僕達は世界を救う勇者として、聖都マリスハイムを発った。
痺れる程の大歓声を浴びて興奮冷めやらぬ中で北上していた。
「……なあ、そろそろ頃合いか?」
馬車の中からラシードがこちら側に顔を出して告げた。
それを聞きつけたウィニは、猫耳族らしい身のこなしで素早く馬車の屋根に上がり、来た道を見渡している。
「んー。街はもうぜんぜん見えない。誰もいない」
「ありがとう、ウィニ。……うーん。もういいかな?」
辺りは起伏が激しい平原地帯。ここは高所で見晴らしの良い道だが、既に聖都は見えない。
帝国に向かったように見せかけて、僕達は本来の目的地、シンギュリアの港に向けて、進路を東に向けなければならないのだ。
あんなに街の人達に盛大に送り出してもらったのに、実は行先違うんです。などと、勇者の旅の最初としてはあまりにも締まらない始まりだった。
チギリ師匠の策とはいえ、ちょっぴり罪悪感を感じるのは否めない。
「私もそろそろ良いと思いますよ」
「どうするの? ゆ、う、しゃ、さ、まっ」
馬車の奥からマルシェが顔を出し、サヤは茶化しながら僕に判断を委ねた。
「それやめてよ……。――よし、じゃあ東を目指そう!」
「ふふっ。了解!」
サヤは愛馬のアサヒを東に向ける。
北に進んで2時間くらい経過していたが、ここからシンギュリアを目指すのだ。
シンギュリアの港街までは、マリスハイムから街道を通って2、3日の距離らしい。僕達は船に乗るまではなるべく人目を避けたいので、集落へは寄らずの旅となる。
そして無事にシンギュリアへ到着したら街へは入らず、港へ直行することになっていた。
……意気揚々と旅立ったのになぁ……。心苦しい。
「こそこそしないといけないのは、かっこ悪いね……」
「言うなよ。俺も言わないように我慢してたんだぞっ」
後ろめたい気持ちは同じらしく、僕とラシードは揃って嘆息した。
「仕方がありません……。チギリ様達が危険を請け負ってくださっているのですから」
「そうよ、私達もこのくらい、堪えないと」
「ん。ししょおからの、ひみつのシークレット任務」
「……………………」
……うん。出来ることを確実にやってこう。それは今までと変わらないんだから。
「とにかく! 今日は進めるだけ進みましょ」
「そうだね。サヤも疲れたら言ってね、代わるからさ」
「うん! ありがとう」
久しぶりの旅でも旅の習慣はしっかりと身に沁みついていた。
聖都周辺で魔物が少ないとはいえ、いつ魔物が襲って来るか分からない為、周囲の警戒は必須だ。
今はウィニが馬車の屋根で日向ぼっこしながら索敵していた。
傍から見ればサボっているように見えるが、異常があれば知らせてくれるだろう。
僕は御者席から馬車の中に移って中から外を見渡したり、荷物を整理したり、皆と話したりと、久方ぶりの旅の感覚を噛み締めていた。
それから何回かアサヒを休ませながらひたすらに東を目指した。地図によれば、この辺りには集落の類いはなく、街道を外れている為あまり人の往来もない。
だがそんな場所には魔物が隠れていたり、盗賊が潜んでいる事もあるのだ。
街道の旅より危険は多く気は抜けない。
その調子で進んでいると空は暗がりを見せ始め、一日の終わりが近いことを知らせていた。
僕達はここらで野営をすることにして、その準備に取り掛かった。
ラシードが周辺の見回りに行っている間、僕達は野営地を形成する。
サヤは野営地の周囲を、神聖魔術の一種である結界で覆い魔物の侵入を阻んだ。結界は、グラド自治領で知り合ったミリィさんから教えてもらった魔術だ。
覚えたての当初は小さな範囲を覆うのでやっとだった結界も、チギリ師匠達との修行の末に、サヤは剣術だけでなく神聖魔術の方も力をつけていた。結果今では野営地全体を結界で守る事ができるようになっていた。
で、僕はというと、火起こしと食事の支度だ。
窪みを作ってその周りに手ごろな石で囲って薪を入れる。そしてそこに火魔術で着火するのだ。この作業もすっかり慣れたものだ。
その少し離れた場所で、マルシェとウィニが何やらやっていた。
何をしているのかと見ていると、心做しかソワソワしているマルシェの隣で、ウィニが魔術を行使している。ウィニの魔力を操る動きに合わせて地面の壁が徐々に隆起していき、やがてドーム状の小部屋が完成した。
「さすがウィニですねっ。これなら安心です!」
「ふふん。このくらい、ぞーさもない」
そこにサヤがマルシェ達の所へやってきた。
「あっ。それって、もしかして?」
「はい! 一日の最後はやはりこれがないと」
そう言うとマルシェはある物を二つ取り出した。
見覚えがある。白い卵のような精霊具と、同じような形をした青い色の精霊具だ。
これは前にポルコさんのお店で大金をはたいて購入した、通称『お風呂セット』だ。
なるほど。お風呂に入るための部屋だったんだね。
女性陣はわいわいとお風呂を設置しに小部屋の中に入っていった。中からは楽しそうな声が聞こえてくる。
旅の途中でお風呂に入れる事がどれだけ有難いことか、そこから来る喜びの声だ。
僕も楽しみにしてよう。そう思いながら野営の支度を進めるのだった。
その後辺りはすっかり暗くなり、周辺の見張りに出ていたラシードが戻り、僕達はそれぞれのテントを設置して野営の準備を済ませた。そして皆で火を囲んで食事を取る。
今日の食事は、水を入れて煮込むだけで簡単に作れるインスタントのシチューだ。保存食の発展に感謝しながら頂いた。
こうして火を囲んで皆と語らって過ごす時間は、使命に急く僕の心を癒してくれるんだ。一日として同じ日は存在しないこの人生においての掛け替えのない時間だ。
いつか魔王を倒し、世界が平和になったなら……。
その時はこの仲間達と、世界中の素敵なものを見て回りたいな。
その道中ではこうして笑い合いながら語らって……。
何の危険もない旅はきっと楽しいだろうな。
……その為にも、必ず神剣の力を取り戻さないとな。
皆が談笑するその姿を眺めながら、僕は決意を改めていた。
食事を終えた僕達はそれぞれの時間を過ごし始めた。
女性陣は真っ先にお風呂に向かっていった。
土のドームから聞こえる女性達のはしゃぐ声で、お風呂セットの使い心地がどんなものかは想像がつき、僕の番が来るのが楽しみになった。
僕とラシードは装備の手入れをしたりして時間を潰す。
……ラシードがお風呂場の方をチラチラ気にしていたから、変なことしないように見張っていた、なんて事は本人には言うまい……。
ラシードがよもやお風呂を覗きに行くとは思ってないけど……万が一にも、ね!
「なあクサビ」
「ん?」
と、そんな時ラシードが口を開いた。いやに真剣な眼差しで、僕は居住まいを正した。
「……俺さ、思うんだよ。これは俺らにとっての試練なんだよな……」
試練……。
確かにそうかもしれない。勇者パーティとして世界の命運をこの背に受け、この先には苦難が待ち受けているのだから。
ラシードは顔を僕から焚火の方に向けた。
「……そうだね」
「お前は強いな。……正直、俺は今にも押しつぶされそうだぜ」
「ラシード……」
それはラシードは零した弱音だった。
いつも僕達の兄貴分として、冒険者のことや、上手い世渡りの仕方など教えてくれて、すっかり頼りきりにしてしまっていた。
でも、ラシードも不安だったのかもしれない……。
その気持ちに気付かず、いつも頼って甘えてしまっていた自分に不甲斐ない思いが滲み出てきていた。
「ラシード、大丈夫だよ。これまでだって皆で支え合ってきたんだ。それと何も変わらないよ! これからはさ、ラシードももっと僕を頼ってよ」
僕は偽り無き思いをラシードに向けて笑って見せる。
するとラシードは驚いたように、一瞬だけその糸目を開いた。
「……まじか? 俺の味方してくれるのかよ。クサビ……!」
「水臭いなあ! そんなの当たり前じゃないか!」
「クサビ…………!」
そうさ。仲間が苦しんでいたら助ける。当たり前だ。
「……よっしゃ。なら、いくか……!」
そう言って力強く立ち上がるラシード。思わず僕もつられて立ち上がる。
「……? う、うん……?」
何をするというのだろう、二人で熱い握手でも交わすのだろうか。
……でもそれも悪くない。
僕はそっと、右手をラシードに差し出した。
するとラシードは僕が差し出したその手を――――。
掴むことなく僕の横を通り過ぎた……。
……あれ?
僕は振り返ってラシードを見る。
ラシードはつま先を立ててゆっくりと足を前に出し、音を立てないようにお風呂場の方へ……。
――――……っ!?
「――ラシード! 何やってんのさ……!」
女性達の楽しそうな声がするお風呂場の近くまで接近したラシードを、僕は小声で引き留める。
「何言ってんだクサビ……! あの壁の向こうの果実を拝みに行くんだろ……! お前さっき味方するって言ったろ……!?」
「お風呂覗きに味方するなんて言ってないだろ……!」
どうも話が噛み合わない。
……まさかさっきの話って、お風呂覗くかどうかの話だったの!?
な、なんか怒りが湧いてきたぞ。
「だめに決まってるじゃないか……! バレたらどうすんのさっ!」
「クソォ! やっぱお前もそっち側か……! 止めてくれるなクサビ! 男にはやらねばならん時があんだよッ」
「こんなくっだらない事する時に言うセリフじゃないでしょ……!」
「ぬわーーーっ! やめろぉーーっ」
僕はラシードに組み付き、必死に止めようとした。
だが体格差が災いして、じりじりとラシードの進行を止められない。
「――――何やってんの?」
「「――あ」」
凍えるように冷たい声を向けられた僕とラシードの動きがピタリと止まる。
恐る恐るそちらを向くと、布一枚で肌を隠した、鬼のような形相のサヤとドン引きのマルシェ、そしてわざとらしく恥じらうウィニが居た。
「……いや、これは…………」
「ぼ、僕はちが……っ」
血の気が引いていくとはこの事だ。僕とラシードは蛇に睨まれた蛙のように身動きが出来なくなり、弱弱しくも情けのない弁明が口から出るばかり。
「……最っ低!」
「不潔です」
「いやん」
その言葉の直後、頬に強い衝撃と共に僕とラシードの悲鳴が木霊したのであった…………。