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Ep.232 厄災戦

 ヨルムンガンドに再び駆け寄る中、この場に居る勇士達の攻撃が絶え間なく続いていた。

 魔術師達から放たれた魔術が色とりどりの光の帯のようにヨルムンガンドの至るところに殺到している。

 近くでは近接戦を担当する者が、それぞれの武器を振るい、適切な距離を取りながら戦っていた。



 ――だが剣の間合いに入ろうとしたその時、ヨルムンガンドの目が怪しく赤く光り、そのしなやかな巨体を大きく動かした!


 次の瞬間には巨体が高速で横向きに回転を始め、人の手のような形の尾を大きく振り抜いた!

 凄まじい風切り音と共にヨルムンガンドの尾が地面を抉り、周囲に激しい砂埃を巻き上げ、大地を削る音が周囲を駆けた!


 ……全方位への薙ぎ払いだ!

 僕は即座に勢いを殺して後方に飛び退く。

 手のような尾はその瞬間僕の体一つ分にまで迫り、激しい風圧で砂埃をぶつけてきた! 僕はそれを片手で顔を守りながら耐え抜いた。


 ――皆はッ!?



 僕はハッとして顔を上げて仲間の姿を探した。

 ヨルムンガンドの尾を回避しきれずに巻き込まれた仲間達は、なんとか防御が間に合ったものの、かなり吹っ飛ばされてしまっていた。

 ラシードがヨルムンガンドの遥か先の壁際で、ハルバードを地面に突き刺して、それでなんとか立っている状態だった。


 別の方角では、マルシェがサヤを庇うように前に立ち、苦悶の表情で敵を睨みつけ、その後ろでサヤがマルシェを回復を始めていた。


 ナタクさんとラムザッドさんは回避に成功していたようで、どちらも距離を多めにとって警戒し、ルイントスさんはどう耐え抜いたのか、傷一つない。


 全員の無事を確認できた。しかし今ので皆バラバラの位置に散開した形になってしまった。


「――クサビ! そこから離れてッ!!」

「――ッ」


 突如、僕に向けられるサヤの警告を同時に僕の頭上から影が差し暗がりが増した。

 背筋にヒヤリとした感覚が走り、生存本能のままに横へ飛んだ!


「うわあああっ!」


 その直後すぐ後ろで何かが落ちるような激しい衝突音に、発生した衝撃と風圧で飛ばされて地面を二転三転と視界が回った。


 急いで体を起こして衝撃の正体を見る。

 先ほどまで僕が居た所に、大蛇の尾が人の平手のように広げた形で地面に叩きつけられていた! 間一髪で難を逃れた僕は、ヨルムンガンドのあまりの威力に目を見開いて戦慄する。


 ……あんなものまともに喰らったら即死だ……ッ! サヤの警告がなければ今頃死んでいたかもしれない……!


「クッ……! ヤツを好き放題させてはマズイ! ここが保たなくなるぞッ!」


 ヨルムンガンドが動く度に周囲は揺れ、激しい衝撃と風圧が暴れ狂っていた。この地下空間がいつまで耐えられるかわからない。最悪ここが崩落する可能性すらあるのだ。

 チギリ師匠はそれを憂慮したのだ。ここが崩れることはなんとしても避けなければならない。なんとか動きを止めることが出来れば……!


 アスカさんが仕掛けてくれていた罠の魔術は効果が薄く、既に全て起動していた。奴の弱点を見つけ出せれば……!



 ヨルムンガンドの鎌首がもだけて怒りを露わにしていた。

 そして、厄災の隻眼が怪しく赤く光る……。


 するとヨルムンガンドが突如、身を捩りながらその長い首を上空に振り上げたかと思うと、そこから無数の黒い光球が勢いよく放たれたのだ!

 それは無差別に、闇雲とも見えるように破壊を撒き散らしていた。


 その黒い光は方々に飛び散る! 地面や壁に当たると、ジュウジュウと音を立てて融解し始めた!

 ヨルムンガンドが発動した酸の球を打ち出す魔術だ。

 これをまともに受けては装備諸共溶かされてしまいそうだ。


「クソ! やべェぞ! お前らコレに絶対当たるなァ!!」

 ラムザッドさんの叫びに焦りの感情が垣間見える。


 その様子に皆は一気に警戒を強めた。

 しかし黒い光はまるで意志を持つかのように僕達を追尾してきた! マズイ! これは避けようがない!


「――皆様! 防御障壁を展開しますわ! こちらにッ!」


 アスカさんが号令をかけて大きな防御障壁をドーム状に展開すると、全員がその中に駆け込んだ。


「…………くっ!」

 それを追って来た黒い光が迫り、幾つもの酸球が容赦なく防御障壁に飛び込んで、障壁を維持しているアスカさんの表情が歪む。


「……私も……力を貸すわ……っ」


 障壁の中に避難してきたシズクがアスカに両手を向けて、己の魔力をアスカに分け与えた。

 すると、防御障壁にもう一層張り直されて強化された!


「……助かりましたわ!」

「……ええ…………っ」


 しかし今度はシズクが苦悶の表情を浮かべていた。

 見ると、シズクの足下が透け始めている。シズクも懸命に皆を守ろうと支援をして、魔力をかなり消費してしまっていた。

 ……自分の存在をここに留めておく事が難しくなってきていたのだ。それはシズクの魔力が尽きかけている事を意味していた。


 ――だがヨルムンガンドはさらに動き出す。

 黒い光が雨のように降り注ぐ中、蛇の体を鞭のようにしならせ、天井に届く程に高く尾の手形を握り拳に形取って、強く握り込んで力を溜めている……!


 ……黒い光から逃れる為に一所に集まった僕達を、この障壁ごと叩き潰す気だ! あの拳は耐えられない。それは誰が見ても明らかで、全員がヨルムンガンドの尾を見上げて愕然としていた。



「――ッ! ……皆様ッ! ここから離れてくださいまし!」


 アスカさんが決意を込めて言い放った。

 ヨルムンガンドを見据えるその目には無念さと、死への覚悟が見えた気がした。


「アスカさんもッ!」

「……わたくしはおそらく間に合いませんわ。いいからお早く……!」

「そんな……駄目です……ッ! そんな……っ!」


 ……マルシェが悲痛な声を上げて大きく首を振って拒否している。他の仲間達も難色を示すも、成す術のなさに臍を噛んでいた。


 ……この局面でヨルムンガンドは、守りの要であるアスカさんを狙っている。今アスカさんが防御障壁を解けば、殺到する黒い光にたちまち飲み込まれるだろう。……だがこのままじっとしていれば奴の尾に叩き潰される。


 今のうちに僕達はここから退避すれば、尾の攻撃を躱すことができる。

 でも、アスカさんは――――。


 ……僕達を生かす為に誰かが犠牲になる。

 もうそんな事を誰かにさせるのは嫌なんだッ!


 アスカさんは自分を犠牲に仲間を逃がそうとしている。

 そんなこと、ここにいる誰だって認めたくないはずだ!


 ――だが、この局面を打開する方法が思いつかない……。

 僕は焦りで頭が真っ白になって、何も考えられなくなっていた。



「……クサビ。お聞きなさい」

「…………」


 絶望が漂う防御障壁のドームの中で、アスカさんは僕に穏やかに語り掛けた。僕はその声に対して、ただ顔を向ける事しかできなかった。


「……そんな顔をしないでくださいまし。わたくしは皆を護って逝けるのですから、本望ですわ……。――クサビ、お聞きなさい。この先貴方の行く先には幾度となくこうした場面に遭遇するでしょう。……それでも決して絶望してはなりません」


 アスカさんは穏やかな笑みを向けて、言葉の一つ一つを噛み締めるように紡いだ。僕は感情がぐちゃぐちゃになりながら懸命に頷く。


「なぜなら貴方は希望なのですから。貴方が絶望してしまってどうするのです。……どんな時でも希望はあるのです。わたくしが貴方に希望を託していけるように」

「アスカさん――――ッ!」


 ヨルムンガンドの拳に魔力が溜まり、そのあまりの力に周囲が震え始めた。それは破壊の力が振り下ろされる兆候だった。


 もう幾許かの猶予も残されていない。

 僕達は決断しなければならなかった。

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