「――――っ……!?」
ナタクさんとの戦闘が始まり開始数秒で、気がついた時には私は地面に膝を着いていた。
ナタクさんが刀を抜いた刹那、まだ間合いの外だというのに私の身体中から出血して、一瞬にして血に塗れてしまった。
何が起きたのかわからず、身体中に走る斬撃の傷痕を見て、ようやく私は今の一瞬で全身を斬られたのだと理解する。
ナタクさんは平然と立っている。身体中の切り傷はどれも浅い。……今のはご挨拶程度のものだということか。
覚悟を決めて対峙したはずだった。
それなのにこんなにも呆気なくあしらわれ、天と地程もある力の差を見せつけられて、私の精神は乱された。
「その得物は飾りでござるか? 某はまだ刀を抜いただけでござるぞ。……仕合はこれからぞッ」
「――あぐっ!」
ナタクさんが刀を再び構えると、私の身体はナタクさんの剣圧によって宙に投げ出された。
宙に投げ出されながらもナタクさんから目を離すまいと必死に凝視する。
ナタクさんは刀を構えて地面を踏みしめると、ナタクさんが居た地面が砕けると同時にフッと姿が消える。
「……!?」
ナタクさんの姿が消えたかと思うと次の瞬間には、落下し地面に迫っていた私の着地点へと回り込んでいた。
――早すぎる……ッ!
刀を構えたナタクさんに斬り飛ばされる前に私は咄嗟に体を捻りながら刀を振り、迫る斬撃を受け止める。
激しい火花が飛び散り、金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴り響いた。
なんとか受け止めることに成功したが、ナタクさんの力に押し切られてしまい、そのまま吹き飛ばされてしまう。
「うああっ! ――くっ!?」
地面を滑りながら体勢を立て直し、刀を構え直すとナタクさんが既に目の前まで迫ってきていた。
咄嗟に刀で受けようと試みるが、先ほどとは威力の違う斬撃に弾き飛ばされる。
受け切れなかった斬撃が私の身体にめり込んで、私の身体と鮮血が宙を舞った。
宙に投げ出される中、空中で身体を捻りどうにか着地する。
「……はぁっ……はぁ……っ!」
私は膝を着き、自分に回復魔術を掛けながらナタクさんを見据える。
抜き身で殺気を露わにしながら構えもせずゆっくりと歩を進めてくる。
……私を見る冷たい目。それは昨日向けてくれた温かな眼差しとは掛け離れていた。目の前の相手をただ斬るべき相手としてしか認識していない。
きっと師匠達の中で、敵と相対した時最も冷酷になれるのは、きっとこの人なのだ。
ここで膝を着いていても事態は悪化するばかりだ。
何としても抗わなければ……!
でも、こんな相手に私のどんな剣技が通用するというのか分からないでいた。何をしても見切られてしまうのではないか。そんな不安が私を包む。
回復を施し、一先ず止血した私は立ち上がって刀を構えた。
ナタクさんは歩みを止め、刀を上段に構えた。
――その時。
「――――いやぁッ!? ――――……え……?」
ナタクさんの刀身が煌めいた時、突然私は自分の右腕が断ち斬られた光景が目に写りこんで思わず悲鳴を上げて無くなった右腕を見た。
……だが、私の右腕は斬り飛ばされてもおらず、傷も痛みもない。
……まさか、あまりの殺気に幻覚を見せられたというのだろうか……?
私の中の恐怖が見せたとでもいうのか…………っ。
予想だにしない事態に理解が追いつけないでいると、ナタクさんは冷徹な眼差しで、感情のない声色で言い放つ。
「サヤ殿、如何したでござるか? まるで腕でも飛んだような顔でござるな」
「……っ」
「言ったはずでござる。剣の道とは心を知る道であると。心を知らば、操る事もできよう。そなたは今恐怖という雑念に囚われておる」
「……その、ような事は……っ!」
「――未熟」
ナタクさんの刀が上段から振り下ろして空を斬ると、剣風が私に迫ってきた。それを咄嗟に刀で受け止めるも、あまりの威力に吹き飛ばされ、二転三転した私は再び地面の味を知る。
ザッザッと耳元に迫る足音。
満身創痍で体に力が入らず、ようやく顔を上げナタクさんを見上げた。
「そなたの心が手に取るように解るでござる。圧倒的な相手に手も足も出ず、無力な自分が憎かろう」
「くっ……」
図星を突かれ何も言い返せない。
「無様にも地に伏せ、相手に生殺与奪の権を握られておる」
「うぅ……っ!」
力を振り絞って体を起こし、地面に突き立てた刀を支えにしてなんとか立ち上がる。
もはや視界は霞み、震える手で私は闇雲にナタクさんに斬りつける。
太刀筋などと呼ぶのも烏滸がましい、弱々しく放たれたそれは緩やかに項を描き、ナタクさんはそれを手刀で弾き、それだけで私は体制を崩して再び転倒してしまう。
「勝てぬと知りながらも立ち向かうその気概は天晴。されど力の伴わぬ意思は、網の目に風は溜まらぬのと同じ事」
圧倒的劣勢で、実際私は恐怖の中にある。
しかし現実に打ちひしがれながらも、私はまだ諦めてはいなかった。
体中が根を上げ言う事を聞かない状態で、再び立ち上がって刀を構える。
いつも握っているはずの刀が酷く重く、切っ先はブレて焦点が定まらない。
……このまま一太刀も入れることが出来ずに終わりたくない。
私は弱い。それを心底思い知った。
……でもだからと諦めはしない!
「――――」
私は体中が上げる悲鳴も、散々に切り刻まれた痛みも忘れて目を瞑った。
朦朧とする意識の中で、私の戦う理由を確かめる――――
目的に向かってひたむきに苦難に立ち向かっていく、あの背中が見える。
同じところを行き、同じものを見た。あの曇りのない輝く瞳を浮かべた横顔が見える。
どんな時だって屈託のない顔を私に向ける、貴方の笑顔が見える……。
次第に呼吸が落ち着いてくる。いつの間にか手の震えは止まっていた。
私はさらに深い意識の海へ潜っていく。
私が戦う理由。それはたった一つの想い。
クサビ・ヒモロギを愛しているから。
彼が世界を救うと言うなら私は隣で支えよう。
ただそれだけなんだ。
クサビは私にとってこの世界に残った、たった一つの大切な存在。
これは依存故の愛なのかもしれない。わかってる。
でも。
難しい理由なんて必要ない。自分にとって揺るがない理由があれば、私の心は負けない。
クサビの笑顔を思い出すと、心が凪いでいく。
とても穏やかな心地に包まれ、その中に私が溶けていく――――
「――ここで至るか、無我の境地に……」
ゆっくりと目を開ける。
心の波は静かで、澄み渡っているような感覚は今まで感じたことの無いものだった。
不思議と力が漲るのを感じる。
私は理解する。これこそが無我の境地であると。
雑念は捨て、ただ目の前の倒すべき存在に刀を振るう為、刀を正眼に構えた。
ナタクは私の気配の変化を感じ取ったか、飛び退いて得物を構える。
「まさか昨日の今日でそこまで至るとは、まっこと天晴でござるな! とどめを刺さず待った甲斐有りと言うものぞ。……さあ、参られよ!」
私は漲る力を刀に込めて、地を蹴った。