翌日のこと。
僕達のパーティ、希望の黎明はすっかり話題になっていた。
勇者パーティなんて呼ばれたりと、街の道行く人達からの声援がすごいのだ。
あまりちやほやされるのは慣れないなぁと思いながらも、街の人の好意的な声は嬉しくもあって、これからの旅も頑張ろうと思えた。
そんな僕達の次なる目的地は、世界の中心部に位置する名もなき孤島、通称『中央孤島』だ。
サリアの書によると、その島には遺跡があって、そこには時を操る力を持つと言われる『時の祖精霊』が居るという。
しかし、勇者アズマの時代から500年以上も経過した今、その遺跡が現存しているのかどうかがまず怪しい。あったとしても、人の手が加えられていないその島では魔物が蔓延っているかもしれず、おそらく簡単には見つからないだろう。
しかし調査にも時間はあまり掛けてはいられない。
僕達も早く旅立つ必要があると話し合い、マリスハイムを発つ日取りを3日後にした。
それまではお世話になったいろんな人への挨拶と旅支度だ。
ルドワイズ王の支援によって、旅の資金の心配は当面はいらないうえに、物資も用意してもらった。こんなにまで支えてくれる王様には、本当に感謝してもし足りないくらいだ。必ず成果を残そうと僕は誓った。
チギリ師匠達の旅立ちは明日だ。今日は皆思い思いに過ごしているようだ。
またしばらく会えなくなってしまうのはやはり寂しいけれど、今までと違い、今度はいつでも声を聞ける。困ったら相談にも乗ってくれるかもしれない。
そう思うと、少しは寂しさも和らいだ。
最近はずっとがむしゃらに訓練ばかりしていたけど、今日はのんびりと過ごしている。次にいつこうしてのんびりできるか分からないと皆で決めたのだ。
僕はこの街並みを目に焼き付けておこうと宿から外へ出てみると、ふと、馬房でのんびりしている馬のアサヒの傍で、腰を下ろして本を読むサヤを見かけた。
読書中にしては、妙に神妙な面持ちをしているサヤ。その手に持った本はずいぶんと古ぼけた表紙をしている。
それは見覚えのあるものだった。
僕はサヤに近付くと、その気配に気付いたサヤが見上げてくる。
「やあ、サヤ。こんなところで読んでいるの?」
「……うん。最近アサヒにぜんぜん構ってあげられなかったからね。ここは風通しもいいし、気持ちがいいの」
そんなしおらしく微笑むサヤの隣に腰を下ろした。傍ではアサヒが静かに寄り添っている。横からそよぐ優しい風が心地よい。
「それは、サリアの日記だよね。王様から譲渡の許可もらえて良かったね」
「うん。国が信奉している、その人の日記だから、国宝になってもおかしくないのに。ルドワイズ王は寛大だわ。感謝しないと」
城の地下にあった秘匿書庫で、勇者や解放の神剣に関する事柄が纏められた書物の他に、サリアの日記を見つけた僕達は、それを王様に献上していた。
だがサヤはその日記を持っていたいと、王様に願い出たのだ。
地下でサヤに何が起きたのかを王様に説明すると、この巡り合わせにいたく感動して、サヤの願いを聞き入れたんだ。
信仰の対象となったサリア本人の日記だ。この国にとっては相当な価値がある代物だ。しかしその時王様はサヤに向けて、こう述べた。
「――其方が聖女サリアの生まれ変わりであるのかは知るべくもないが、其方は確かに聖女サリアに選ばれた。ならば、それは其方が持つに相応しい」
――と。
「日記にはどんなことが書いてあるの?」
黙って読み進めているサヤにそっと声を掛ける。
「そうね……。全部は読めてないけど、ほとんどは普通の日記と変わらないわ。これには、魔王を封印した日から何日か置きに書かれているわね。今日は集落の復興を手伝っていたら近所の人が野菜をおすそ分けしてくれた、とか」
「へぇ、なんかもっと壮大な内容なのかと思ってたよ」
「ふふ、そうね! ……でも巷では英雄と持て囃されても、サリアは普通の人として暮らしていたみたい。これを読んでいると、サリアがどんな人だったのかが伝わってくるわ」
そう言ってサヤは本を優しく閉じ、大事そうに抱えて日記を見つめていた。
その眼差しは、何かに思いを馳せているかのようで、穏やかで優し気だった。
「それで、クサビはどうしてここに?」
気持ちを切り替えて立ち上がったサヤが僕に訊ねる。
それに合わせて僕も立ち上がりながら答えた。
「あ、いや、たまたま通りかかってサヤを見かけただけだよ。僕はこの街を見て回っておこうと思ってたんだ」
「次はいつここに来れるか分からないものね。……なら、私も一緒に行こうかしら」
サヤの提案に否やはない僕は快諾して、アサヒをひと撫でしてから街へと繰り出したのだった。
そしてその夜。
場所は多くの人で賑わう酒場。以前にも来た事がある『星降る夜の女神亭』に集まっていた。
明日はチギリ師匠達がマリスハイムを発つ日。今日はその最後の夜に、皆でささやかな宴を催したのだ。
……明日になれば師匠達は帝国領へと旅立つ。
チギリ師匠をはじめ、アスカさんやナタクさん、ラムザッドさんには戦う術を叩き込まれた。それは勇者を継いだ僕にとって、これから激化するであろう魔族との戦いに大きく影響することだ。4人は等しく僕達の恩師となった。
もはや馴染みとなったいつもの顔ぶれ。
皆でこうして卓を囲むのは、次はいつになるかわからないが、その時には誰も欠けることなく会いたいと心から願っていた。
次の機会には、僕もお酒を飲んでみてもいいかもしれないな。などと、酒を笑顔で飲み交わす仲間達を眺めながら思った。
楽しい雰囲気のまま時間が流れていく。皆は別れの寂しさなどは微塵も見せず、敢えて話題にすることもせず、皆楽し気にお酒や料理を交えながら会話に花を咲かせていた。
僕は皆の様子を一歩引いたところから眺めていた。……とはいっても物理的には皆と一緒にいるんだけどね。
僕はこうして皆が楽しそうにしているところを見るのが好きなんだ。
ラシードはラムザッドさんに、酒の飲み比べを挑んで見事に玉砕。テーブルに突っ伏している有様だ。ラムザッドさんはそんなラシードの背中を叩きながら豪快に笑っていた。
ウィニはごちそうを無心に貪っている……かと思いきや、珍しいことに今日は違った。マルシェに冒険の思い出を話すチギリ師匠にじゃれるようにくっついて話を静かに聞いていたのだ。
ウィニは表情には出さないが、近付く別れの気配を誰よりも感じ、惜しんでいるのかもしれない。
サヤはアスカさんをなにやら話しているようだ。身振り手振りを加えながら話すアスカさんに、熱心な様子で頷いている。
そしてアスカさんがサヤの耳元でこそこそと何かを呟くと、サヤは顔を真っ赤にして肩をすくめて俯き、アスカさんは口元に手を添えて笑っていた。
「――クサビよ、如何した?」
「……いえ、皆の楽しそうな様子を見てました」
不意に声を掛けられて、その落ち着いた声の方を向く。
すると僕の隣にナタクさんが、一口で飲み干せそうな程に小さい酒の器を二つ持って腰掛けた。
この器は東方文化では身近な『お銚子』という器だ。東方文化独特のお酒を飲む時に使われていたはずだ。
ナタクさんが僕の前に置かれたお銚子に、水のようなものを並々に注いだ。
だけどそれは水などではない。この匂いだけで頭がくらりとしてきそうなこの液体は、東方文化圏で親しまれているお酒だった。
僕は戸惑いながらナタクさんに真意を問う。
「あ、あのナタクさん? 僕はまだお酒は……」
「クサビは17でござったな。……ふっ。歳の数の一つや二つ足らぬとて些末な事でござる」
東方部族連合取り纏めの一人がそんな事言っちゃっていいのかと心の中でツッコミを入れたくなったが、ナタクさんの言葉の続きでそれは失敗に終わった。
「次、お主らとこうして酒を酌み交わす事が出来るか、それは誰にも知り得ぬ事。この一献はいわばゲン担ぎでござる! ……いつか再会した折には、もう一献お主に注ごう」
ナタクさんの瞳の奥からは言い知れぬ覚悟が垣間見えた。
それは、これから激戦の渦に臨む者の覚悟の目のように感じた。
……ナタクさんなりの、僕らの身を案じた深い情を無下にしては失礼だよね。……なら!
「……いただきます。――ぉぉお…………くぅ……っ」
――うおぉっ! 冷たいはずなのに喉が焼けるようだ……!
これは本当に飲んで大丈夫なものなの!?
今まで感じたことのない感覚だ。これが酩酊感なのだろうか……! 大人はこれを平気で飲めるのかな……!?
「うむ。見事な飲みっぷりでござるな」
ナタクさんは僕の反応を見て満足そうに頷いている。
……頭がくらくらしてきた。ちゃんと座っているようにも思うし、揺れているようにも思える。もうどっちだかわからない。
「ご、ごちそう……さまでし……たぁ…………」
「ちょっ、ちょっとクサビ!? もうナタクさん! クサビにお酒飲ませないでくださいよー!」
「はっはっは! あい済まぬ! 次はこれより弱いものにしておこう!」
「ふふっ! なんだクサビ、一口で陥落かね? これは愉快だな……!」
皆の騒ぐ声が遠く聞こえ、僕はそのままふわふわとした感覚に
身を委ねてしまうのだった……。