私はクサビ達と分かれ、ウィニとマルシェと左舷の対処に向かっていた。
この深すぎる霧のせいで前の状況が何も掴めない。
「ウィニ、私とマルシェから離れちゃ駄目よ!」
「ん! さぁやとまるんについてく」
「ま、まるん……? ――お、お互いに見失わないようにしましょうっ」
ウィニが私の事を『さぁや』と呼ぶのはとっくに慣れているけど、マルシェの事はどうやら『まるん』と呼ぶことにしたみたい。
ちなみにクサビの事は『くさびん』で、ラシードだけラシードのままだった。彼女なりの基準があるのだろう。
――と、今はそんなことを気にしている場合ではないわね!
戦闘音が近くなっていく。ここの騎士達はアランさんに鍛え抜かれた精鋭達だ。並みの魔物程度ならば心配いらないはず。実際、騎士から断末魔じみた叫び声が聞こえて来ない。
アランさんの檄が効いているのね。皆士気が高い状態で臨んでいる。私も負けていられないわ!
「……! ――接敵っ!」
盾を前に掲げながら先頭を走るマルシェが叫ぶ。
左舷の戦闘域に到着したのだ。
霧の奥から浮かび上がる影が、マルシェに襲い掛かる。
マルシェの高い位置で不気味に煌めきを放ち、振り下ろされた!
――この鎌のように沿った刃。……ブレードマンティスだわ!
「この程度っ!」
マルシェの盾が鎌を受け止めると、盾が瞬間的に煌めきを放ち凶刃が大きく仰け反った。
そこをすかさずマルシェは、蒼い刀身を持つ『蒼剣リル』によるカウンターの刺突がブレードマンティスの頭部を刺し貫いて葬った。
マルシェのゼルシアラ盾剣術は緻密だ。盾によるパリィで衝撃を最小限に抑えつつ、相手への反動を最大にして返す。そして急所を狙い澄ました一撃一殺のカウンターが一体ずつ確実に仕留めていく。
これは私とウィニの出番はないかしら。
――とは、当然いかないみたいだ。
左舷の端に到達した私達に、霧の奥から次々を魔物が姿を現した。
異形の化け物と化した船がこちらの艦に噛みついて離さない。
そうして繋がれた場所に、異形の船に乗り込んでいた魔物達が飛び降りてきていた。
襲い来る魔物はブレードマンティスやホブゴブリンが殆どのようだ。
どちらも油断は出来ない相手ではあるが、今の私達にとっては慣れた相手だった。
でも、問題はその数だ。船の大きさからして、魔物はぎゅうぎゅうに詰められでもしていたのかと言わんばかりだ。
この数で押し切られたらマズイわ。乱戦状態になるのは避けなければ……。
幸い魔物の突入口は一方から。今のところ騎士達で奥への侵入は最小限に防がれていて、侵入を許したとしても後続の騎士達がしっかりと仕留めていた。
だがそれはあくまで『今は』という話だ。
夥しい数の魔物の圧力にいつ瓦解するか知れない状況下で、私は脳内を必死に巡らせる。
「最前線は私が食い止めますっ! ――盾を持っている方は私と共に来てくださいッ!」
そう叫んだのマルシェだ。彼女は迷うことなく前進し、突入口から迫る魔物に強烈な盾の殴打を浴びせて僅かに押し戻し、盾を構えてその場で姿勢を低くして踏ん張った。
「ゆ、勇者様のお仲間だ! あの方に続くぞッ!」
「おおーっ!」
マルシェの姿に、盾を持った騎士達が後に続いて魔物にぶつかっていく。
そして魔物の侵攻を阻むように、盾の列が並び壁を形成した!
マルシェの私を同じ危機を抱いたのか、その阻止にすぐに動いた。
私も最善を尽くすべく声を張り上げた。
「ウィニ! マルシェ達の奥の、あの列になってる魔物の数を減らして!」
「ん!」
私はウィニに声を掛ける。
突入口の付近で盾の壁に堰き止められて混雑している魔物の群れに、ウィニの強力な魔術を叩き込んでもらうのだ。
マルシェは最前線で騎士達と共に力の限り魔物を食い止めてくれている。
ウィニの魔術が炸裂し、マルシェ達への負担が僅かに軽減されてはいるが、この戦線を破られる前に、強固な陣形を構築する必要がある。
この霧のせいで周囲の状況が掴みにくく、皆近くの味方をと協力し合ってなんとか保っている状態だった。
「――サヤ殿!」
不意に、背の高い騎士が私に駆け寄ってきた。他の騎士とは違い、装飾のついたマントを羽織っている。
ここに来るまでに何度か話したことがある。確かアランさんの副長の『モーマー・フレイル』さんだ。
「モーマーさん! 今前線でマルシェが壁になっています! 急ぎ援護体制を構築しないと……!」
「ええ。把握しています! これより陣形を形成します。サヤ殿もご助力願いたい!」
「はい!」
モーマーさんは大きく息を吸い込むと、戦場の喧噪を吹き飛ばすかのような大声を轟かせた。
「――左舷方面の全隊ッ! 最前線の盾隊を援護する! 離れている者はこの声の下に集合せよッ!」
大声で、モーマーさんの下に、深い霧の中はぐれて孤立していた騎士達が集まってきた。混乱していた騎士を一声で救ってみせたのだ。
「槍を持つ者は盾隊の後ろですり抜けた魔物を倒しつつ、盾隊奥の敵の隙を突け! 剣隊はその援護! 誰一人やらせるなッ! 魔術隊! 神聖魔術を使える者は盾隊に回復を! 残りはウィニ殿と共に数を減らすのだ! ――行けッ!」
モーマーさんが矢継ぎ早に指示を飛ばし、騎士達はそれぞれ配置につくべく動き出した。
その動きに迷いはない。モーマーさんの指示に従うことに疑問はないのだ。
そして騎士達が陣形を完成させるのとほぼ同時に、ウィニの魔術が魔物の群れを爆散させた。
その一瞬、魔物が押し寄せてきていたのが止まった!
「――今だッ! 槍隊! 突けぇーッ!」
「「おおおーっ!」」
モーマーさんが鋭い声を上げ、盾隊は盾を前に突き出すように構え直し、槍隊はその隙を突いて突撃し、盾隊が防ぎ切れずに突破した魔物には剣隊が斬り刻んで仕留めていった!
私も抜けて来たボブゴブリンを両断し、マルシェ達盾隊に回復を掛けていた。
……まだまだ押し寄せてくるの……? 一体どれだけ乗り込んでいるのだろう。
その時、左舷に備え付けられていた3門の精霊砲が異形の船の体を貫いた!
けたたましい悲鳴が木霊したと同時に新たな魔物が飛び降りてくる。
「――ハイゴブリン……!」
重厚な鎧を着込んだハイゴブリンが3体、突入口に現れた!
手には大きな鉄槌……! あれで盾壁を破ろうとしている!
ハイゴブリン達は助走をつけて、まるで鉄塊が迫るかのように猛然と襲いかかってきた!
「……っ! 皆さんっ! 堪えて下さい……!」
マルシェが眉間に皺を寄せて覚悟を決める。
盾隊が迫るハイゴブリンの鉄槌を正面から受け止める……! 衝突音が反響し、盾騎士達が衝撃を一身に受けるも、体は受け止めきれずに大きく後退を余儀なくされる!
このままではいずれ突破されてしまう。私は納刀して精神を統一させる……。
そんな中ウィニと魔術師達は絶えず魔術を敵に降り注ぎ続けて魔物の前進を妨げてくれていた。
マルシェ達はハイゴブリンの重い攻撃に、負傷者を出しつつも耐え忍んでいる……。
「マルシェ、お願い! 一瞬だけでいい……。隙を作って……!」
私は必死に耐え忍ぶマルシェに、さらに酷な要求をした。
それでもマルシェは闘志を燃やして構え直すと、その凛とした声を響かせた。その彼女の背は、私を信頼してくれているように見えて、胸が締め付けられた。
「わかりましたっ! ……皆さんッ! 力を貸してください……!」
「――ウオオオッ!」
盾を構えた騎士達がマルシェの願いに呼応する。
「サヤ殿、一体何をなさるおつもりで……」
――――私はしっかりと敵を見据えて居合の構えのまま、心を漂白させていく……。
雑念が払われ、今、私の中には善も悪もなく、心は静かな凪となる。
身を任せるのは無意識の本能。すなわちそれは生きる意思。
その生存本能のままに、私は目の前の、命を奪い去ろうとするものを絶つ――――
ハイゴブリンが再び鉄槌を振りかざし、盾壁を打ち崩さんとする。
その鉄槌が、今まさに騎士達に迫った瞬間――――
「――セルフサクリファイス……っ!!」
マルシェが盾を突き出すと、盾全体が光り輝く!
その光は盾隊全体を覆ったかと思えば、光は収束され、再びマルシェの盾の中に納まった。
「――く……ぅ……っ!?」
光が収まった瞬間マルシェの体がブレる。隣り合う騎士達は衝撃のない状態に呆気に思っている横で、マルシェだけが衝撃を受け、押し潰されまいと懸命に耐えていた!
3体分のハイゴブリンが繰り出した鉄槌の暴力を、マルシェはその華奢な身体で一身に受け止めようとしていたのだ……!
強化魔術で自身を支えていてもなお、体が悲鳴を上げ、強すぎる圧力でマルシェの至るところから血が噴き出した……! それでも――。
「――…………パリィ……!」
追い打ちとばかりに振りかぶられた追撃に合わせて、マルシェは自身に受けた衝撃諸共、倍にして返す!
突然の衝撃に見舞われたハイゴブリン達は、周りに魔物ごと後方へ吹き飛ばされ、異形の船の横腹に突き刺さった。その時のハイゴブリンを除いた他の魔物は衝突の圧力に耐えきれず、その原型を留めておく事はできず、血溜まりと化した。
――――ギィィィィアアァァァァァ!!
「マルシェ! 下がって……!」
異形の船の悲鳴を合図に私は跳躍し、後退するマルシェ達をも飛び越えてハイゴブリン達の前へと着地。
既に居合できる体制を取っていた。
「…………っ」
目の前の元凶を絶つ。その意識のみを抱いて愛刀『蕚』を抜き放った。
一文字に入れた切っ先が止まる。
刀を振った音を鳴らして空を斬る。
そして結果を見届ける周囲は静寂に包まれた。
標的とされたハイゴブリンですら、呆気に取られて動かない。
そして異変はないと動き出した、その時――――。
――――ズシャッッ――――!
鋭い斬撃音が、3体のハイゴブリン、そして異形の船をも巻き込んで横一文字に斬傷の光が走った!
魔物は原型を留めておけず、斬り口から血が噴き出すこともなく、次第にずり落ちて落下していく。異形の船もまた艦を繋がっていた大口ごと真っ二つにされ、海へと沈んでいった。
私は再び跳躍して艦の方へ戻ると、一瞬眩暈がしてよろめいた。
すると半分ぼやけていた意識が鮮明になっていく…………。
「うおおおおーーー! やったぞーー!」
気が付けば辺りの騎士達が勝鬨を上げていた。
……なんとかうまく出来たみたい……。
まだまだナタクさんのようには出来ないけれど、確実の強くなっているという実感がある。
「……やりましたね……サヤ」
全身血に濡れて膝を付いたマルシェが私を見上げて、微笑していた。
――大変! マルシェに回復しないとっ!
「マルシェ! 無茶をさせてごめんね……! あなたのおかげよ」
私は急いで駆け寄って、マルシェに治療を始めた。
今回マルシェの活躍で勝利したようなものだ。
そこにウィニとモーマーさんがやって来る。
「さぁや、まるん、おつかれ。わたしも、つかれた……」
「お三方、お見事でした! 左舷の魔物は全て掃討されました。あとは私達にお任せください! ……お、どうやらあちらも……」
歓声が響き渡ると、呼応するように遠くからも鬨の声が聞こえてくる。
クサビ達の方も終わったみたい。
敵の気配が消えたと同時に、あんなに深かった霧が嘘のように晴れ渡り、いつもの美しい景色に戻っていく。
私はほっと安堵すると、つい力が抜けてしまって床に座り込んでしまったのだった……。