あれから訓練に明け暮れて、時が経つのは早いもので一週間が経過していた。
その日を境に僕の一日は決まった行動をするようになった。
早朝は日課の自主練で汗を流す。内容は素振りと、街に滞在している時は走り込みもしている。これは今まで欠かしたことのない、もはや僕の生活の一部だ。
自主練を終えると身支度を整えて宿の朝食を頂く。
その後はだいたい皆と一緒に冒険者ギルドに向かい、その後は休憩を挟みつつ日が暮れるまで修行に没頭する。
そして疲れた体でへとへとになりながら宿に帰るのだ。
修行では、基本的には立ち合いがメインだけど、相手を変えて行ったりする。相手がラムザッドさんの時はもういつも命がけだ。
でもそういう緊張感をなくしてはならないと思うから、なんとか死なないように頑張るだけだ……。
ナタクさんとの稽古は基本から始まる。
なんだか懐かしさを感じて、村で剣術指南してもらっていた頃を思い出した。
それから精神統一だ。雑念を捨て去り己を無とするのだと。
サヤに課せられた課題はこの雑念を捨てた先なのかと思うと、なかなか一筋縄ではいかないことに挑んでいることに驚かされた。
毎日みっちりしごかれて全身が筋肉痛で痛む。
よたよたと帰る僕を、いつも受付けの女性陣に心配される始末だ。
いつもクールなエピネルさんが一際心配そうな顔で見送ってくれる。なんだかいつも胸が痛い。ちなみにイルマさんはいつも顔を引きつらせて笑いを堪えているのも知っている。
この前なんて、ラシードがアリンさんから頭を撫でられていたが、その日からカウンターの前を通りかかったときだけしんどそうにしていた。
鼻の下を伸ばして頭を差し出すラシード。僕は絶対あんな大人にはならないと決めたよ。
そしてすっかり日も暮れた、ギルドからの帰り道。
今日は僕達希望の黎明とマルシェの5人で疲れた足を懸命に前へと進めていた。
約一名はラシードにしがみついていたりもしたけど、いつもの事だ。
「はぁ……。今日も疲れたわ……。早く帰ってお風呂に入りたいーっ」
「いいですね、私もまずは湯浴みですね……」
サヤとマルシェがへとへとになりながら頷き合っている。ここ数日で共に苦労を分かち合ったマルシェは、もうすっかり僕達の輪に馴染んでいた。
そんなマルシェが空を見上げながらしみじみと語り始めた。
僕達の歩幅は自然とゆっくりになった。
「……チギリ様方に出会ってその崇高な目的に共感して、祖国ファーザニアを飛び出し旅をして……。気が付けば今は神聖王国で訓練に明け暮れています」
マルシェはここまでの道のりを振り返るように独白する。
僕達はそれに黙って耳を傾けていた。
「魔族の侵攻に晒されている祖国を後目に、無理を通して私はチギリ様達に着いてきました。チギリ様方が進まれる道は世界の安寧に繋がる希望と見出した。それは嘘ではありません。……でも、本心はただ冒険がしたかっただけなのかもしれません」
空を見上げていた横顔が下を向く。その口元は僅かに歪んでいた。
「勝手な人間です。戦火が広がる祖国を蔑ろにして、自分の憧れを追ったのですから。きっとそんな生半可な覚悟が、今こうして浮き彫りになったのでしょうね」
「…………」
その場にいた僕達は居たたまれない思いに包まれる。誰もがマルシェに掛ける言葉を探しているようだった。
……今のマルシェは、かつての僕だ。
ずっと憧れて、焦がれた願いがあって、それが実現できる機会に恵まれて決断したんだろう。
そうして始まった冒険の日々は何もかもが新鮮で、感動の連続で、しかし振り返れば故郷は常に危機に晒されている。
故郷の人達の苦しみがわかるからこそ、冒険の日々に感動する自分が許せないのだ。
――故郷は苦しんでいるのに自分は楽しんでいていいのか、本当なら故郷に踏みとどまって共に戦うべきではないのか、と常に苛まれているのだ。
僕もそうだった。この旅は村の皆や両親の仇を取るための旅だと、最初はそう思うことで自身を奮い立たせてきたから。
それでも思わず心が動かされることがあって、それを許せずに葛藤して苦しんだ。
故郷や両親を奪った魔王。その打倒が僕の使命だ。
その為に旅に出てこれまでいろんな人に出会い、いろんな場所を見た。
その中で心躍るような体験もした。心の底から笑った事もあった。
僕は冒険を楽しんでいた。
でも僕はそれが間違っているとは、今は思わない。
僕はたくさんの人に支えられてその答えに行き着くことができたんだ。
憎悪で突き進む旅は暗く重い。そんな状態のまま旅を続ければいつか人の心を無くしてしまうのではないか。
そんな心のない者が、人々の希望になれるのか。
僕はそうありたくなかった。
人々の希望になるために、僕が人の心を捨ててはいけないと思った。
だから僕は人としてこの旅を歩むと決めた。
自分の感じる感情を否定はしないと決めたんだ。
僕はそれを傍で支えてくれる人がいたからそう思えた。
きっと一人きりだったら気付けないものだったから。
なら、僕がマルシェに掛ける言葉は一つだけだ。
「――って、つい最近までは思ってたんです」
僕が声を掛けようとしていた時、マルシェが顔を上げて声色に明るさを含めると、僕達の間に立ち込めた重い雰囲気を和らげた。
「皆さんと一緒に研鑽を積み、苦難を共にした事で少しづつ考えが変わってきたんです。そして思い出したんです。冒険者になる為に旅立ちを決めた、私の敬愛する姉の言葉を」
「――マルシェ、笑いなさい! あなたが幸せじゃないと誰も幸せにしてあげれないじゃない。あなたの幸せをたくさんの人に分けてあげるの! 私はそれを世界中でやってくるわ! ――と」
マルシェの口元から笑みが零れると、晴れやかな眼差しを向けて言葉を紡いだ。
「ふふっ……子供じみた動機ですよね。……でも実際に姉の活躍は故郷の私の耳にも届いたんです。魔物から人を救ったとか、集落の復興に手を貸したとか。姉は自分の言葉を体現してみせたんです」
「立派なお姉さんなんだね」
「はいっ。私の憧れであり自慢の姉です! ……姉は私に自分の気持ちに素直であることを教えてくれました」
……そうか。人の優しさで支えられた僕のように、マルシェは既に姉という存在に支えられていたんだ。
それなら、さっき伝えようとした言葉はそぐわないな。もうマルシェは自分の中で抱いていた葛藤と決着をつけている。
何故なら、迷いのない晴れやかな表情をしているから。
「私は故郷を飛び出したことにもう後悔はしません。後ろめたくなる暇があるなら一人でも多くの人に希望を与えていけるよう努力するだけです」
「おう! そうだな! 俺らは世界まるごと救ってやろうぜ!」
「はいっ!」
マルシェから一番の笑顔が咲き誇り、僕達は互いに笑顔で笑いあった。
僕達は時には迷いもするし、悔んだりすることもあるだろう。
それでも心に決めた決意だけは迷わず突き進んでいきたい。
僕もいつか決心した、勇者のようにありたいという目標があるんだ。
――人に優しく、綺麗なものに心動かされて、楽しい事には心から笑えて、そして困っている人には手を差し伸べられる。悪を許さず、怒りや恨みに囚われない。そんな心の人間に――
「さてと! それじゃ早く宿に戻りましょ! 温かいお風呂が待ってるわ!」
「それにあったかいごはん!」
「それなら今日くらいは酒でも飲むか! マルシェ、一緒にどうだ?」
「ラシードさん、明日も訓練ですよ? だめです」
気のせいかもしれないけど、マルシェの本音を聞けて絆が深まったようで嬉しくて、修行の疲れも忘れて賑やかに話しながら5人は帰路に着くのだった。