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Ep.220 師を越える為に

 ――それはサヤが大地を強く蹴った瞬間。

 あるいはナタクが大きく踏み込んだ瞬間に。



 弾かれたように動きだした両者は音もなく白刃を振りました。


 サヤの上段からの斬撃が冴えわたり、ナタクはすり抜けるように下段から横一文字に斬り抜いて……。

 ……と思われた互いの刃は、両者の間で止まっていたのです。


 ナタクの刃はサヤの刀の鍔で受け止められ、サヤの刃の先は適格にナタクの首すれすれで止められておりました。

 上段での斬り下ろしかと思われたサヤの斬撃は、振り下ろすと見せかけて一度自分の方へと刀を引き、ナタクの刃を鍔で受けつつ切っ先を傾けで首筋へと向けたのです。

 初めから返し刃を狙っていたということなのでしょう。


 その決着を見たナタクは、自分の刀を地に落として微かに微笑んで『見事』とだけ添えておりました――――。





 ――それはラシードが腕を大きく振り上げた瞬間。

 あるいはラムザッドがラシードの異様な気迫を察知した瞬間に。



 膨大な破壊の力をウィニは全力を以て放ち、それを腕をクロスするように防御するラムザッド。

 そこに足をよろめかせながら、武器も持たずに近づいてきた只ならぬ気配のラシードが近づき、ラムザッドの近くで止まります。


「……ンだ……ァ!? テメェッ! 邪魔すンじゃ……ねェッ!」


 ウィニの魔術を受け止めるのに精一杯で身動きの取れないラムザッドはラシードに吠えています。しかしその怒気にもまったく意に返さないラシードは、おもむろに右手を固く握っていましたわ。


 ……わたくしは思わず息を呑んだのです。

 ある程度修練を積んだ魔術師ならば、魔力の流れを感じることができますが、今ラシードの右手には爆発的な魔力が凝縮されていたのです。この力、今のウィニが放つ魔術よりも大きいかもしれない程の……。


 ラシードの右手に宿る魔力が圧縮し続けて、膨らんでは凝縮を繰り返しています。彼の全魔力が右手に殺到しているかのようでした。


「ラシード流槍術……最終奥義ィ……ッ!」


 と、槍を持たないラシードは叫び、右腕を振りかぶりながら走りました!

 完全に殴りに行く体制ですわ……!


「へッ! 今のテメェのしょぼい拳なンざァ……! 何発受けても効きャしねえンだょ――ンボオォォッ!」

「全身ッ! 全霊ッ! ――完全ッ! 燃ッ! 焼ッ! けぇぇぇぇんッッ!!!」


 ラシードの全体重を乗せた右の拳がウィニの魔術を吹き飛ばし、そのままラムザッドの顔面に突き刺さりました!


 その瞬間にわたくし、まるで時間がゆっくりになったかと錯覚してしまいそうになりましたの!


 ウィニが全力で放ったフルミネカタストロフィを空の遥か彼方に吹っ飛ばし、ラムザッドの顔に、ゆ~っくりと、メコっと拳が入り込んでいったのですわ。


 そしてラムザッドは吹っ飛ばされ、地面を何回かバウンドしたあと、ようやく止まります。


 その姿を見届けた後、ラシードは精根尽き果ててその場に崩れ落ち、ウィニはへたり込みながらただただ驚いていたのですわ。


 ラシード流槍術奥義『全身全霊完全燃焼拳』……なんて恐ろしい威力……!

 ……全然槍使ってないですけれど。


 ――ハッ! そうだラムザッド! 無事かしら!


「……お、おめェ……ッ! いい拳持ってンじゃねーかッ! ……がはッ」

 そう言い残して気絶したようですわ。

 ……ひとまず皆生きているようですから、このまま放っておきましょう。あとは…………。





 ――それはクサビが赤い軌跡を描いた瞬間。

 あるいはチギリがクサビの軽やかな接近に目を奪われた瞬間に。



 マルシェが倒れ、クサビが召喚した水精霊も魔力が尽きてあるべき場所へと還っていきました。


 クサビが駆け出した時から、彼が纏う魔力の質が変わった事を、きっとチギリも気付いているはず。

 その証拠に、チギリのクサビに向ける眼差しには一切の余裕も油断も見受けられませんでした。


 チギリは大技で打ち倒すよりも、接近に警戒して手数で圧倒する戦法を選び、あらゆる属性の魔術をクサビに放つのでした。


 夥しい量の魔術の弾幕を展開していくチギリ。

 左右からクサビを追尾する火球を放ちながら、拡散するように飛来する土の棘に加え、突然地中から吹き出る水柱で行く手を阻んでいました。

 そしてさらには風魔術で強風を発生させ、チギリの魔術には追い風に、クサビには向かい風となる絡め手も交えていました。


 一人に対して大げさな程の物量にも関わらず、不思議なことにクサビは巧みな足捌きで軽やかでゆらりと緩急のついた無駄のない回避を見せ、時には剣で斬り払い突き進んで行きます。


 大量の弾幕に掠ることもなくその瞳にはチギリだけを映していました。

 しかしその眼差しには執念のような感情は感じられない、相手をただ倒すべき存在としてのみ認識している。そんな思いにさせるような目だったのです。


 赤い軌跡を引き連れてクサビはチギリの魔術を掻い潜りました!

 チギリの眉間に深い皺が刻まれ、あまり見せたことのない危機的な表情がそこにありました。



「……君は……っ。……これが君は歩んで来た道の成果か……!」

「…………」


 感嘆にも似た言葉を漏らしながら応戦するチギリに、クサビの赤き剣が美しい曲線の風切りを描いていました。


 クサビの流れるような攻撃は、今までの速度を活かした彼の戦い方とはまるで違っていました。まるで何者かに憑依されているのでは、という勘繰りをしてしまう程に様変わりしていたのです。


 チギリの左側からゆらりと接近したクサビは上段を狙って水平に横凪ぎし、それを躱されるや否や、いつの間に持ち替えたか逆手に握った剣で逆方向に横一閃。そのまま慣性のままに一回転しながら斬り放つのでした!


 チギリはクサビの連撃を後退しつつ回避し、三段目の回転斬りを岩で精製した剣で受けました! かなりの強度のはずのその剣を、クサビの赤き残光を走らせた剣はいとも容易く砕き、チギリの目に驚きの色が浮かんでいました。


 その時、ゆらりとした足運びで攻め立てていたクサビは、強く踏み込んで鋭い上段斬りを繰り出したのです! そしてそれを杖に張った魔術障壁で辛くも防ぐチギリ。


 全力で張ったチギリの分厚い魔術障壁をクサビの剣がぶつかり合い、激しい火花が起こっていました。チギリは苦悶の表情を浮かべながらも、微かに笑みを見せていました。


「……ぐッ! 弟子の……成長とはかくも早いものだな……口惜しいやら嬉しいやら……っ!」

「――師匠。僕は貴女に勝ちます。勝って貴女がたと肩を並べて戦います……っ」


 チギリの幾重にも重ねられた魔術障壁が一つ、また一つと破られていきます……。


「くっ! ……今の君の力を維持できたならばあるいは……! ……認めよう……! 君は十分我らと並ぶ力があると!」


 そして魔術障壁が全て断ち切られると、チギリは弾かれて体制を崩してしまい、それを立て直す事はできませんでした。

 何故なら、その時には既にチギリの喉元にはクサビの剣が突き付けてあったのですから――――。





 ……思うままに預けていた意識がはっきりとしてくる。

 眼前では仰け反ったまま僕を見つめるチギリ師匠と、その喉元には僕の剣の切っ先があった。

 既に熱剣の輝きは失われて、いつもの刀身に戻っていた。


 僕は剣を引き、腰の鞘に収める。

 戦いは終わったのだ。肉体的にも、精神的にも苦しい戦いが。


 周囲もずいぶん静かな様子で、どうやら最後まで戦いを繰り広げていたのは僕達だったのだと察した。



「……本当に、強くなったな。クサビ」

 戦いの時に向けられた眼差しと打って変わって温もりの籠った声で、師匠は告げた。


 僕は師匠に勝ったのだ。

 もちろん僕だけの力での勝利ではない。マルシェは必死に時間を稼いでくれなければ、熱剣を発動することは出来なかったし、シズクのお陰でマルシェの負担も幾許か軽減できた。


 口ではああ言いながら、どこかで手心を加えていた師匠には気付いていた。

 でもそれは戦いに手を抜いたという意味ではなく、最初から僕らを殺すつもりなんてなかったという意味でのことだ。


 ……それでもあの殺気は思い出してもゾクっとしてしまうよ……。


「ありがとうございます、師匠。……これで僕達は、師匠と一緒に戦えますか?」


「無論だとも。むしろ、ヨルムンガンドとの戦いにおいて、君達の力を是非とも貸してもらいたいくらいさ」


 師匠はそう言って珍しくにこりと笑った。

 胸の中に熱いものがこみ上げてくる……。


 あれ、なんだか前が見えないな……。

 何かが目からとめどなく溢れ出て、それは地面を濡らしていった。

 そんな僕に穏やかな師匠の声。その声は少し震えていたような気がした。


「……ふふ。不思議なものだ。此度ばかりは我も柄にもないことをしてしまいそうだ」


 そう言うや否や、僕は急に引き寄せられる感覚を覚えた。

 そして僕の頭が温もりに包まれる。

 師匠の手が僕の頭をぽんぽんと優しく打った……。


「……師匠。は、恥ずかしいです……」

「はは。奇遇だな。……だが、今はこうさせておくれ」

「…………はい」


 師匠の温もりと心音を間近に感じ、僕の顔は熱くなっていたが、師匠たっての願いとばかりに、しばらくはされるが儘となっていたのだった……。

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