目を閉じて心を落ち着かせ、深い意識の海の中。
雑音を排除し、雑念を抹消する――。
そこにただ一つの声のみに耳を傾ける。
「心を鎮めよ。今一時、喜怒哀楽を忘れ、無となるのでござる。無我の境地に光を見出すべし」
「……はい」
――――私は皆とギルドの訓練所で稽古をつけてもらうべく、刀の技術を学ぶ為、同郷の長であるナタクさんを頼った。
ナタクさんは快く引き受けてくださり、さっそく訓練を開始したのだ。
まず手始めに一本……かと思いきや、始めは精神を統一する為座禅を組み、瞑想をするという。
これも精神面を鍛える立派な訓練。どれ一つでも手は抜けないわ――――。
「――心を鎮めよ。今一時、喜怒哀楽を忘れ、無となるのでござる。無我の境地に光を見出すべし」
「……はい」
瞑目した真っ暗な視界の中で、ナタクさんの静かで落ち着いた声が耳に届いた。
深い集中の渦中でナタクさんの声が遠く聞こえ、その声に身を委ねていくと、私の心の波が穏やかになっていった。
雑念を消し去る……。
不安や焦燥、あらゆる欲求。それら全ての感情を無にすること……。
私を脈打つ心拍を一定に保つように呼吸をして、心が凪ぐのを待ち続けた。
今の私は穏やかで何の不安もないのだと、そう自分に思い込ませた。
そうしているうちに自分の身体や意識を束縛していたものはなくなっていき、自由になる。
心が澄み渡り、無となる。
ナタクさんの言うとおりに心が澄んでいく――――。
真っ暗な空間の中で、ナタクさんの声がぼんやりと聞こえてくる。
「心の中、そなた自身の、ただ一つの声に耳を傾けるのでござる。その先にあるそなたの心を照らす光を目指して……」
私自身のただ一つの声…………。
何かが聞こえるような気がする。聞こえないような気もする。
でも確かに心の中に何かの気配を感じていた。
これは、そう。例えるならば『光』だ。
その光の在処を知りたくて、声のようなものの正体を探した。しかしその瞬間に私の心に焦りが、欲求が生じていた。
あとちょっと……。もう少しで何か聞こえそうなの……っ。
だがそんな私の思いとは裏腹に、聞こえかけていた声も心の中の光の気配も消え去ってしまった……。
深い意識の海の中にいた私は徐々に浮上してしまう。
雑音が耳に入ってくる。
自分の呼吸音、そして近くで訓練している仲間達の訓練の音が私の心を乱していく……。
「再び心を落ち着かせるでござる。そなたの真の姿は明鏡止水の心に写る……」
「…………っ」
落ち着いて、サヤ。落ち着くの。
心を鎮めて……何も意識しては駄目……っ。
雑音を排除し、雑念を抹消していくように抗う。
しかし、無を意識すればするほど雑念は募り、ついには集中が途切れてしまった……。
「……難しいです」
私は不甲斐ない自分を情けなく思いながら吐き捨てた。
だけど、ナタクさんはそんな私の頭を優しく撫でてくれた。
ナタクさんの掌から伝わる温かさが心地よかった。
「最初にしては上出来でござるよ。無我の境地へは一朝一夕では至れぬ。ただ腕っぷしを鍛えるだけでも、悟りを開いただけでも到達できぬ。……剣の道とはまっこと、険しい道でござるなぁ」
ナタクさんは私を励ますように穏やかに語る。
なんとなくだが、ナタクさんの言葉の意味がわかる気がして、私は強く頷いた。
「焦る気持ちは分かるでござるが、焦らずゆっくりと心の海を漂うでござる。さすればいつか心の中の光を見つけられよう」
「……はい。これからも精進します!」
ナタクさんは、うむ。と頷き立ち上がると、私と距離を取って向かい合った。それを見て私も立ち上がる。
「さて、サヤ殿。他の者も励んでおるようでござるよ。某らも仕合おうぞ」
「はいっ! よろしくお願いします!」
「そなたの刀を取るでござる」
「はい」
私は、かつて村での剣術の稽古の時のように一礼して、己の愛刀『蕚』をゆっくりと抜き、正眼に構えて相手をしっかりと見据えた。
「いざ……」
「行きます」
ナタクさんと対峙しながら刀を構える。
そして、ナタクさんが刀を下段に構えを変えるのが見え、私は瞬発的に素早く接近し上段から斬りかかる。
勝負は一瞬だった……。
確かに先に捉えたはずの私の刀を、ナタクさんは弾き飛ばしてしまい、私の喉元に刃先が止まる。……勝負がついてしまった。
――誘われた……ッ!
ナタクさんはわざと隙を作り、私はまんまとそれに引っかかったのだ。
まず相手に攻めやすい箇所に攻めさせ、即座に相手を制圧しにかかる後の先の技術。
「うむ、良い太刀筋でござる。だがまだまだ。もっと相手の心を探るでござる。さすれば、そなたは更なる高みへと至れようぞ」
「相手の心を……。剣の道とは心を知る道という事でしょうか……?」
ナタクさんは満足そうに頷いた。
「左様にござる! それが理解出来たならば今日の所は及第点と言えよう」
「あ、ありがとうございますっ」
褒められると素直に嬉しい。伸ばす方向性も見い出せた気がして、私の意気は俄然に高まった。
「では、もう一本参ろうか」
「……はい!」
私はもう一度ナタクさんと対峙しながら刀を構える。
今度はナタクさんが刀を横に構えながら私に斬りかかって来た!
最初の一歩目が見えなかった……! でもここで驚いてはいられない!
私はナタクさんの下から来る斜めへの斬り上げを、前進しながら搔い潜って躱し、ナタクさんの背後をとって刀を斬り上げようとした。
……が、刀が当たらずに空を斬る。
そこをナタクさんが素早く回転して刀を横薙ぎにしながら私の刀を弾く。
弾かれた刀は宙を舞い、私の目の前の地面に突き刺さった。
そしてその時には既に私の喉元には鋭い刃が当てられていた……。
「――――っ」
「剣の道とは心を知る道。心を知る手段もまた数多くあるのでござるよ。無我の境地に至ればその心の流れも自ずと見えてくるのでござる」
ただ剣を振っているだけでは駄目なのだ。
これからは剣の冴えと、心両方を鍛えていかなくてはならないのだ。
「ありがとうございました!」
「うむ。某にとっても有意義でござった」
それからしばらく手合わせが続いて、いつのまにかかなりの時間が経過しており、今日の訓練はここまでとなった。
私はナタクさんに尊敬の念と共に深く一礼する。
魔術の師匠がチギリ師匠ならば、剣の師匠はナタクさんだ。
勝手にそう思うのも烏滸がましいけれど、私は二人の師から多くを学んで、クサビの支えになって見せる!
「またよろしくお願いします! ナタク師匠!」
「ははっ! 師匠などと、なんともむず痒いでござるなぁ。……しかし、ここに居る間ならば、某の技を惜しみなく授けようぞ。……もとよりそなたはホオズキ流剣術でござるしな」
ナタクさんが目を細めてはにかむ。
意外と照れ屋な人なんだなと、つい私もくすりと笑みが零れる。
そして私達は他の仲間の様子を見に皆の元へと向かうのだった。