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Ep.230 もう一度貴方に逢いたい

 まるで時が止まっているかのように、宙で聖なる光の檻に捕らわれている大蛇の魔物にして厄災、ヨルムンガンド。

 そのすぐ近くまで進んだアスカさんが両手で杖を握り、大蛇に向けた。

 覚悟の眼差しで眠る厄災を睨みながら、チギリ師匠はアスカさんの肩に手を添えている。


「……皆々様、準備はよろしくて?」


 アスカさんが厄災をしっかりと見据えながら私達の覚悟を問う。

 見守っていた22名と、クサビが召喚した精霊シズクは、各々の決意を胸に武器を構えた。


 ……この先に待つ、勇者アズマと聖女サリアが遺した解放の神剣の力。それはこの世界における希望。



「――解放しますわ」


 アスカさんが杖に魔力を注ぎ込み、一筋の光を封印の檻に向けて放った。

 その光が封印の檻を包み込んでいく。


「――なんて強力な封印術……! さすが精霊暦の英雄ですわ……っ」

「――まったくだ……! こちらは二人掛かりだぞ……ッ」


 解除の光が封印の檻に音を立てて干渉していく中、アスカさんの眉間が歪む。その後ろに立つ師匠は、アスカさんの肩に乗せた手に魔力を送り続けていた。



 まるでガラスが擦れるような音が響き渡り、光と光が干渉を強めていく。

 そして封印の檻に少しずつヒビが入り始めた……!


 ――――ピシッ……ピシピシッ――――

 チギリ師匠が叫ぶ――。


「――――皆ッ! 構えろッ!」


 ――封印が、解ける――――!


 その瞬間光の檻が砕け、それは粒子となってこの地下の空間に弾けた……。



 ――その時、厄災を前に刀を構えた私に不思議な事が起きた。


「――えっ……?」


 周囲が突然色味を無くし、灰色の光景に包まれた。

 傍で剣を構える灰色のクサビも誰もかもがピタリと動きを止めている。

 それはまるで時が止まってしまったかのように……いいえ、止まっていた。


 そしてさらにおかしなことに、私は私を見下ろしていた。

 気付けば私は中空から俯瞰するように浮いていて、足元には刀と構えたままの灰色の私が見える。


 私は静寂に包まれた不可思議な空間で一人、この異常な現象を前に呆気に取られていた。



 灰色の空間に、封印が砕けて散らばった光の粒子だけがキラキラと鮮やかに輝いている。

 そしてその粒子は一つに集まり始め、私の目の前で眩く光輝いた。


 その光は温かく、優しい温もりと共に私を照らし、ふわふわとゆっくりに近づいてきて、私は両手で器を形どった。

 その手の器に光が収まる。……温かい。


 ――その光に触れた私の中に『誰か』の想いが流れ込んでくる。



 そしてその想いを知った私の頬から、一筋の涙が流れ落ちた。


 ……この温かな光はサリア・コリンドルの想い。その残滓だ。

 命と引き換えに封印を行使し、その魂は体ごと魔力の光へと消え、現在に至るまで封印の光の檻に溶け込んでいたのだ。


 ……彼女の気持ちが私に流れ込んできて、私は彼女の想いを知った。


 ……そうだったのね。貴女はアズマ・ヒモロギを生涯愛し続けていたのね。

 でもその想いが実ることはなかった……。


 ただ一歩を踏み出せないままパーティは解散となり、故郷に戻ると魔王から世界を救った英雄として持て囃され、その後も人々の為に尽くす日々を送る。

 ……そして気が付けば時は経ち、勇者に子が生まれたと知った時から、その愛を抱き続けながらも隠し通した。


 その後もサリアはその深い愛情の行場を見い出せないまま密かに勇者を想い続け、伴侶を持つことなく生涯独り身を貫いた。

 叶わない想いは募るばかりで、せめて勇者の力になりたいと願った貴女は、勇者の考えに賛同して、頼みを引き受け故郷で勇者にまつわる情報を纏め、来たる災厄の世代の為に隠匿した……。


 そして最期はヨルムンガンドからその情報を守り、散っていった。

 ……散りゆく最期の瞬間『もう一度貴方に逢いたい』と願いながら……。



 ……彼女は勇者の為に生きた。

 彼女が愛した勇者は、彼女の気持ちに気付いていたかは分からない。でも彼女の想いが決して裏切られなかった事だけは、私が覚えていようと思う。


 私にも彼女の恋焦がれた想いがよくわかる。


 想いを伝えられないのは辛かったでしょう。忙しさにかまけて会いに行けず、気付いた時には何もかもが手遅れだった時、何度自分を責めたのでしょう……。

 パーティ解散の時、想いを伝えなかった事をきっと後悔したのでしょう……。


 それでも慈愛に満ちたサリアは、彼女が愛する勇者アズマが愛するものを愛し続けた。


 私は彼女の心に触れて強く思う。

 サリア・コリンドルは英雄でも聖女でもなく、ただ一途に愛する人を想う一人の女性だったのだと。



 サリアの想いに触れた瞬間、手のひらにあった光は私の中に吸い込まれるように入っていき、その瞬間、内に確かに灯る光を感じた。

 その光は私の心と共鳴し混ざり合う。


 サリアは私を選んだ。言葉で説明することは難しいが、それは直感めいた確信だった。

 何故サリアの想いの残滓が私を選んだのか、それは想像することしかできないけれど……。


 ――サリアの想いが私の奥底の『魂』の中に溶けていく…………――――。







「――――皆ッ! 構えろッ!」

「――ッ!?」


 チギリ師匠が叫び、僕はより一層に警戒を強めた。

 その瞬間光の檻が砕け、光が弾け飛んだ!


「――来るよ! 皆油断しないで!」

「おうッ!」

「ん!」

「はいッ!」

「…………」


 封印の力が消え、今まさにヨルムンガンドが復活しようとしている!

 仲間達に声を掛けたが、サヤだけが放心したように見上げていた。


「――サヤっ? ……サヤッ!!」

「――!? ……だ、大丈夫……! やれるわ!」


 サヤの調子が戻ってきたようだ。よかった。



「――――――――ッッ!!」


 その時、形容し難い狂声が地下の空間全体に木霊して乱暴に反響した。

 この体に伝わる威圧感は、今までに受けたことのない衝撃となって僕達を吞み込んだ。


 来たるべき時が来たと、その威圧に怯むことなく声の元凶を見据えた!



 封印の檻が消え去り重力に従って落下した大蛇は、あらかじめ仕掛けてあった針山へとその凄まじい重量の巨体を叩きつける。

 あまりにも硬い体表は針山では貫けず、無念にも砕け散った。


 落下時に発生した地響きと揺れによって崩れた体制を立て直す。



「――――――――ッッ」

 深緑に染まった巨体がゆっくりと動き出し、上へと伸びる蛇の頭は遥かに高い。そして、その大蛇は真っ赤な目を見開いて、猛烈な咆哮を上げた……!



 ――厄災ヨルムンガンドの復活である。



 なんて巨大でおぞましい姿だ……! だがここで気圧されてはいけないんだ!


「――戦闘開始だ! 皆、死ぬなよッ」


 チギリ師匠の檄に、僕達は弾かれたように動き出す。


 厄災は復活した。もう引き返すことはできない。

 僕達が倒れればマリスハイムは灰燼と化し、大勢の命が失われるだろう。

 負けるわけにはいかない。今日ここで厄災を終わらせる!


 僕は自分を奮い立たせて強く地を蹴った!

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