地下から戻ってきた僕達はサリアが遺した手記を持って玉座の間に向かった。
先にルイントスさんが戻っているので、ヨルムンガンドの討伐成功の報は既に王様の耳に届いているはずだ。
地下からの階段を上がり、宝物庫に辿り着くと、ソーグさんが今か今かと落ち着きのない様子で待っていた。僕達の姿を見るや否や、駆け寄ってきて深々とお辞儀をした。
「おお……皆さん! 此度のヨルムンガンド討伐、ルイントスより受けております! 誠に、誠にありがとうございました……! さあ、王も今かと首を長くしてお待ちしております。玉座の間へ共に参りましょう!」
ソーグさんを先頭に王様の元へ向かう途中、城内を巡回している兵士達がボロボロの僕達を見て何事かと驚いた顔を向ける。
この城に地下にヨルムンガンドという化け物がいたという事実は一部の者しか知らないことだから無理もない。
そしてその後すぐに僕達は玉座の間に到着して、王様の前に跪いた。
「厄災ヨルムンガンドの討滅せし英雄達よ! よくぞやってくれた……! 皆楽にせよ」
王様の喜びに満ちた様子が声から伝わってきた。
お言葉に甘えて僕達は立ち上がる。
「激しい戦闘の余波はこちらにも届いておった。何度となく城が揺れてな。……我が王家昔年より巣食う厄災を、余の代で払拭することができようとは……!」
王様の拳が震えている。それは感極まった感情を必死に堪えているようにも見えた。
聖女サリアを信奉する、サリア神聖王国。かつて信仰の対象を殺めた元凶が世代を越えてもなお地下に巣食い続けていたのだ。憎くなかったはずがない。
しかしその悲願はようやく果たされたのだ。王様にとっても万感の思いだろう。
王様が闇を抱える心を少しは救えただろうか。だといいなと思いながら僕は見つめていた。
王様への報告は済み、その後王様はささやかな祝宴を開いてくれた。
ヨルムンガンド討伐の祝いと、僕達への労いの為だ。
その宴に参加したのは事情を知る者達で、王様はもちろん、僕達やチギリ師匠達、ルイントスさんや戦闘に参加した近衛騎士達、それからソーグさん。そしてギルドからはマスターのレドさんが来ていた。
煌びやかな会場で、長いテーブルに豪華な料理がズラリと並ぶ様子には圧巻だった。部屋中どこを見ても料理が置かれていて、甘味のものもあるようだ。
この状況に大喜びなのは言わずもがな、ウチの食費浪費担当にして頼れる魔術師ウィニエッダだ。ウィニは目を爛々と輝かせて涎を振りまきながらキョロキョロと見まわしていた。お行儀が悪いが彼女のそれは治らない。
「わぁ……わぁ……わぁ……!」
見渡す限りの料理に完全に語彙を失っていた。そんなウィニの真っ白なしっぽの振りが尋常ではない。
でもこんな光景を見たら僕の胃袋も主張して始めていたので少しは気持ちが分かるかな……。こんな機会滅多にないし、ウィニには存分に楽しんで貰いたい。ということで放置だ。
王様を交えた宴は和やかに進み、皆が勝利の美酒に酔っていた。
といっても僕やサヤはお酒を飲んでないけれど。
飲酒が解禁される年齢は国によって違うらしいし、故郷である東方部族連合ではさらに部族によりかなり違う。僕やサヤが所属するホオズキ部族は18歳からだから一応守っていた。
でもここサリア神聖王国は15歳から飲酒解禁らしい。
……この場合って、どっちに従えばいいんだろう?
そんなことを考えながら料理に舌鼓を打っていると、サヤが料理を取り分けた皿を差し出して隣に座った。
「クサビ、まだ食べられるでしょ? 一緒に食べましょ」
「ありがとう。って、たくさん盛ってきたね……」
サヤが持ってきた皿にはこんもりと何種類かの料理が盛りつけられていた。
お肉や野菜とバランスよく盛られていて、その中のローストビーフからいい匂いが立ち込める。
さっそく口に運んでいると、サヤは頬杖をついて目を細めて僕を見ていた。
「……? 何か付いてる?」
「ん〜ん。クサビ、前より食べるようになったなぁって思って」
そう言ってサヤは、ふふっと笑みを向ける。
まじまじと見られると食べづらい。それに別の意味でもなんだか落ち着かない。
「そ、そうかな……そうかも。鍛えるようになってからかなあ」
「そうね。以前のへにゃへにゃなクサビとは別人みたいっ」
「へにゃへにゃってなんだよー」
「うふふふっ」
サヤが久しぶりに悪戯っぽい表情で僕を揶揄って楽しそうに笑う。僕は不服そうにしながらも、ふと、この以前と変わらないやりとりに心地良いものを感じていた。
……変わっていくものがあれば変わらないものもあって、きっとそういうのが大切なものになっていくのだろう。そう思うとこのひとときが堪らなく愛おしくなった。
その後も楽しい時間が過ぎていく。
そんな宴の席がひと段落した時だった。それまでチギリ師匠やアスカさん達と気さくに会話していた王様が立ち上がり、手を叩いて皆に注目を求めた。
それに気付いた僕達は、隣人と話すのを止めて王様に視線を向けた。
「この場に居る皆に、伝えておきたい事がある。宴の席に水を差して済まないが、そのまま聞いてほしい」
王様は皆の視線が集まったことを確認すると、和やかだった表情を改めて、普段のような凛々しい面持ちへと変わり、言葉を紡ぎ始めた。
「王家がこれまで秘匿してきた厄災の存在。そしてそれをここに集う英雄達の働きによって討滅したこと。聖女サリアと勇者に託されたもの。……余はこれを民に公表しようと思うておる」
王様の話を聞く皆の表情が引き締まる。
王家がひた隠しにしてきた事実を国中の皆に知らしめようというのだ。
ヨルムンガンドの脅威はすでに去った。これまで恐ろしい存在が潜んでいたとはいえもうその脅威に怯える必要がないとなれば、隠していたことへの反発もあろうが、それは聖女サリアと勇者のいわば遺言であった為、そして聖女サリアの仇を討ったとして国民はむしろ好意的に受け止めることが出来るだろう。
「城下の民の営みをここから見下ろし、余は常々感じていた。民を騙し続ける王家に、国と民を統べる資格などあるのか、と」
王様は遠い瞳を浮かべながら噛み締めるように語る。
この国に住む人にとって王家の秘密を知ろうと知るまいと、その重要性を知るのは僕達だけで、国民の生活にさして影響はないだろう。それを知っていても尚、王様は国民に真正面から向き合えない苦しみをずっと耐えてきたのだ。
国民に隠してきた全てを公表する。それは王家、ひいては国王にとっての禊であるのかもしれない。
「もはや隠すものは何もない。これでようやく余は、愛する民達を心置きなく安んじることができるのだ」
王様の表情が僅かに緩む。王様にとっての重き荷を降ろす時を定めたのだろう。
「――クサビ・ヒモロギよ」
「――――は、はいっ!」
不意に王様の声が掛かって鼓動が跳ねる。僕は慌てて王様の近くで膝を折った。
「良い良い。めでたい席だ。楽にせよ。――クサビよ。其方に問いたい事がる」
「……なんでしょうか」
周りの視線を一身に感じる。一体何を聞かれるのかと緊張が高まって内心落ち着かない。
「余は其方を、解放の神剣を携えし今世の勇者として世界に公表したいのだ」
「――えっ!?」
周囲の驚きがどよめきとなって伝わってくる。僕自身も予想だにしない王様の一言に思わず声を上げてしまった。
「もちろん其方が良しとするならば、だ。勇者の台頭はこの混迷の世において希望となるだろう。余は魔王討滅の旅を続ける其方らへの支援は惜しまぬぞ」
……僕が勇者……?
僕の頭の中で様々な思いが交差していた。
確かに僕は勇者アズマ・ヒモロギの血を引いている。
だが、血筋だけで僕は勇者を名乗ってもいいのかと自分に問えば、そうではないと心は叫んでいる。
古の厄災は倒した。それは大きな功績かもしれない。
でもそれは決して僕だけの力じゃない。
そんな僕が勇者を名乗れるほどの力を身に着けているのだろうか……。
……勇者とは。
僕は、かつて目指すと決めたその姿を名乗るに足る覚悟を、己に示さなければならないのではないかと感じていた。