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Ep.236 厄災去りて

「――…………! ……サビ! …………クサビっ!」


 意識が朦朧とする中、ぼんやりと遠くから声が聞こえてきた。

 真っ暗な視界の中でその声は、僕の意識の覚醒と同時に近くに感じられるようになり、僕は瞑っていた目を開けた。


「……! ……クサビ、良かった……」

「あれ……。サヤ……」


 目を開けると、目の前には見慣れた顔が僕を見下ろしていた。

 いつも僕の傍にいてくれる、幼馴染のサヤだ。彼女は僕を見るなり心底安心したように笑みを零した。


 どうやら僕は気を失っていたらしい。

 ヨルムンガンドの目に剣を突き刺して、それで振り落とされて――――


「――そうだ! ヨルムンガンドは……痛っ!」


 命懸けの死闘を思い出した僕は、その相手の顛末を確認する為上体を起こした。しかし、その直後に後頭部に鋭い痛みが走り、反射的に頭を抑えて屈んでしまった。


「急に動いたら駄目よっ! 頭を打って気を失ってたんだから! ……ヨルムンガンドは……倒したわ……! クサビがとどめを刺したのよ」

「……そっか……。倒せたんだね…………。……皆は? 無事?」


 僕は辺りを見渡しながらサヤに訊ねた。騒然とはしていない様子だったが、誰が命を落としてもおかしくない程の激戦だった。……思いたくはないが、誰かが……。


「皆も無事。……この戦いで亡くなった人はいないわ。私達は、厄災に打ち勝ったのよ」


 サヤは僕を安心させるように穏やかに告げる。

 その言葉に僕は笑みが零れるのだった。


「……あ、サヤも、大丈夫?」

「心配するのが遅いわよっ。この通りなんとか生きてるわ! 今は魔力が足りなくて動けないけどね……」


 憤慨してみせたり、笑ってみせたりと忙しい。僕と同じで傷だらけだが、いつものサヤのようで安心した。

 皆傷を負いながらも僕をヨルムンガンドの元まで送ってくれた。それがなければ今この場に生きている者は誰も居なかったかもしれない。


「はぁ……。疲れたわ……」


 そう言ったサヤが、僕の後ろで背を向けて体を預け、互いの背を合わせる。

 背中から伝わるサヤの温もりで、生きている実感をより一層に噛み締める。


「しばらく、こうしててもいいかしら……」

「……うん」


 二人、背を合わせながら座り、戦闘で消耗して怠い体を預け合う。

 その間特に互いに話す事はしなかったが、その沈黙が心地よかった。





 厄災を討ち取り、束の間の静寂が訪れる。

 我は久方ぶりの魔力枯渇の症状に苛まれ、地面に体を投げ出していたのだ。

 そこに一人分の足音が、耳の傍で止まった。


「……やあ。友よ」

「ごきげんよう、チギリ。お互い、ご無事でなによりですわねっ」


 我はなんとか体を起こしアスカを見上げると、アスカも地面に女性特有の座り方で腰を下ろした。


「まったく。貴女は大馬鹿者を通り越して阿呆ですわ! ド阿呆ですのよっ!」


 おっと突然の憤慨。やれやれ。


「なんだ、我が心配で来てくれたかと思えば、悪態を付くために来たのかな? 披露した身体に堪えるな」


 我は飄々と宣い、友の反応を楽しむ。


 案の定、アスカは頬を膨らませてぷりぷりと怒っている。

 これでもアスカはここにいる誰よりも年長なのだがな……。


「減らず口をつけるくらいには平気そうですわね!」



「……ねえ、チギリ。今回、貴女は何年犠牲にしたの?」

 アスカは急にしおらしくなり、普段の口調も忘れて我に問うた。馴染みの者にしか見せない、彼女の本質がそこにはあった。


「なんだ、そんなことか。精々50年くらいさ。これで、君の年齢に少しは追いつけたのではないか? ふふっ」

「まったくの別問題よ! そんなに寿命を……。いい、チギリ、約束して。もうこれ以上禁術は使わないと」


 アスカは我の手を握り懇願していた。その友の真剣な様子に我は茶化すのを止め、真摯に向き合いつつも、我も冗談を一切排除して応える。


「……アスカ。我は再度このような死闘となった時、迷わず同じ事を実行するだろう。そうしなければ、失われるものがあるのなら……」

「…………。本当に、貴女は頑固ですわ。ならばわたくしは、そんな貴女が死闘に行かなくても良いように、しっかり見張っておきませんとね!」


 アスカも我が素直に承諾するとは思っていなかったのだろう。大きく嘆息した彼女は、気持ちを切り替えたように振る舞った。

 我が生においての最もな僥倖は、アスカに出会えたことかもしれんな。


 ……人生とは、なかなかどうして……面白いものだ。


 そう思い至り、我は無意識に笑みを漏らした。






 ヨルムンガンドを撃破してから皆はしばらく動けず、ようやく歩けるようになるまで数時間費やした。


 事切れた厄災は黒い塵となって消え、この地下の空間には激しい戦闘の傷跡が所々にまざまざと刻まれていた。



 気力を取り戻した僕達は集合することになり、改めて全員の無事と、厄災との勝利を喜んだのだ。

 皆ボロボロになり傷だらけだったが、それでも僕達は生きている。それがなにより嬉しかった。


「皆の力を束ねた結果、厄災ヨルムンガンドは討滅した。誰一人欠けることなく成し遂げられた事、万感の至りだ」


 立ち上がってそう言葉を紡いだチギリ師匠に皆の視線が集まる。皆疲労困憊な様子だったが、その瞳には晴れやかな気分が宿っていた。誰もが古に伝わる魔物を討った達成感を噛み締めていたのだ。


「この国を守る騎士として、私からも礼を言わせてください。……ありがとうございました。聖女サリアもきっと喜んでおりましょう」


 ルイントスさんが立ち上がると、それに続いて近衛騎士の皆さんが起立して整列する。そして爽やかな笑顔で礼を告げた騎士団長と共に、凛々しく敬礼していた。

 その敬意を座ったまま受けるのは忍びなくて、思わず僕達も立ち上がる。

 近衛騎士の方々の支援は本当に助けになった。僕は精一杯の感謝を乗せてお辞儀をした。


「――それでは我々は王への報告に、お先に戻ります。また後程!」

「ありがとうございました!」


 ルイントスさんと近衛騎士達が戻っていく。見送る彼らの背中は、意気揚々と凱旋するかのように力強かった。




 そして残った僕達は本来の目的に目を向ける。

 僕達はヨルムンガンドが阻む向こうに用がある。

 地下の開けた空間の先に細い道が続いていた。この先に聖女サリアが守った秘匿書庫があるはずだ。


「それでは行こうか。世界を救う鍵を手に入れる為に」

「……はい!」


 一体どのような内容が記されているのか。僕は緊張しながら細道へと足を運ぶのだった。

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