「――……一晩だけ、考えるお時間を頂けないでしょうか」
「うむ。重要な事だ、一晩と言わず存分に考えよ。納得の答えを見い出せたなら、余に伝えてくれれば良い」
「……ありがとうございます。わかりました」
……それからどんな時間を過ごしたのかあまり覚えていなかった。
いつの間にか宴は終わり、気が付けば僕は宿へと帰っていた。
サヤから聞いた話だが、王様の国民への公表は、クサビの答えを待ってからにするという。だが急かしはしないのでゆっくり考えて欲しいとのことだ。
なんて懐の広いお方だろうか……。その気遣いに感謝したい。
すっかり夜も更け、眠れない僕は外へと出た。
どこかで心を落ち着かせたくて、悶々としながら大きな広場へと辿り着いていた。
夜風と街を流れる水の音が聞こえて、少しだけ頭が冴えてきた。
僕は水瓶を持った女性の石像の噴水に設けられたベンチに座って、物思いに耽る……。
――僕が勇者を名乗る……。
それはこの混沌たる世界において大きな意味を持つ。
確かに僕は勇者のようにと、そうあろうと使命を掲げて進んで来た。
しかし実際自分が勇者だと、誰かに名乗るのは烏滸がましいとも感じていた。
魔王を封じる程の強さを持った勇者。……僕はその域に達していない。
もし僕が勇者を名乗り魔族を戦った時、力の伴わない勇者の姿を見た人々はどう思うだろう、と……。
とても希望を見い出せはしないのではないか、と……。
僕はここまで、自分の力で何かを成せた事があっただろうか。
必ず誰かの助けを借り、時には幸運に恵まれてやっとここまで来れたのではないか。その度に自分の力不足を痛感し、高みを目指して来たが、結局いつもギリギリだ。
こんな余裕のない勇者が居ていいはずがない。
僕はそう思ってきたんだ。
それにもし僕が勇者だと、解放の神剣で魔王から世界を救ってみせると宣言したとする。つまりそれは必ず魔王の耳に入るという事だ。
今まで魔王の遣いに見つからないようにと、その存在を何処かで恐れながらの旅だった。魔王が僕の存在を知れば、すぐにでも僕の目の前に現れるのではないか……。
師匠達に修行を付けてもらって少しは強くなった今なら、嫌と言う程分かる。
……今の僕では魔王の足元にも及ばない。
勇者パーティは確か5人掛かりで魔王を封印した。
その勇者の仲間であるサリア・コリンドルはたった一人でヨルムンガンドに立ち向かい、手傷を負わせた上で封印した。一人でだ。
その傷を負ったヨルムンガンド相手に僕達は24人という人数、しかも死者が出てもおかしくない状況で辛くも勝利を収めたのだ。
圧倒的な力量差がそこにはある。
こんな僕が勇者だなんて、と自分が認められないでいたのだ。
「……やっぱり、僕が勇者を名乗るなんて…………」
「……それを目指してきたんでしょ?」
聞きなれた声のする方を振り向くとサヤと目が合った。控えめな笑みで軽く手を振っていた。
そして僕の隣に腰掛ける。
「サヤ、こんな所でどうしたの?」
「たまたま外に出ていくクサビを見かけたのよ。浮かない顔だったから気になって、ね」
そうか、と返す僕は考えの纏まらないまま悶々としていた。
その様子をサヤは隣でただ見守る。
「ねえクサビ。…………怖い?」
サヤの質問の意図、きっとそれは『勇者になるのが怖いか?』という事なんだと思う。
「…………怖い、のかな。よくわからないんだ」
「私だったら怖い。だって、きっとたくさんの人の期待を背負う事になる。魔族に苦しむ世界中の大勢の人が縋って来るから」
……そう。僕はまだ、世界中の人の期待を背負える程強くないんだ。
「……そう、だね」
「それに魔王が直接目の前に現れるかもしれないわ」
「……うん。今の僕達が束になったって敵わないさ」
サヤは僕に同調してくれている。
勇者を名乗る事で危険が増えるのなら、無理に名乗らなくてもいいと言ってくれているような気がした。
「……でもね」
サヤはそう呟き、深く呼吸すると僕に向き合う。サヤの強い意思を宿した表情には、故郷に居た時いつも僕を叱ってくれる時の懐かしい眼差しが垣間見えた。
「それでもアンタは勇者になるべきだと思うわ」
「……えっ」
さっきまでと打って変わって真逆な事を言い放ったサヤ。その眼差しは決して冗談を言っているようなものではなかった。
いきなり突き放されたような気になって、僅かな孤独感が僕を襲う。
「いや、だって僕は……勇者になれるほど強くもないじゃないか……」
「あのね、クサビ。私達の事忘れないでくれる?」
サヤの視線が僕の目を通して鼓動を刺激する。
「アンタ、体は強くなったクセに、何腑抜けてんのよ。私達はクサビのお荷物なわけ?」
「そっ、そんなわけないじゃないか!」
僕は無気になって否定する。そんなこと思ったこともない。
「僕はサヤも皆もすごく頼りにしてる……! いつも助けられてばかりで情けなくなるくらいに」
「……勇者も、きっとそうだったんだと思うわ」
「え……?」
予想外な返答だった。
僕の中の理想の勇者は、圧倒的で、強くて優しくて、困っている人の元へ颯爽と駆けつける。一人でなんでもこなしてしまう。そんな姿だったからだ。
……そんな昔から憧れた、子供じみた理想を抱いていたんだ。
そうあるべきと思ってきた。
「サリアの想いが私に流れてきたって、話したわよね。……あの時、少しだけどサリアを通して勇者がどういう人だったのかも見えたの」
「……どんな、人だったの?」
サヤはまるで懐かしむような顔で空を仰ぐ。
「サリアはずっと勇者アズマの事ばかり見てたわ。アズマもアンタと同じように優しくて、でも何処か抜けててほっとけなくて……」
「…………」
「ちゃんと人だったの。どこにでもいる、お人よしで人よりも少し正義感が強い、ね。……ほら、アンタとおんなじよ」
「でも…………」
……僕には力がない。
そう言いかけようとすると、サヤは穏やかな笑顔を向けて、真っすぐ僕を見つめてきて、僕は何故か言葉を失った。
「アズマも最初は私達と同じだったのよ。サリアの記憶で見る勇者の背中には挫折もたくさんあったわ。それでも諦めなかった」
「……そう、なんだね」
サヤは頷く。
「その挫折を支えたのはサリア達仲間の存在だった。きっと彼らも今の私達と何も変わらない。困難を助け合って乗り越えてきたのよ。それにサリア達だって最初は普通の冒険者だったのよ。仲間と苦難を乗り越えて、そして勇者になった」
真っすぐに見つけてくるサヤの瞳にさらに強い意思が宿る。
それは僕自身の中に、沸々と沸き上がる何かを呼び起こし始めていた。
胸が次第に熱くなっていく。
「……私から見たらクサビはもう、勇者だよ」
「…………!」
サヤの瞳に嘘偽りの気配はなかった。
本気でそう信じてくれていた。
僕には勇者という称号は過ぎた名だと思っていた。
力不足を理由に無意識に逃げていた。
覚悟を持って挑んで来たが、期待を背負う覚悟がまだ足りなかったんだ。
「ぼ、僕は…………」
「…………」
――名乗るべきなのか。
国が認めた勇者となれば、もうその名を投げ出すことはできない。
そして魔王による襲撃も激しくなるかもしれない。
今まで以上に仲間達が危険な目に遭うんだ……。
……いや。違う!
僕の仲間達は強い。一緒にどんな強敵だって乗り換えてきた、強くて頼れる仲間だ! 僕がそれを信じなくてどうするんだっ!
仲間がどうとかじゃない。僕がただ踏ん切りつかないでいるだけなんだ。
………………!
僕の胸の中に力強く激しい炎が灯る。
それは勇気だ。
僕の心に渦巻いていた葛藤が消えていく――――。
「……僕は、勇者を継ぐよ、サヤ。でも僕だけじゃ駄目なんだ。……これからも一緒にいてくれ」
「……! ……やっと決心がついたわね。最初からアンタに着いてくって決めてるわ。むしろ、置いて行ったら殴りにいくわよ!」
「それは……怖いなぁ……ははは」
決意を伝えた後、互いに照れ臭くなって茶化し合う。
そして胸に灯った熱い想いの余韻に浸るように、夜風を浴びながら水の流れる音を静かに聞いていた……。