。
そう思いたかっただけかもしれないが、この子の目が『もう大丈夫なのか?』と言っている気がして、私は微笑みながら頷いた。
「お待たせ! 手続きしてきたよ」
「おかえりなさい、クサビ」
クサビが私の顔を見て何かに気付いたような反応をして、目を細めて穏やかな眼差しに変わる。
「もう、いいの?」
「……うん。お待たせ」
「……そっか」
クサビが優しく頷き、この子に近付いて優しく撫でている。この子も嬉しそうね。よかった。
「では、馬を出しますよ〜! お約束通り馬車も付けますからね! こちらへどうぞ!」
「わあ〜! 嬉しい! ありがとうございます!」
馬と一緒に牧場の外に移動し、馬車を付ける。
こんなしっかりした作りの馬車を貰えるなんて思ってもいなかったから驚いた。
後でウィニとラシードにも見てもらいたいわね!
「この子も主人の役に立てると喜んでいるようですな! 可愛がってあげてくださいね!」
「もちろん! この子はもう家族ですから!」
馬車を付けたこの子の尻尾が嬉しそうに揺れている。
これからも冒険が楽しみになってきたわね。
「そういえば、この子の名前はどうするの?」
「えっ、私が決めていいの?」
「もちろん。むしろサヤが付けるべきだよ」
澄んだ瞳でクサビが言う。
実を言うと、この子の名前は私が付けたかった。
既に名前は決めてあるの。
「そうね……。この子の名前は『アサヒ』」
私達、希望の黎明の旅も目的でもある、魔王を倒して世界に希望を取り戻し、平野の夜明けをあまねく照らす。
というものにあやかっての『アサヒ』である。
私達の旅の仲間としてぴったりだと思ったのだ。
「アサヒか……。うん。いいね!」
「これからよろしくね、アサヒ!」
自分の名前と理解したのか、アサヒは元気良く嘶いた。
旅の仲間が増えて、これからも旅は今までよりも快適になるわね!
その後、アサヒと馬車は出かける時以外は牧場で置いて貰うことになり、私とクサビは仲間に早く知らせたくて、弾む気持ちで宿へと戻るのだった。