「…………やった……の?」
その音に皆は恐る恐る、そして信じられない気持ちでゆっくりと視線を上げた。
「……だはー……。だはー……っ」
ラシードはその場で膝から崩れ落ち、激しい疲労を訴えている。
勇士達は皆疲労困憊で、召喚したシズクは既に魔力切れで還ってしまっていた。
皆の視線、その先に広がっていたのは、白き閃光を喰らって地に伏したヨルムンガンドの巨躯の姿……。
「……やり……ましたの……?」
アスカさんは防御障壁を解除させ、恐る恐るといった様子で厄災の巨体を注意深く見据えていた。
「――――いや、まだだ」
チギリ師匠はそう口にしながら杖を構えていて、油断なく様子を伺っていた。
その言葉に僕達もすぐに気を取り直して、戦闘態勢を取った。
すると倒れたはずのヨルムンガンドから魔力の気配が感じられ、ゆっくりとその巨体が動き出す!
「……まだ…………っ!」
――そう叫んだ僕達だったが、今度はヨルムンガンドの巨体が大きく震え出した……!
――――ギィィィィィーッ!
「ぐああっ!」
さっきまでの震えがくるような深く暗い声ではなく、金切り声のような絶叫を上げるヨルムンガンド。
僕は突然痛みが走った耳を咄嗟に塞いだ。
ゆっくりと頭だけを起こした厄災は、白き閃光によって手形の尾は損壊、そして大半の頭部が消滅しており、絶え間なく奴の血が吹き出していた。
それでも生きているヨルムンガンドは、残っている禍々しい目が僕達を覗いた……!
――そして、僕達はヨルムンガンドの今の姿にゾッとした……!
蛇の姿をしたその巨体。その身体中からおぞましい目が全身にギョロリと浮き出てきたのだ……! 頭部の隻眼よりも小さな目のようだったが、その焦点は合っていない。
「なんて……恐ろしく醜悪な……っ!」
マルシェが満身創痍で剣と盾を構えながら嫌悪を向ける。
そしてその全身の目が怪しく黒い光を帯び始める。
「――! あの目! あぶないっ!」
ウィニが魔力を感知して危険を訴えたのと同時に、厄災の暴威が再び荒ぶり始めた!
全身の無数の目から黒い酸弾が連射され、一瞬にして辺りは危険地帯と化した……!
弾幕が乱れ飛ぶ中で僕達は慌てて回避行動に走ったが、その弾幕を掻い潜りながらヨルムンガンドに近寄るのは至難の業だった。
しかも弾幕が収まることなく、次から次へと吐き出され続けている!
「……クソッ! チマチマやってる暇はねェぞォ!」
ラムザッドさんが舌打ちをして苛つきながら叫ぶ。
しかし、その弾幕の密度は凄まじく、迂闊に飛び込んでいけばその度に命を落とすだろう。
僕達は残り少ない魔力で、重い体に鞭打って回避に専念していた。このまま避けていても勝機はなく、このままではいずれ力尽きてしまう。
僕は避けながら必死に思考を回転させた。
「クサビ! 奴のあの自棄な様子、おそらく満身創痍と推察する。ヤツの息は絶え絶えのようだ。とどめを刺すなら今しかない」
チギリ師匠が酸弾を躱しながら僕に近付き、自身の分析を語った。
「ですが、この弾幕じゃ……!」
「いいかクサビ。君にはあの暴威を掻い潜る手段があるだろう。この局面を制するならば、それ以外他にない」
「……っ! そ、そうか! ……でも魔力が、もう……!」
僕は師匠の言葉の意図するところを理解する。深い集中状態で体感が低速になっている間に、あの激しい弾幕を掻い潜り討ち取れということだろう。
でもあれは魔力消費が激しく、魔力の残り少ない今何秒状態を維持していられるか、そこに賭けるしかない状況だった。
「……ああ。だがやるしかないのだ。――君が、やるんだ」
師匠の眼差しが僕の胸を貫く。
それはまるで、お前に命を預ける。という思いが込められたような眼差しだった。
師匠と目が合った瞬間、僕はとても重たいものを託されたのだ。
それは仲間の命。そしてこの街の人達の命。
きっとこれからも、様々な人達の願いを託されて進んでいくのだろう。
……なんて重たいのだろう。なんというプレッシャーだろう。
それでも、僕はこの道を選んだ。
……だからその重き荷を全て背負っていく。
……こんなところで躓いている場合じゃないんだッ!
僕は自分自身を奮い立たせる。
師匠が僕に託したその判断を信じる。
「……わかりました!」
「よし! ――聞けっ! クサビを厄災の元へ送り込む! 皆死力を尽くして援護せよ!」
チギリ師匠の大声は全員の耳に届き、視線が僕に集中した。
僕は決意を込めて戦意を昂らせた!
「――承知!」
「考えがあるンだな!? いいぜ行きやがれッ」
ナタクさんとラムザッドさんが僕の盾になるかのように、僕の両脇に移動した。他の仲間達も動き始める。
「いいかクサビ! これより我らは全力で君を守る! ヤツに近付くまでは切り札は使うな!」
「――はいッ」
師匠の言葉で、過去の記憶がフラッシュバックする。
故郷の村が魔物の襲撃の最中、最後まで僕を守ってくれたヒビキさんの言葉が。
あの時は無力で何もできなかった……!
――でも、今は違うッ! 託されたものを背負うだけの意思と力がある!
「――――行きますッ!」
僕は力の限りヨルムンガンドへと駆けた!
それに並走するようにナタクさんとラムザッドさんも駆ける。二人ともすでに満身創痍だというのに、僕に近付く酸弾を、自分が傷つくのを顧みず迎撃していた……!
その意思を無駄にはできない! 僕は守ってくれる仲間を信じ、まっすぐに厄災へとひた走った!
後方では、まだ立っている近衛騎士達が味方を守りながら、魔術で酸弾を迎撃していた。アスカさんも固法少ない魔力で回復と防御障壁の支援を向けてくれる。
――その時、酸弾の数発が僕に向かって飛来してくる!
それをナタクさんが前へ出て刀で素早く斬り払う。その時ナタクさんの足に酸弾が当たってしまう。
「ぐっ! ――某はここまで……! 止まらず行けぃ!」
「くっ……! ――はい……ッ」
膝を付きながら身を護るナタクさんを置いて、僕はひたすらに走った!
ヨルムンガンドまでの距離が長く感じる……!
その間に、右側で僕を守ってくれていたラムザッドさんも酸弾を浴びてしまう。
「――ぐぬわっ! クソ!! クサビ行けェーー!」
「――――ッ」
ラムザッドさんの必死の叫びを背に受けながら、こみ上げてくる涙を抑えて前を見据える。
前からは容赦なく。ヨルムンガンドの酸弾が飛び交う!
「――クサビ!」
「クサビ君ッ!」
その時、回避行動しながらこちらにラシードとルイントスさんが接近し、並走してきた。ラシードは走りながらハルバードを前に回転させながら酸弾を弾き、ルイントスさんも剣に魔力を込めて発生した光を、盾のように広げて防いでいた。
「ぜってぇ……クサビはァ……! ――やらせねぇ……ッ!」
既に体中が酸の火傷跡で痛ましい姿のラシードが吠え、僕の少し先を走って自らを壁とした。
「クサビ君ッ! 君を必ず送り届けてみせる! 前だけを見て突き進むんだ!」
ルイントスさんの声が僕の魂を震わせる。皆が必死になって僕を先へと導き、そして傷付いていく……!
胸が張り裂けそうになりながらも、僕は自分の為すべきことを理解していた。だから決して振り返らない。立ち止まらない!
「うおおお――ぐわッ!」
「……くっ!」
ヨルムンガンドとの距離が近づくにつれ弾幕は一層激しくなり、ラシードとルイントスさんの足がついに止まってしまった。
僕はしっかり前を見据えて走り続けた!
目の前からは絶え間なく迫りくる酸弾が横風にあおられた雨のように降り注ぐ! それを後方からチギリ師匠やアスカさんが撃ち落としてくれる。
それでも迫る酸弾! 僕はそれを回避しようと足に残りわずかな魔力を込めようとした。
「――ふんっ」
その時僕に迫った酸弾を弾いたのは、側面から風魔術で飛んできたウィニだった。ウィニは片手で防御障壁を展開させながら、前方に杖に向けている。
そこにはいつもの自信溢れる表情はなく、恐れの目を見せながらも勇気を振り絞って立ち向かっていた。
「くさびん、あの目はにせもの。本物は頭の赤くてでっかいやつ!」
「ウィニ、ヤツの弱点が分かるのか! ……わかった!」
コクリと頷いたウィニの目には何かが見えているのかわからないが、こういう時のウィニの言葉を疑う余地はなかった。
……狙うべきはあの隻眼!
「……わたしの魔力ももうない。せめてあのきもい目を潰す……!」
ウィニは風魔術を止めて自身の足で酸弾への回避行動を取りながら魔術を行使しようとしていた。
ぶつぶつと独り言のようなものを呟いていた。
「――いくよ、わたし。撃ったら防御してほしい」
そう呟くと、ウィニは同時に2つの魔術を放った!
一つはヨルムンガンドの頭上から落雷を降らせる『ライトニングスコール』で、酸弾を発射してくる目を焼き、もう一方では僕の進行方向を大量の石礫を飛来させ、僕を狙う酸弾を迎撃していた。
魔術を放ったウィニは、体の力が抜けるようにその場に倒れ、最後の魔力を使って防御障壁で自分を包んでいた。
……ありがとう、ウィニ。あとは任せてくれ!
僅かに弾幕の勢いが緩くなったその先を、僕はさらに前へと突き進んだ!