弟子の一人であるウィニの故郷、カルコッタの集落の危機を奇しくも救出した後、我らは数日移動してスメラギ領に入り、アスカが統治するカムナの街へ戻ってきた。
そこからサリア神聖王国に向かう船の手配の為に二日を要し、現在は海の上を航行していた。
差し当たってこの先の孤島に、スメラギ領に属する港町『カガリビ』で乗り継いで西の大陸への上陸を目指す。
青空が広がる大海原を揚々と包む船の甲板で行く先を眺めていた。
空の青が海に映り込み、より青さが増す海を力強く突き進む様はまさに冒険心というものを掻き立てられるというものだ。
平和な世であれば心置き無く高揚したものだろうが、今世界は魔族の侵食に晒された未曾有の危機を迎えている。
いつこの海も闇に染まるやもしれないのだ。
高揚する前にまずこの危機を払拭しなければならない。
「なにやら黄昏てますわね? 珍しく感傷に浸ってるのかしら」
背後から友の声。
振り返った我は冗談がましく返す。
「……ああ。この美しい大海原に決意を新たに涙を飲んでいたのさ」
「またまた〜。貴女がそんなことになったら大嵐になりますわよ。ふふふ〜」
……いくらなんでもそれは失敬な物言いだぞ。まったく……。やはり慣れぬものはするものではないな。
「……他の者は何をしているんだい?」
「ナタクとラムザッドは船尾の方に居ましたわ。マルシェは……」
そう言うとアスカは眉を下げながら肩を竦めたあと伏し目がちに小さく溜息を吐いた。
……ああ。船に乗ると訪れる者にはやってくる、アレに苛まれているようだ。
「……ファーザニアからこちらへ渡航した時もそうだったが、マルシェの船酔いはなかなかに酷いようだね」
「そうなんですの。度々回復魔術をかけて和らげてますけれど、それでも青い顔して居たたまれませんわ……」
我々は移動で船は乗り慣れている為船酔いはないのだが、マルシェは今までファーザニアの地を離れた事のなかった。
冒険者として活動していたと言えど、その活動範囲は首都シュタイアの周辺に限られていた為、船に乗る機会に恵まれず、野営の経験なども乏しい。その為慣れない旅の環境に苦労していた。
冒険者として活動する姉の影響と、末の子という事もあり箱入り娘の如く親元に縛り付けられていたのが、彼女の外の世界の冒険への渇望を並々ならぬものとなっていたのだろう。
慣れない環境をマルシェは弱音も吐かずよく着いてきた。それは彼女の持つ天性の強い精神力がそれを支えてきだ。
よくぞその環境でこれほどの精神性を培ってきたものだ。そこは軍人の親の背中を見たという事か。
ちなみに旅に出ると告げたマルシェに親は猛反対したのは容易に想像がついたが、旅への強い意志を持って父親を打ち倒して納得させたと聞いた時は、この娘、なかなかどうして面白いと思ったものだよ。
「あんまり苦しそうでしたので、今は魔術で眠らせて来ましたの。あと数時間は起きませんから、ちょうどカガリビに着く頃に起きると思いますわ!」
「そうか。それならば心配はいらないな」
「ええ。貴女の初めての船旅の時と同じですわね? チギリ?」
アスカがニヤリとして悪戯っぽく我を揶揄い、遥か遠い記憶が呼び起こされる。そして我の鼓動が珍しく僅かに跳ねた。
「――そんな何百年も前のことを覚えていたか……。まったく…………」
「うふふふ〜」
やれやれと我は視線を外すと、穏やかに笑うアスカは隣に並んで共に船の向かう先を眺める。
緩やかに流れる潮風に靡いたクリーム色の長い髪が太陽の光で美しく煌めいた。
アスカは目線をそのままに言葉を紡ぐ。
「……サリアに着いたら、貴女のお弟子さん達に会えるかしら?」
その声色には、友との再会を心待ちにしているかのような、そんな明るい様子が含まれていた。
「…………。今所在を確認してみたが、聖都周辺にいるようだよ。きっと会えるだろう」
「楽しみですわ! 貴女が気に入った子達。どんな子達なのかしら〜っ」
我は弟子のクサビに渡した精霊具にして有能な防具である『絆結びの衣』に魔力を込めて目を閉じると、暗転した視界の中に世界の全容を想像する。するとある一点が輝き、そこは場所としてサリア神聖王国の首都、聖都マリスハイムの近くだった。
「あ、そうそう! チギリ、これを渡しておきますわ!」
「む。これは……言霊返しか」
アスカは思い出したように我の手を握り、何かを手渡してきた。我は自分の掌の中身を検めると、離れた場所の相手と連絡ができる精霊具『言霊返し』だった。
「それをお弟子さんに渡しておきなさいな。これからはもっと迅速な連携が必要になってくると思いますから」
「そうだな。分かった。……感謝する」
ボリージャで弟子達と別れて約2ヶ月か……。
この2ヶ月は我にとっても濃厚な時間だった。
今までボリージャという一所でしばらく惰眠を貪っていた日常に比べれば激動の期間と言ってもいい。
これからもその激動は続くが、ここで弟子達の様子をこの目で確認しておくのも良いだろう。
きっと更なる力を身につけている事だろう。
「……ふふ。チギリがそんな穏やかな笑みを見せるなんて……余程そのお弟子さん達は、貴女に良い影響を与えましたのね」
「ふっ。存外にもな。我自身驚いているよ。……だが悪くないものだね」
今度は恥じることもせずアスカの言葉を肯定する。
師とは、弟子に教えるだけではない。師もまた弟子に教わるのだと、今ならば理解できるからだ。
「東方部族連合とファーザニア共和国共同の魔族への反攻作戦の話は、そろそろ帝国と神聖王国に届く頃だと思いますわ。お弟子さん達の名も認知される事でしょう」
「それで弟子達の活動もしやすくなれば良いのだがな」
既に事は動き始めている。
魔族が世界を蹂躙する前に、人類が更なる結束をしなければならない。
だが、それでも弟子達との再会は許されてもいいだろう。これより待つ大願成就の前の糧としてな。
「…………待っているといい。我が弟子達よ」
再会の期待を胸に大海原を船は突き進んだ。
そして数時間が経ち、船は東方部族連合に属する孤島の港、スメラギ領の端である『カガリビ港』へ到着した。
ここから間髪入れずに次の船に乗る手筈だ。
今の船を降り、別の乗り場へ移動する。この街を観光する時間の余裕はないようで、アスカを先頭に足早に次の乗り場へ急いでいた。
「……平気か? またすぐに乗り継ぐことになるが」
「……ご心配には、及びません……っ。これくらい、耐え抜いてみせ…………ま――うぷ」
「あー、こいつァダメだな…………」
「某が背負って行こう。さあ、マルシェ殿」
「ナタク様……申し訳ありません…………」
船を降りゆっくり体を休める暇もなく足早に歩かされてまた青い顔でぐったりとしたマルシェがナタクにおぶさる。
気分が優れぬのも無理はない。アスカが組んだ予定が鬼畜だったと諦めるしかない。
「――な、なんですってぇ〜!?」
と、次の乗り場の方からアスカのあまり聞かない叫び声が木霊して、我らは何事かと目を向ける。
「ふ、船の故障ですぐには発てないですって〜!?」
「も、申し訳ありません、アスカ様……。復旧には早くても一週間はかかる予定でして…………」
「い、一週間!?」
おっと、問題発生というやつだ。
アスカがやり場のない感情をぐっと呑み込んだあと、平静を装う。
「…………仕方がありませんわね。復旧作業を急いでくださいまし」
「はっ!」
アスカがトボトボとこちらに合流してくる。
まるで疲れ果てたようにヨロヨロと歩いている。
「……聞いての通りですわ。船が直るまでは立ち往生になりそうですわね……」
「致し方ないな」
「ああ、出れねェならしゃぁねェ。とりあえずマルシェを休ませてやろうぜ」
「某も同感でござる」
皆一同に頷く。
「そうですわね。マルシェの為にも早くお宿に向かいますわ」
予期せぬところで思わぬ足止めを食らうことになった我らはカガリビの街でしばらく過ごすことになるのであった。