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Ep.263 試練

 そして明くる日。

 時の祖精霊の試練の日。


 僕達は中央地点の森の中、不思議な空間への入り口の前までやってきた。

 この先も深い森が続いているようにみえるが、一歩踏み出せばそこは現世とは理が違う、時の祖精霊の空間に繋がっているはずだ。

 時の祖精霊との約束だ。僕は、一人で向かわなければならない。



「――クサビ、いってらっしゃい」


 皆の方に振り向いた僕に、サヤが穏やかな笑顔をむけつつも、瞳の奥に憂いを帯びながら僕を送る。

 ラシード、ウィニ、マルシェも僕を見て強く頷いて、試練に臨む僕に糧をくれた。


「皆、いってくるよ!」


 僕も自信に溢れた笑顔で答える。

 そして踵を返して、この緋色の瞳に強い意思を宿して、一歩を踏み出した――――



 ――そして再び真っ白な空間に立っていた。


 僕は静寂が包む中、遺跡の中に入る。

 そして中の荘厳な神殿の通路を進み、昨日時の精霊と邂逅した場所まで歩みを進めた。


 僕はそこで一度止まり、深呼吸をした後に前を見据える。


 ――さあ行こう!


 一段一段階段を上がる度に心臓は早鐘を打つ。

 鼓動と共に緊張が高まるのを感じながらも、僕は最後の一段を登った。

 そしてとうとう宝玉の台座の前までやって来た。


「――来たな」


 台座まで登ると、時の祖精霊が目の前に現れて、静かに僕を見据えた。


「……蒼空の髪の少年よ、クサビ・ヒモロギよ。汝の心の準備はできたのか?」


 時の精霊の問いに、僕は小さく頷きで答える。

 覚悟なら出来てるつもりだ。


「……良い目だ。――汝に課す試練。これより汝には『起こり得る未来』の情景を見せる。汝の心に問うとはそういう事だ」


 起こり得る未来……。それは、僕達の選択によってはこれから起きるかもしれない未来。

 僕は固唾を飲んで時の祖精霊の言葉の続きを待った。


「汝にとってそれは過酷なものとなる。その結果汝の心は耐えきれず、感情を持つことのない抜け殻と化すやもしれん。……この試練は汝の心の強さを問うものだ。……それでも尚、汝は臨むか?」


 時の祖精霊は淡々と事実だけを告げているようだった。

 ……それは、この試練に耐えきれなければ僕が廃人になるかもしれないという、恐ろしい事を言っていた。


「汝を慕う者達はどう思うだろうな。廃人となった汝の姿を。希望の象徴たる勇者の心が死んでいく姿を」

「…………」


 仲間の顔が脳裏に浮かび上がる。

 皆の無念の表情が見える。……サヤが泣き崩れる姿が見える……。


 だが、そんな姿は霧散していった。

 代わりに浮かび上がるのは、僕を信じて笑って送り出してくれた、僕を信じてくれている顔だ!

 僕は一人ではない。心はいつも一緒に居るんだ……。


 だから――――。



「汝の心が弱ければ、起こり得る未来は現実となるだろう。しかし例え強くとも、その未来は変えられぬやもしれん。その時、汝の心は保っていられるか?」


 僕は押し黙る。しかしそれは恐れによってではない。


 ――僕はこの試練に打ち勝って見せる! どんな辛い現実があろうと、どんな困難な未来が待っていようとも! 世界に希望を齎し、魔王を倒すまで……。僕は絶対に止まれないんだッ!


 僕は瞳に決意の炎を燃やすように強い眼差しを時の精霊に向けた。


「……汝の意思、しかと受け取った」

「…………」


 僕は無言で頷いた。


「では、覚悟ができたのならば、その宝玉に触れるがいい」

「…………はい」



 僕は祖精霊の言葉に促されて、宝玉の台座に両手を添えた。

 ……ひんやりしていてとても清らかな光を放つこの宝玉に触れた瞬間、僕の意識は遠くなっていく……。



 ――――そして。






 ――――やがて意識を取り戻した時には、辺りは暗闇に包まれていた……。


 僕は上空の暗雲の中にいたのだ。

 世界を広く見渡せる程高いところに僕は浮かんでいた。


 ……世界が暗い。

 大地のほとんどが漆黒に染まっている…………。

 空を覆い隠す真っ黒な雲が、太陽の光を遮り、もはや昼と夜の境もなくなっていた。その雲は瘴気だ……。




 その時僕の脳内に直接、時の祖精霊の声が響いた。


「――これは我が観測した、汝にとっての未来の一つだ」


 もう殆どが瘴気の大地に呑み込まれてしまっている……!

 なんとかしなくちゃ……!


 僕は宙に浮かんだままもがく。上手く体が動かず、行きたい場所に行けないでいた。


「――汝は俯瞰して見ることしか出来ないのだ。そして目を逸らす事は許されない」


 世界の流れが加速して、雲が高速で流れていく。

 時間が早く進んでいるのだ。


 その間、あちこちで次々と魔族の侵攻によって瘴気に呑まれた大地が増えていく……!

 そして瘴気の黒雲から降り注いだ、瘴気を孕んだ雨が人々を蝕み、病をまき散らしていた。



 成す術なくそこに生きる人達の命が失われていく――――!


「うわああーー!!」


 僕はそれをなんとかしようと必死に足掻く。

 喉が枯れる程に叫び続けた。


 ……しかしその成果は無駄に終わる。



 世界に闇が侵食されていく。

 僕はそれを見ていることしか出来ない……。


 魔族に襲われる人達の悲鳴が聞こえる…………!

 誰かが勇者を、僕に助けを求める叫びが僕の脳内に次々と流れ込む……ッ!


「…………うあああああ!!」

 僕は耳を塞いで叫んだ!!


 しかしそれは無駄なこと。

 人々の叫びはいつまでも頭の中に残り続ける。


 僕の叫び声はその中に紛れていく……。


「……くそっ……! あああああ――――!!」


 僕は無力に苛まれながら、絶叫するしかなかった。

 僕の声が、人々の悲鳴に掻き消されていく……。


 ――その絶望の叫び声は、やがて虚無に飲み込まれていった――――




 …………そして何も聞こえなくなった。

 もう世界は深淵のように闇に染まりきり、命の伊吹は感じない。もはや希望も、光もどこにも…………。


 守るべき人達が、皆死んでしまった…………。


 僕はその真っ暗な世界の宙に浮かんだまま、力なく項垂れた。


「……………………」

 深い悲しみに、もはや声すらも出ない。



 その時、突然高らかな笑い声が響いた。


「――――ッッ!!」


 この声……!

 忘れもしない……! この全てを虫のように嘲笑!

 父を殺し! 母を奪い! 故郷を滅ぼした全ての元凶……ッ!!!


「――――魔王ーーーッ!!」


 僕は魔王の声に怒りを滾らせながら叫んだ。


 魔王の嗤う声が辺りに響き渡る。どこにも姿はなく、勝利に酔う魔王の声に怒りを燃やしながら、僕はただ叫び続けた。


「……くそ……! くそっ!! うあああーーーー!!」


 僕は魔王の嗤い声を聞いて叫ぶ。

 だがどんなに叫んでも魔王の姿は見えず、僕の声は虚しく響き渡るばかり……。


 やがて魔王の嗤い声も消えていった。




 …………僕は、一人だ。


 僕は虚しく叫んだ後、項垂れ、膝から崩れ落ちた。

 ……そして僕の体は重力に従って、真っ暗な世界へ落ちていった……。



「――これは勇者が過去へ飛び、そして帰還が果たされなかった未来だ」

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